第8話

 実砲の衝撃が、地表の泥濘を波打たせていた。

 兵舎で銃声が響くのはいつものことだが、これは木人や的相手の演習ではなく、神相手の実戦だった。


「撃て、撃て撃て!」


 誰のものともしれぬ声が連呼する。そして強要されるまでもなく、銃を握るすべての人間が、引き金を絞り続けた。銃身が熱するのも構わず。


 その連射が功を奏したのか、ナナフシの注意は未だ施設の内に留まっている。


 だが、その分兵士たちへの反発は強かった。


 その長い手足が大きく左右に旋回するたび、家屋が倒壊し、火器に引火し爆発し、悲鳴があがる。


 飛び散る泥がその節足を離れると同時に硬化し、岩石となって頭上から、あるいは正面から、殺人的な質量でもって飛来してくる。


「おぉっ」

 ハシゴと棟を伝って屋上に登りかけた霧生の頭頂を、突起のついた岩石がかすめた。

 それをやり過ごして登り切ると、ちょうど目線の高さに虫の胴体部があった。

 この超常の情景を目の当たりにした霧生は、絶景かなと称賛しつつ写真の一枚でも撮ってやりたくなった。だが、そんなことが許せる状況でもなかった。


「ぐあっ!」


 そら見たことか。現に、傍らにいた椎名しいなに泥玉が当たった。

 肩肉を貫通した土の弾丸は勢いを喪うことなく足場を揺るがした。大きさこそさほどでもなかったが、その重い音だけでも、威力のほどは推して知るべきだろう。


「うわっ、なんか痛そうだな。大丈夫か?」


 彼としては本気で案じているつもりなのだが、例のごとくその声は感情とは縁遠いもので、まして相手は反霧生派の急先鋒だ。

 涙を溜めた眦を吊り上げて、食ってかかった。


「状況をかき乱すだけ乱しておいて、傍観しているとは余裕だな!」

「そうは言ってもなぁ。相手の観察は兵法の基本だろ?」


 暖簾に腕押し柳に風。ありったけの憎悪や敵意にも、特別な反応を示さず彼は抜き身の刀を肩に担いだ。


 浅い反り、長さこそ尋常の域を出ないが、刃肉の豊かについた剛刀で、遣い手の技量によってはそれこそ鉄鎖鉄錠さえも叩き割る。


 拵えは山賊のダンビラのごとき様相だが、さる神社に納められていた霊刀である。


 それでおのが肩を叩きながら、少年剣士は機を待った。


 暴れる複腕が足場を削っていく。

 泥玉が、眼前を飛び交う。


 最低限の動作でそれらを回避しながら、しかし彼の目線は異形の神から外れない。


 やがて、彼とその神との間に空白とも呼ぶべき空間が生じた。いや、その兆候を予期した。


 怖れどころかためらいの一つもなく、彼は飛んだ。

「一見さんお断りの店でも、暖簾をくぐりゃあ」

 とうそぶきながら。


 何本もの腕が、虚空に身を彼に殺到した。

 四方から迫るそれには一顧だにせず、ただ正面から向かってきた一本の腕のみ、落下の速度を借りて切り落とした。


「この通り、ちゃあんと受け入れてくれる」

 そこから胴体の下に入り込んだ。

 多少軟化しているきらいはあるが、ナナフシの真下の土は一人分の体重を支えることができるようだった。


 だが、それをよしとしないその神は、みずからの腕を胴の下へと潜らせた。

 逃げ場のない彼をつかんで引きずりだすべく蠢動する腕は、しかし、


「ほらな」


 霧生に、届くことがなかった。

 その体格の構造上、霧生の間近にこそ迫れるものの、いくら伸ばそうとも、その指は彼の眼前でわななくことしかできなくなった。


 手前で蠢くその一本を、容赦なく彼は斬り上げ、刎ねた。

 切っ先が虚空に弧をえがいて翻る。次いで二本目を大上段に切断する。


 そして彼は駆け出した。

 粘土に足を取られるよりも速く、たくみに体重の負荷を調整しながら走る。


 野狐か、あるいは狼のように上体を低くして、その霊魂を宿すかのような敏捷さで、刀を縦横に躍らせる。緑がかった白い腕を、剪定していく。血はつかない。流出した次の瞬間には、あたかも存在しなかったように煙となって消える。それは切り離された肉片だって同様だった。


 五本ほど斬り飛ばしたあたりで、物言わぬ大蟲は大きく肉体の均衡を崩した。

 片方のみその支えを失った身体は、その逆側を浮かび上がらせ、無防備にさせた。


「今だ!」


 それを見た駿が、切り込むような号令を発した。

 当意即妙。彼女の狙いを察した屋上の狙撃手たちが、宙を彷徨う腕たちを穴を開け、さらにその穴を穿ち、拡げるように射抜いていく。


 もはや神は、オタマジャクシの出来損ないか、でなければ踏みつけられた芋虫のようだった。

 その身を震わせながらのたうちまわるそれは、頭から泥に突っ込んで、地中に潜り込む。


いや


 逃げ込もうとしているのは、現実の土の中ではない。

 こことは別の、裏側の世界だ。


 その全身が消えると、視界が大きく開けた。

 霧生の、蟲のいた地点の正面に、件の少年が、海城澪がいた。


 朱の差した唇を引き結ぶ反面、その瞳は揺れている。

 中性的なその立ち姿に、霧生はひらひらと手を掲げて見せた。

「あとはよろしく」

 と、声にはせず、口だけを動かす。


 ややあって、美少年の姿は泡としぶきを立てて消えた。

 間を置いて、何の前触れもなく建物に衝撃が奔り、崩れ、傾きを見せ始めた。


「退避、退避ーッ」


 頭上で警鐘を鳴らすかのような声が響く。

 一番の重症であろう椎名が引きずられるようにして建物から出てきたのを見たので、他に逃げ遅れた隊員もいなさそうだが、見えざる何者かによる破壊は、際限なく施設の中でおこなわれていた。


「おーおー、派手にやる」

 まるで花火見物にも似た調子で感嘆を漏らす霧生に、副長が駆け寄った。


「おい、大丈夫なのかアレ!?」

 と慌て気味に尋ねる彼女に

(それを判断するのはあんただろうに)

 と言葉にせず胸中でぼやいた。だが同時になるほどとも納得した。

 たしかに、海城澪の在り方をかろうじて理解しているのは、自分ぐらいなものだろうか、と。


「まぁ、大丈夫でしょう」

 なんとなく、で少年は太鼓判を捺した。


「皆を守る。施設から出さない。そして神を鎮める。あいつそんぐらいしか、今やりたいことないでしょうし」

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