第11話

「あー、良く寝た」

 大きく伸びをしながら、霧生は牢を出た。

 看守椎名の驚きと呆れと嫌悪をよそに、一晩熟睡した彼は絶好調だった。頭は冴え冴え気分は晴れ晴れ。打擲の痛みなどものともしないほどに、絶好調だった。


 対して澪の方はと言えば、険しく、重く、暗い表情で、まるで親鳥について歩く鴨のような危うさで、ぼんやりと霧生の背についてきていた。


「おい、どうした寝不足か? 枕が変わると眠れないとか?」


 何気なく案じたつもりだったが、どうやらまたしても知らず相手の怒りを買ってしまったらしい。

 怒りか羞恥か、目元と頰に朱をのぼらせた澪は、何か訴えたそうに、だが何も口にせず爪先で彼の向こう脛を小突いた。


「いって。なんだよもう」


 そう身をよじった彼の手が、何かに触れる。岩槻駿の細身の肩だった。


「もう一晩泊まっていくか? その手足を切り落として」

「いやぁしばらくは良いですわすんません」


 ふわふわした詫びを聞いて、女副長は苦々しげにため息をついた。

 それから霧生の背に隠れていた澪の姿を認めると、手の中で畳まれていたそれを澪へと投げつけた。


 弧を描いて舞い上がるそれが、空中ではらりと解ける。

 一着のマントだった。

 女性用にしても丈の短いそれは、裏地と裾が青く濃く染め抜かれ、波紋が要所にあしらわれていた。

 それが誰の持ち物となるのか、それが意味することは何か。そんなものは一目瞭然だったが、受け取った当人は、それを腕に通すこともなく呆然としていた。


「我らが敬愛すべき、局長殿からの贈り物だ。それと、本日付で正式に君を一隊員として遇することとなった。あのワガママオンナ……じゃなく局長に感謝して、以後職務に精励するように」


 これ以上は関わりたくない。面倒ごとに首を突っ込みたくない。

 早口で辞令と訓戒をまくし立てた長身の美女は、言外にそう訴えてきた。


「だとさ。どうする? 神殺しに加担する覚悟ができたか?」

 戸惑っている澪を促すようにあらためて問うた。

 霧生を睨み返した澪は、それから間を置いて答えた。


「……拒否はできるけど、しない」


 ほう、と霧生は口を丸くした。

「それは、貞操を奪った憎っくき仇だからか?」

「そうじゃない。彼らだって、被害者だ」

 まっすぐに、迷いなく、澪は言った。自分が殺すと宣言した、あの時と同じ口で。


「だから、僕は彼らを鎮めるために戦う」

 海城澪は、華奢な双肩にマントを負った。


「仇だからじゃない。神子や花嫁だったからでもない。すべてを失った者同士、同じ痛みを抱える者として、苦しむ彼らを救うために戦おうと思う。僕の新しい人生は、たぶんそこからしか始められないから」


 そうか、と霧生は頷いた。

 もう少し抑揚をつけた方がこの安堵と感動が伝わるかと思ったが、いかんせん性分だ。どうしようもない。


「んじゃ抱負の表明も終わったところで、本拠に行きますか」

「本拠? ここが屯所じゃないのか?」


 純朴なその問いに、霧生は悪童の笑みを浮かべた。




 首都、豊吉中央駅の構内に、長大な黒鉄が、大きな唸り声をあげて侵入してきた。

 その大音量に対抗するかのごとくレールが激しく鉄音を鳴らした。

 炉の口のような突起が、朝空目掛けて黒煙を吐き出し、そこに十両ばかりの巨大な筐体、否屋敷からくり抜いたような部屋と荷台が連なる。


 その重量感に圧倒されているのは澪ばかりで、他の隊員は音にも姿にも慣れた様子で、停車したそこへ荷物を手にぞろぞろと入っていく。


「どうよ。大陸横断用大型機関車『春告鳥うぐいす』。海外まで線路の規格が一緒の超便利な乗り物。来るはずだった春を告げるための、俺らの一国一城だ。こいつで駆けずり回って異神討伐って寸法よ」


 立ち止まった澪の背に、霧生はのしかかっていたずらっぽく囁いた。

「……、べつにっ、ここに来る途中、他のなら遠目に見たし」

 そう突っぱねたものの、その声は上ずっていて、足取りは速まった。


 だが、ふと思い立ったことがあって、澪は入り口の前で足を止めた。

「どした? ……あ、別に履物は脱がなくて良いぞ。そのまま駅に置いてっちまうからな」


 茶化したのかあるいは経験による真摯な忠告なのか、相変わらず判断に苦しむ調子で彼は言った。


 だが、それは適当に流した。きょとんとする彼に、ぐっと手を差し伸ばす。


「これから、よろしく……霧生」

 と言い添えて。微笑をまじえて。


 東雲霧生は、目前の手を見つめ返した。

 次いで、微笑を引きつらせる澪の顔を見た。


「?」

 そして無表情で小首を傾げた。


 澪は耳や頰どころか、首筋まで真っ赤になって硬直した。


「……あぁー」

 首の角度を戻した霧生は、間延びした声を出してポンと手を打ち、ようやく握り返した。


「よろしくなー」

「遅いわッ! お前が言い出したことだろうが!」

「そりゃあ言う時機が悪いって。いつの話だよ」

「昨日のことだよ!」

「そうだっけ」

「昨日会ったばかりなのにほかにいつ言う機会があったんだよ!?」

「まぁそんなことよりほれ、あとがつかえてるだろ。入ろうぜ」


 吠えたてる澪をいなし、その手を強引に牽引していく。抗おうとしたが、ふしぎと力が入らない。『深層世界』へ潜って逃れるという選択肢が、ふしぎと頭から抜け落ちていた。


 そんな彼らを乗せて、『春告鳥』は飛翔する。

 時代という海、その深みに取り残されたものたちを、明日の空へと引き上げるために。

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神域ヴァンダリズム ~海神の男嫁と晴天の剣士~ 瀬戸内弁慶 @BK_Seto

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