対「幸運」戦

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 サーバー2の全住民の移住がはじまる十月一日を控え、サーバー4では移民の排斥運動が具体的な行動を伴うものになりつつあるのは、大輔も篠崎から聞いてはいた。サーバー4の大手同盟の中には、移住後の保護を保証するかたちで、サーバー2の住民たちに周辺住民の殺戮指令を出しているところさえあった。彼らは、移住してくる住民がひとりでも減れば、それだけサーバー4への影響が小さくなると考えていた。大手同盟の保護を得るためには五人の首が必要とされ、魂を売った殺戮者たちははじめ、町を一つか二つしか持っていない弱い者を標的としていたが、大胆にも小規模の同盟に戦争をしかけるものも現れていた。ホワイト・ライオットはユダに狙われるのではないかと篠崎は指摘した。正義の味方のような顔をして、難民を広く受け入れたホワイト・ライオットはただでさえ頭に来る存在であったし、町を一つか二つしかもたない難民を多く抱えるために、同盟間順位の割には、戦闘能力そのものの評価も決して高くはなかった。

 そのため、はじめに緊急幕僚会議の召集を聞いた際は、大輔は名を伏せた殺戮者たちから、何らかの攻撃があったのだとばかり思っていた。幕僚会議の前に情報を集めようとして、家に帰ってくるなり、その件で、篠崎に連絡を試みようとしていたし、この世界を扱うブログで現状を知ろうともしていた。

 だが、実際は今度の相手はもっと巨大で、仄暗い相手だった。篠崎がインターネットの世界は結局はクソだと言っていたことが思い起こされた。情報担当相からの説明のあいだ、大輔は眼鏡の弦に巻いたセロテープにたまる汗を何度も拭きとっていた。血がこびりついた、その顔にときおり、痙攣のようなものが走っていたのは痛みのせいだけではないように見えた。「一番の幸運は生まれないこと」は具体的に数値となっているものも大きかったが、大輔はその背後に控えている暗としたものと向かい合っていた。それは大輔にとって、ずっと相対してきたものだったのかもしれない。ながく、執拗に他人を虐める人間が共通して抱えているものをそこに感じとり、大輔は怯えていた。

 「一番の幸運は生まれないこと」は謎の多い同盟であった。「ゲームの廃人」から派生したとされていたが、その説の出処さえ不確かなものだった。「ゲームの廃人」はこの世界に一日中常駐しているがために、現実の社会ではまったく役立たずであった者どもが、自嘲的なやりとりをするために集まった同盟だった。それが、なぜ、この世界の破壊そのものを目論むようになったのかは、ホワイトライオットやその友好同盟も把握できずにいる。盟主とされた「痴漢者トーマス」は町を一つしかもたない無名のプレイヤーで、何者かにアカウントを乗っ取られ、傀儡として祭り立てられているだけのようだった。だが、いったい、どこのだれがここまでやるのかがわからない。

 プレイヤーがこの世界をやめることを選択した場合、その町は以後、マップ上では灰色で表示される。サーバー2の廃止が決まる以前は、一定の時間を経て、新規加入者に新たに与えられたが、今は新規募集を行っていないがゆえに、灰色の町のままサーバー2の終わりを待つことになった。どういうプログラムであるのか、灰色になった町にはうっすらと町の名前が残り、それがまるで墓標のようでもあった。幸運はこれを「灰化」といい、サーバー2のすべての町は灰化した状態で10.01を迎えるべきだとした。サーバー4で新たに苦労を背負い込むことなどしなくともよい。サーバー4への移住は運営への迎合であり、己自身の堕落でもある。幸運は自らの町を「灰化」することを解脱と呼び、ひとり十の町を灰化せねば成仏できないとした。十以上の町を道連れにすることを功徳を積むと表現し、できるだけ多くの町を灰化することが奨励された。

 未来を不要とする「幸運」の狂信者たちは俗世間の面倒を嫌う。彼らは不戦条約や、相互援助条約の締結など考えもしない。共同出兵や戦線の構築などの作戦なども立案されず、ただ、ひたすら全軍で一つの町に攻め込むのが彼らのスタイルだ。神風アタック、蝗の群れと比喩されたかれらの攻撃が、次第にサーバー2を席巻するようになっていた。狂信者たちは生産されるブラグをすべて徴兵にあてるために多くの兵隊を持てた。現実社会にて、他にやることをもたないために執拗に、何度でも相手の町に兵を出した。十以上の町を支配下においた者は、己のすべての町を「灰化」させ、サーバー2から消えていくのだが、一番の幸運は生まれないことに加わる者は後を絶たず、その勢力はむしろ拡大する一方であった。

