第八話 シェン討伐 -後編-



 客室では、シェンの破壊によるメキメキバリバリという大きな音が天井から響いていた。

 さらにエーテルクリスタル機関のゴロゴロという異常音が、甲板にいるよりもはっきりと聞き取れる。


 逃げ場のないこの空中で、今にも飛空艇がバラバラになるのではないかと思われた。


「クソッ、ザヤグの〈治癒キュア〉があれば、すぐ再戦に行けるのに。あの眼鏡タルルタ族、あとで殺してやるッ」


 ドカッと、ジークヴァルトが斧を床に打ちつけたのを見て、小柄なカロココが肩をすくめてあきれた。


「ジ~ク、あんたが飛空艇を壊す気? “倒せないぜ、こんなヤツ”って言ったの、あんたでしょ?」


 部屋の隅では、未だにサンドレア王国の役人たちが、小さくなって震えている。




「静かにしぃ」


 ドスのきいた声を放ったのは女シーフのラカだった。


「ウチらは、少なからずあいつに期待してんねん。あいつのサンドレア王国での名声、実際たいしたもんやったし」


 猫耳を立てたラカは、うなだれたミサヨのほうをちらりと見た。


「ミサヨが王室親衛隊んとこ潜入して、魔法人形で守ろうとした病気の姪――マルガレーテに言うたサシェの大口、ウチら全員、人形通して聞いた……」


 皆が黙って聞いていた。

 サシェの大口とは、もちろん、冒険者になりたいというマリィの夢を叶えると言ったことだ。

 リタの家を出てすぐに行方をくらませたミサヨもまた、ラカたちとともに魔法人形から聞こえるサシェの声を聞いていた。


「そのサシェに会えるいうて、えらい楽しそうに金髪の変装までして行ったミサヨ見て、ヤキモチ焼いたアホひとり除いたら……ウチらにとって、サシェの大口が本物かどうか見極めるチャンスでもあるわけや」