 たしかに、彼らの生き様がある種の美しさを持っていたのを大輔は否めなかった。細々とプラクを貯めて、ソーラーパネルステーションとプランクトンクッキー工場を少しずつ増設していき、ここは不戦条約を結んだ相手の町、ここは相互援助条約を結んだ町とがんじがらめの中で生きているのに比べて、彼らはこの世界の真髄である戦争を十二分に楽しんでいる。

 ホワイト・ライオットでも、何の断りもないまま、幸運に入るものが幾人か出始めていた。その多くは元難民だった。彼らは元々、ホワイト・ライオットらしからぬ人物で、戦争狂いの連中でもあった。ホワイト・ライオットの庇護下でしばらく安穏な生活を送ったのち、その非戦的な態度に嫌気がさして、最後に徒花を咲かせることを望んだとみられた。だが、昔からの同盟員の中からも、「幸運」に参加する者がではじめていた。「二段階右折」、「ルイ21世」、みな、先の大戦で多くを学んだはずだった。平和のありがたみが身にしみたはずであった。彼らの心に何が巣食ったのだろうか。

 情報担当相からの「不幸」に関するレクチャーを終えたのち、各方面長による「灰化」についての報告があった。各方面で 「一番の幸運は生まれないこと」は町々を急激に灰化させていた。幸運はまず全兵力をもって隣の町に攻め込む。そして、相手が手強いと「殺したいリスト」にその町の名を載せる。それをみて、幸運のうち、兵が出せる人間が全兵力をそこに注いでいく。つまり、「一番の幸運は生まれないこと」は勝つまで戦争を続けるのだった。

 もちろん、ホワイト・ライオット以外の同盟もただ手をこまねいていたわけではなかった。ホワイト・ライオットは参加資格をもたないトップ20会議でも、「対幸運」戦の発動が議題にあがったようだった。だが、残念ながら、そこでは対幸運共同作戦の発動は見送られてしまった。外務大臣の「千代の不治」が少数精鋭タイプの同盟が反対したらしいことを報告した。少数精鋭タイプの同盟は、サーバー4の移設後は勢力が縮小されることが予想された。彼らが、一種の人減らしである「幸運」の動きを好意的に受け止めているのは容易に想像できた。彼ら自身は灰化の被害に遭う可能性も少ないであろうことも千代の不治は合意に至らかった理由として上げた。

 好意的に思っているどころか、はっきりと援助しているのだ! ハナゲバラがそう書き込んだ。「幸運」の中には、四十以上の町を持っているのに灰化していない畜生共がいる。そのうち、二名はトップ二十の「はい、苦しんで!」の元メンバーである可能性がある。名前こそ変えていたが、その持っている町の配置に記憶がある。ハナゲバラはそう断言して憚らなかった。

 ――いいかい。ホワイト・ライオットは、今すぐに、無期限の「対幸運」戦を開始すべきだ。同盟結成以来、大戦を控え、外に和を訴え、内に力を蓄えてきたのはこの日のためだったんだ。強さよりも誠実さの素質で同盟員を求め、栄光よりも挫折を知る者を加えてきたのもこの日のためだったんだ。

 どうしようもない境遇を前にして、人としての尊厳を捨て置き、他人を無理やり巻き込もうという「幸運」たちの行動は許し難い。灰化に巻き込まれた者の中には、この世界を生活の糧とし、サーバー4で新たなスタートを切ることを望んでいた者も多くいたはずだ。たしかに、灰化されたとしても、新規会員を募集しているサーバー5で新たな会員となればいい。だが、それでは、サーバー4に移るであろう、戦友たちと離れ離れとなり、これまでの物語は断ち切られてしまう。人間同士の愛着やつながる心を打ち砕いては、絶望を強制し、自分たちの弱さを押し付け、希望を断ち切る彼らの行為が見過ごされる世界にしてはならない。今まで、戦争の相手にも敬意を持って接してきた我々であったが、「幸運」はそれにも値しない。

 今後、ホワイト・ライオット八八名がひとりも欠けることなく「殺したいリスト」に載ることを望む。激しい戦いの末に、全員が対幸運戦を乗り越えることを誓い合おう。この世界サーバー2に正義だけを残し、我々はサーバー4に移住するのだ。サーバー4で我々は最大限の敬意を払われるはずだ。誰も我々を臆病とも卑怯とも言わないであろう。言えるはずもない。

 真の勇気を備えたものとして、ホワイト・ライオットはサーバー4のソフトパワーの王として君臨するのだ。


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 いつ帰省するのだとの私の向こうで美希が言っていた。アルバイトが忙しいから、もう少し待ってくれと大輔はやや突慳貪に答える。保護者宛に送られる大学ニュースレターに掲載された授業風景の写真に大輔らしき男の子が写っていたけど、気がついた? 女の子と話しているように見えたよ。そういう美希の声に大輔はわずかに身を震わせる。「大学」も「女の同級生」もとうに大輔が捨てたものであった。気が付かなかったよ。いつのまに撮ったのだろう。ありえないことであるのに、大輔は無理して明るく振る舞っている。

 美希は仕事をやめて、家で療養する和哉の看護に専念していた。パートに出られなくなったために、まとまった金を借りたようだった。パパがよくならないとどうしようもないのよと美希は言った。パパが元気になれば、また、二人で返すけれど、パパが駄目ならば、この家は売り払って、母さんはアパートでも借りるよ。美希の言葉に、さすがに大輔はこの世界の相手の町との距離を測る手をとめた。ねえ、あんた、経済学部なんでしょう? なんか、お金儲けの話とか知らないの? 株とかさ。そう美希は続ける。大輔の表情は強張った。大学の経済学の授業を受けているというだけで、無計画だった自分たちの人生を救うような知恵が授かれると期待する魂胆を怒鳴りつけるのかと思ったが、変に穏やかな口調で「考えてみるよ」とだけ言う。

 大輔にも世間の基準というのが否応なしに見えてきていた。自分の両親がどの程度のものであるか、わかってきていた。学生に図書館が楽しいものだと思わせるために漫画を充実させる大学に通い、レジが三つしかない小さなスーパーマーケットでレジを打っただけでも、むしろ、そういう生活を送っているからこそ、そこで見知る人間と両親を同定することで、よりよく理解できた。

「バブルの時も、震災の時も、結局、政府は何もしてくれないでしょう。嫌になっちゃうね」

 と美希はいう。

「そうだね。お金のことを俺も考えてみるよ」

 大輔はマップ上で相手の町との距離を測る作業を再開する。心を揺れ動かすことなく、ともかく、母親との会話を無事に切り上げることだけを大輔は願っているようであった。

 折れたフレームをセロテープでとめた眼鏡を恥じているわけではないのだろうが、近くのセブン-イレブンに買出しにいく以外、外に出ることもすっかりなくなってしまった。セブン-イレブンでは、私を首から下げたまま、卵と野菜ジュースを買うだけで、すぐに部屋に戻った。風呂の中でソフトクリーム型のアイスを食べる贅沢もこの頃は我慢している。先月のアルバイト代は計算よりも五千円ほど多く振り込まれていた。おそらく店長が口止め料として、すこし足したのだ。人のことを舐めているのかと突き返してやることを大輔は考えたが、今はすべての意識を対幸運戦に向けるべきだと思いとどまった。戦争の指揮官はリアリストでなければならない。五千円は一日、五百円で生活すれば十日分の戦費になりかわる。サーバー4への移転が始まる十月一日まで、大輔はどんなことをしても戦い抜くつもりでいた。からだは痩せこけ、顔色も土のようであったが、目だけは輝きを強めている。


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 対幸運戦はホワイト・ライオットにとって悲惨な戦いとなった。開戦初日でホワイト・ライオットの二十近くの城が奪われた。ホワイト・ライオットが宣戦布告と三日後の攻撃開始を予告すると、幸運は雲霞のごとく、ホワイト・ライオットの方々の町に攻め込んできた。幸運が得意とする乱戦を避けるために、戦線を構築するという当初の作戦は、幸運の進軍の勢いにまったく機能しなかった。大輔はこの事態に唖然とし、憤慨していた。ホワイト・ライオットの幕僚たちはあくまで今までの戦争と同じように戦おうとしていたのが間違いであった。立案当初から、彼らは事を誤っていることはわかったが、それがどの部分でどう誤っているのかを具体的に指摘することができなかった。あの暗がりについて、言葉で知っているのではなく、実態を先に知ったがために、かえって言葉で表し辛かった。作戦の失敗の責任をとり、参謀長の「ロバートパチーノ」は辞任し、全兵力で幸運の町に特攻攻撃をしかけたが、空になった町を目ざとく奪われ、すべての町を灰化された。ハナゲバラは各方面で個別に作戦を立てて対処するように指令を出した。守備が手薄なところを選んで、兵を差し向けてきたと思われる幸運の動きから、当然にスパイの存在が疑われた。指揮命令系統の何度かの混乱を経て、掲示板内での討議による全体的な作戦の検討を停止し、各方面では方面長と副方面長がメールで個別に作戦を立案することになった。各方面長からの報告をあつめ、ハナゲバラが全体の調整を行うことにしたが、実際のところ、ハナゲバラにその余裕があったのだろうか。ハナゲバラは外交を通じて、「幸運」包囲網の形成をいまだ諦めていなかったし、その動きのせいで、個人としても「幸運」の殺すリストに掲載されたようで、自分自身の町の守備に忙殺されていた。