「だ、誰がヤキモ……ッ」


 真っ赤になったジークヴァルトに、ラカが小さく舌を見せた。


「誰もアンタや言うてへんよ」




 突然、ミサヨがこぶしを握り締め、キッと視線を上げて客室出口に向かった。


「様子を見てくる。彼も、私と同じ呪いの指輪をはめているのよ。やっぱり無茶だわ」


「オイ、俺も行くよッ」


 後を追うジークヴァルトを見て、カロココが再び肩をすくめる。

 ラカが、そっとつぶやいた。


「……頼むでサシェはん。ウチらの団長が自信取り戻せるかどうか、同じ呪われ状態のアンタの活躍にかかってん」





  ***





 甲板出口に顔を出したミサヨとジークヴァルトは、強烈なアルコール臭に思わずむせた。


「な、何だッ?」


 ふたりの目の前には、別世界が広がっていた。


 大空はどこまでも青く澄んで晴れ渡り、白い雲海がはるか彼方まで広がっている。

 雨上がりの甲板には巨大な水たまりができ、太陽の光をキラキラと眩しく反射していた。


 飛空艇が雲を抜けていたのだ。


 すぐそばに、琥珀色の液体が流れ落ちる高い壁があった。

 それがシェンの巨大な貝殻だと気づくのに、一秒という時間が過ぎる。


「何をしている。すぐに後ろのプロペラ台まで走れ」


 聞きなれたザヤグの声に、ふたりは反射的に飛空艇後方に向かって駆けた。

 その先のプロペラ台に上る階段の中腹で、サシェが呪文の詠唱を終えようとしていた。


「〈猛火ファイア〉」


 シェンの感知範囲外ぎりぎりから放たれたのは、黒魔道士のサシェがレベル13で覚えた初歩的な火系の黒魔法〈猛火ファイア〉だった。


 小さな火の玉がシェンの身体に達した途端、飛空艇の甲板が、〈猛火ファイア〉ごときで起こるはずのない巨大な爆炎に包まれた。


 あっけにとられる、ミサヨとジークヴァルト。


 気化したアルコールの燃焼による最初の爆発のような炎の勢いがおさまると、シェンのいるあたりだけが燃えていることがわかった。濡れた甲板が延焼を防いでいるのだ。


 ザヤグは炎を避け、飛空艇前方にあるプロペラの陰にいた。


 良く見ると、シェンの周囲にだけ木の板や割れたガラス瓶が散らばっている。

 ラベルのついたガラス瓶――琥珀色の液体の正体は白ワインだった。




 サシェが港の免税店で買った高級ワイン百本が、ザヤグによって箱ごと投げ上げられ、シェンの頭上から落とされていた。

 シェンの軟体質の皮膚がチリチリと焼け、ワインの香りと混ざって場違いな香ばしい匂いが漂う。


 一瞬にして全身を火傷やけどしたシェンは、身体を貝殻の中に引っ込めた。

 シェンから目を離さないまま、ミサヨとジークヴァルトに語りかけるサシェ。


「ここからが勝負です。水環境のなくなったシェンには先ほどの強力な〈再生リジェン〉はありません。――でも、今はそれなりの〈再生リジェン〉を発動しているはずです。普通のアラグナイトと同様、殻に閉じこもることで」


 そう言うとサシェは、手振りでザヤグに合図を送った。


「それが命取り。こいつで最後の一滴まで水分を絞り取ってやります」


 ザヤグが布袋を投げ上げるのが見えた。


 それは正確にシェンの貝殻の上に落下し、ガラスの割れる音が聞こえた。

 布袋から染み出したのは大量のサイレンスオイル――サシェが早朝から作りに作った百二十本分である。


「サイレンスオイルの成分は油とろうです。これほど長時間の燃焼に適した材料はありません」


 高レベルの黒魔道士が繰り出す攻撃魔法であっても、その効果時間は一瞬であり、その一瞬に与えるダメージが大きいにすぎない。

 継続的なダメージを与える魔法もあるにはあるが、威力は極端に小さい。


 今サシェがシェンに対して取った作戦は、“長時間焼く”という行為であり、魔法ではこうはいかない。




 シェンが閉じこもった貝殻から煙が立ち上り、十数分も待つと貝殻からはみ出した触手が干からびていくのが見えた。

 水から上がったノートリアス・モンスターの最後だ。


「もう大丈夫です。ザヤグさんに、ベイルローシュさんの〈復活ライズ〉を頼まないと……」


 サシェがザヤグに向かって手を振った。

 ザヤグは、ワインの炎で黒焦げになったベイルローシュに、すでに〈復活ライズ〉の詠唱を始めていた。





 ***





「さすが、サシェ殿です。どうやって、こんな作戦を思いついたのですか?」


 おいしそうな香りが漂う客室。

 着替えがそれしかなく、ボーダー柄のパジャマに身を包んで少々間抜けな姿のベイルローシュが、床にあぐらをかいたままサシェを賞賛した。

 直接見ていたわけではないが、どうやってシェンを倒したのかを、しつこくミサヨやジークヴァルトに聞いたのだ。


「ベイルローシュさんが言ったんですよ。“高級料理百人前”だって。それに、あなたの勇敢さがなければ、こううまくはいきませんでした」


 サシェは居心地が悪そうに頭をぽりぽりと掻きながら、そうきり返した。

 満足げに頷くベイルローシュ。


「サンドレア王国の誇り高き騎士として、当然のことをしたまでです。それにしても、“シェンのワイン蒸し”、いや、“シェンの壷焼き”ですかな? うむ、国王様からの贈り物として、こんなに洒落たものはないでしょう。親善大使としての名誉も守られましたぞ」