 そんな中、大輔は対幸運戦の初日で、幸運の町を四つ落とした。二日目は続けて五つの町を落とした。三日目には六つの町を落とす計画であったが、逆に獲得した町をすべて失った。いつものくせで、獲得した町にはまず善政を施そうとした。荒れ果てた町にプラクを送り、廃材と交換し、プランクトンクッキー工場とソーラーパネルステーションを増設した。灰化されようとしていた町にまず、食料と燃料を供給しようとしたのだ。だが、内政が効果を出すまえに押し寄せる幸運の連中の軍隊に城を奪い返された。大輔は自分自身もやり方を誤っていたことをみとめざるをえなかった。無駄にプラクを失っただけだった。そのプラクを徴兵にあてるべきであったのだ。ここは戦場であった。

 ホワイト・ライオットの同盟員たちは、作戦について言及することを注意深く避けながらも、この戦争について掲示板で語り合い続けていた。みなが一様に幸運が徹底して戦争に純化していることに恐怖を覚えていた。幸運から奪いとった町は破壊され、搾取しつくされていた。生産力はほとんどなく、町の人間は限界まで徴兵されている。彼ら幸運にとっては、そこはいずれ灰化する町であった。いずれ、十月一日をもって、サーバー2はすべて消えてなくなってしまう。どうなろうとしったことではなかった。彼らは正しいのではないかとホワイト・ライオットの中には考え始める者もいた。

 それでも、内政を行うべきだというのはハナゲバラの主張であった。たとえ、無駄であっても、町の復興を図るべきだとハナゲバラは書き込んだ。世界が終わるとわかっていても、朝、コーヒーを淹れて呑み、いつもの時間の電車に乗って、出かけるのがプライドというやつだとハナゲバラは記した。どうせ、この世界は終わるとなどとは絶対に考えてはならない。その一点が心を曇らせ「一番の幸運は生まれないこと」を作り出す。ホワイト・ライオットの一部ではこの開戦のころから、ハナゲバラへの反発が高まっていた。ハナゲバラのこの書き込みに対しても、同盟員のひとりが「同志ハナゲバラさん、毎日、電車に乗って通うところなんてあるんですか?」とあげつらうような反応を見せた。それに対してハナゲバラは「今の僕には毎日、通うところはありません。ついでに、毎日朝に呑んでいるのも玄米茶です。これは比喩です」と静かに答えていた。ウイットはそこにはいっさいなかった。誰もそのあとに何も書き込まず、長い間、ハナゲバラのその書き込みだけが残された。

 ホワイト・ライオット内の何かがおかしくなり、瓦解しはじめていた。あれほどの結束を誇っていた同盟であったが、次々と町が奪われている中で、皆がこの状況に戸惑い、憤っている。大輔の目にも、北西方面方面長のポンペイウスの怠慢が赦しがたく映った。もっとログインしなきゃダメです。朝も昼も夜も、この世界のことを考えるべきなんだ。今は、非常時なんです! 戦争中なんです! スマホからメールを幾度となく送ってもいた。北西方面の同盟員である「アユ・ラブ」が幸運からの攻撃で町を攻略され、支配下の町がひとつになるところまで追い詰められていた。最後の町にも、南の方からとんでもない大軍が進軍中だった。大輔は自分自身の町も攻撃を受けており、ひとりでアユ・ラブを守れるほどの援軍を出せる状況ではなかった。比較的余裕のある他の地区の同盟員に攻撃主の城を攻めてもらうか、北西方面内で、どうにか援軍をやりくりするかの方法が考えられた。「アユ・ラブ」は足手まといになりたくないので、援助はもう必要ないと言い始めていた。少しでも、相手の兵隊を道連れにするために、旦那の一円玉募金の缶をくすねてプラクを購入し、兵隊に替えたと彼女は大輔へのメッセージに書いていた。「わたしは子供を三歳の時に病気で亡くしていて、あの子の闘病のことを思うと、ゲームだとしても、あいつらの同盟の名前は絶対に許せないのよ」とも彼女は記していた。