 ヒザを叩いて喜ぶ騎士の横では、王国の役人二人が解体したシェンの肉片を急いで小分けにしていた。体裁を繕うために、彼らも必死だ。

 船長と船員たちには、高額の口止め料を支払ったに違いないとサシェは思った。


 エーテルクリスタル機関はなんとか持ちこたえたが、ダメージは大きかったようだ。

 今は高度を落としてなんとか飛んでいるが、港に着いたら緊急メンテナンスに入るという。


 飛空艇の運行ダイヤに少なからず影響が出るだろう――だが、それだけだ。


 シェンを倒せたのは、様々な偶然による。

 ここにいる誰か一人でも欠けていたら、生き残れなかったかもしれない。

 少なくとも自分一人では、飛空艇を雲の上へ向かわせることも、それまでの時間稼ぎもできなかっただろう――。


 サシェがそんなことを考えていると、ラカの明るい声が客室出入口から聞こえた。


「みんな来てみぃ。よう晴れとるわぁ」






 サシェが甲板に出ると、高く突き抜けた秋の空が、雲の上で見たのとはまた違う爽やかさだった。

 高度が低いせいで、海岸線の向こうに広がる大地の樹の影まではっきりと見える。


 太陽が夕陽に変わろうと、空を紅く染め始めていた。




 サシェは風に吹かれながら、今回の作戦を思いついた本当の理由を思い返した。


 粗末なベッドに横たわる少女マリィ。

 彼女の左ヒジと右ヒザは、炭化によるダメージと〈再生リジェン〉による回復を、今このときも繰り返している。


 継続するダメージが〈再生リジェン〉を上回れば、シェンのように死ぬことになる。それが今回の作戦を思いついたきっかけだった。

 逆に、〈再生リジェン〉が継続するダメージ量を上回れば――。


(いや、少しくらい〈再生リジェン〉を増やしても意味がない。マリィの夢は冒険者になることなんだ。常に〈再生リジェン〉を必要とする身体では、イザというときに必ず死を呼ぶことになる……)


 マリィの件を解決する糸口を見つけるために、サシェは二人の人物を訪ねることを決めていた。

 そのひとりが、今向かっているジュナ大公国にいる。




 欄干にかけた左手にふと目をやったサシェは、その中指にある呪いの指輪を見つめた。

 白いパールがもぎ取られ、パールを留めていた細い爪が曲がっている。

 よく見ると、その爪が後から接着されたものであることが、仕上げの悪さから明らかだった。


 その爪の奥に、何かの模様が見えた。

 サシェは、残っていた四本の爪を残らずもぎ取った。


 現れたのは獣の形をした模様だった。

 身体より大きな三又の尻尾、長い耳、そして額に宝石――。



「霊獣カーバンクルに見えますよね」


 いつの間にか、横にミサヨがいた。

 その表情は、青ざめて何もできないでいた娘とはまるで別人だった。


 “自信”――ではない。“決意”に満ちた、輝く表情だ。



「仲間には話して、納得してもらいました。私は、あなたと契約したい」


 互いに、相手に身体を向けた。

 横から照らす夕陽が、ふたりの身体の半分をオレンジ色に染めている。


「マリィの身体のことと、この呪いの指輪の二件。同じ目的に関して行動を共にし、互いに協力する。それ以外で馴れ合う気はありませんが――いかがでしょう?」


「よろしくお願いします」


 即答するサシェ。

 信用できるいい眼をしている――そう思った。


 これがサシェとミサヨの、“飛空艇での契約”となった。




「……ひとつだけ、質問をいいですか?」


 サシェの唐突な言葉に、ミサヨの表情が少し固くなった。


「なんでしょうか?」


「……その黒髪って、本物?」


 少し考えた様子のミサヨが、クスリと笑った。


「……金髪のほうが良かった?」


 その返事に、サシェも笑う。


「なんだよ、真面目にきいてるのに。さっき、ジークさんがそう言ってたし、八日前に髪を刈り上げていたのは、俺も見てる」


「………………」


 黙り込んだミサヨが、まじまじとサシェを見つめた。


「今――」


 ミサヨが口を開いた。


「“俺”――って、言った? サシェさんが、自分のことを“俺”って」


 いったい、どういうツボだったのか。

 ミサヨが笑いすぎて、その後は会話にならなかった。


(何がそんなに、面白いんだか……)




 間もなく飛空艇が港に着こうとしていた。


 ジュナ大公国――世界の中心に位置する国である。






 ~ 第一章完、第二章へ続く ~



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