 「サーバー2の閉鎖が決まっていなければ、ここで死んでも、またサーバー2でやり直せたのに、それも赦されない。ホワイト・ライオットの中での何気ない会話とか結構好きだったのにな。わたしは、この世界でもついていなかった……。最後までかっこよく戦っていた。そう皆には伝えて。ホワイト・ライオット万歳!」。最後の町が陥落する寸前に、彼女から送られたメッセージを大輔はそのままポンペイウスに転送した。北西方面の同盟員十七名がひとりたりとも欠けることなく、サーバー4に移住するという目標の達成が早くも不可能になった。大輔はその後も幾度となくポンペイウスにメッセージを送った。北西方面の同盟員はもともと、この世界の住民歴が浅く、戦力としては期待できなかった。町を百以上持っているポンペイウス自身の出兵が頼りだった。


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 「地元の祭りがあって、商工会での仕事で忙しかった」。ポンペイウスからようやく返事が届いたときには、アユラブに続き、三名の北西方面在住の同盟員が幸運に打ち破られ、町を灰化されてしまっていた。元方面長の大仏も灰化されてしまった。それでも、ポンペイウスは、無策だった自分の責任についてはいっさい反省せずに、幸運との戦争を「しなくてもいい戦争」と表現し、この戦争自体を詰るだけだった。今後の展開についても、「とにかく、互いになんとか生き残ろうぜ」としか書いていなかった。

 大輔は意を決し、ポンペイウスに電話をかけて直接話すことにした。方面長と副方面長の「特別の信頼関係」に基づき、以前、メッセージ上で携帯電話の番号を教え合っていた。同盟の存亡に関わる重要な事象が発生した際はホットラインをつなげて対応しようと約束してあった。同盟の存亡が危ういのは今をおいてほかになかった。

 大輔の予想に反してポンペイウスはすぐに電話に出た。小うるさい副方面長からの電話だというのもわかっていたようだった。大輔は電話は無視されるものだと端から諦めていたところがあったため、吃りながら、「この電話はあなたのホットラインでございます」と妙なことを口走ったが、ポンペイウスは笑いもせずに「ああ」と答えた。しばしの沈黙ののち、朝から祭りの子ども山車の警備をしていて、今は公民館で休憩中だとポンペイウスは口にした。夜は青年会でも出店を出すから、これからシャワーを浴びて、また、すぐに出かけなければならないとも言った。電話の向こうから、祭りのお囃子が確かに聞こえていた。大輔にはそれさえが、ポンペイウスが用意した言い訳の演出のように響いた。大輔は深呼吸をする。相手は敵ではなかった。これから一緒に戦わなければならない仲間であった。だが、許しがたかった。ひとりだけ遠くはなれた場所で、勝手に醒めきっていた。

「昨日、俺は幸運の町を三つ落としました。アユラブさんの敵討ちのつもりです」

「幸運か。本当に大変みたいだな」

「大変みたい? 他人ごとじゃない。とっくの昔に開戦してるんですよ」

「幸運は攻められた攻め返すんだろう? 普段は放置されたような町を攻めているだけで、自国の防衛のためだけに戦う。おまけに彼らは敵を同盟単位でとらえない。大人しくしていれば、幸運は攻めてはこない。違うか?」

「いや、そんなことはないんです。それはデマです。そのデマも彼らの作戦なんだ。実際には、彼らはここぞという時には全力で攻めてくる。だいたい、彼らは交戦歴の管理なんて七面倒臭いことはしていませんよ」

「しかし、実際問題として、アユ・ラブさんも幸運の町を攻めたことがきっかけだろう?」

「だから、違うって言っているだろう! わからない人だな。それは奴らの嘘だ。策略なんだ。アユ・ラブさんは対幸運戦にはまだ出兵していなかった。彼女をサポートしてあげて、2つ目、3つ目の町を一緒にとったときのことをポンペイウスさんも覚えているでしょう? 彼女はその町をただ、サーバー4に移る前に、できるだけ大きくしよう。レベル200を越えて、町の外観が変わるのが見たいとがんばっていただけなのに、その町を奪われて、灰化されてしまった。彼女自身も殺されてしまい、移住もできない」

「殺された?」

「ああ、殺されたんだ。確かにこれはゲームだが、それがなんだっていうんだ? なあ、それがなんだっていうんだ?」

「彼女は殺されてなんかない」

「いや、それは違う。それは絶対に間違っている。地球ではなくて、月で死んでも死は死だろう。それと何がちがうんだ? 俺もおまえもアユラブさんとはもう連絡がとれない。これが死じゃなくて、なんなんだ。『緊急時ホットライン』だなって言っておいて、いまさら俺の言っていることがおかしいなんていいだすのか? この野郎!」

 そこから大輔は自制を失い、沸き立つ怒りをそのままぶちまけた。私自身を激しく揺らしながら、ポンペイウスをなじり、攻め立てた。ただ、祭りの会場で電話を受けているポンペイウスは大輔の話に耳を傾けるよりも、聞き耳を立てている周囲に話の内容を隠すことに意識が向いていて、話が咬み合わないままでいる。次第に大輔も発する言葉が底をついてくる。大輔も疲弊し、参っていた。大輔はやがて戦時にうちわで揉めるのはよくない。言い過ぎたと謝罪をはじめる。ホワイト・ライオットはあなたの兵力を必要としていると懇願さえした。ポンペイウスは「戦時か」と小さく笑った。「戦時だろう」と大輔は再び食って掛かる。

「おい、少年。もう、いいよ。そのキンキン声を聞くと、頭が痛くなる」

 とポンペイウスは少し声を大きくする。それから、ホワイト・ライオットを抜けること、ハナゲバラに新しい方面長に大輔を推薦しておくことを静かに大輔に伝える。

「俺はもうこの世界自体もやめるよ。アカウントを君に譲り渡そう。あとでパスワードを君の電話番号に変更しておくから、俺の町と兵隊を好きにつかってくれよ。もともと、この夏の前ぐらいから、考えていたんだ。甥っ子たちが節電だって言って、スイッチ消して歩いている中で、伯父がゲーム三昧じゃあ、バツが悪いよ」

 ポンペイウスは自分はすでに納得したような物言いで、じゃあ、がんばりなよと電話を切ろうとする。大輔は声をあげて、まだポンペイスを引き留める。

「ポンペイウスさん、頼みます。切らないでください。話を聞いてください。俺たちはまったく新しい局面にいるんです。もうひとつの世界を築きあげることができるかもしれないんです。僕は大学の一般教養で「進化学」をとっているんですけど、人は森から離れて初めて人間になれたんです。はじめに森の木を降りた猿はおそらく、森にどこか馴染めなかった猿で、普段からバカにされていて、おそらく、森を出るときも、気が狂ったぐらいにしか思われなかった。背中に罵声と嘲笑を浴びながら、森から離れていったんです。でも、その猿は結果的には人間としての一歩を踏み出していた。今では、森を出た猿は森に残った猿どもを動物園で飼っている。

 これは示唆的だと思いませんか?

 俺らにとって、「この世界」は森の向こうなんだ。他人にとっては、何もないところかもしれないけれど、俺にとってはそうじゃないんです。森に居場所がないと知る勇気、森の木から離れる勇気、その二つの勇気を持った猿だけが、人間になれた。

 俺はこのまま、森の向こうに向かいます。絶対に、何かがあるはずです。一緒に行きませんか? ねえ、ポンペイウスさん」 

 ポンペイウスはすでに電話を切っていた。大輔は急ぎかけなおすが、相手の携帯電話は電源が落とされ、ついには着信拒否の設定がなされた。ホットラインは二度とつながることはなかった。 


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 ポンペイウスが戦列を離れ、北西方面の指揮は大輔に任された。ポンペイウスの推薦によるものではなく、戦時中に方面長がいなくなった場合、副方面長が自動昇進する内規に基づくものであった。

 ポンペイウスは自ら町を灰化していった。北西の雄、ポンペイウスの灰化はブログ「今日のこの世界」でも報道された。彼が隠れ幸運であったとの説も紹介されていた。直接ポンペイウスと話した大輔は違う考えであった。ポンペイウスはただこの世界に飽きていて、それゆえ、無為であっただけだ。

 アカウントを譲り渡す約束をポンペイウスは守らなかった。彼の百超の町があれば、ホワイト・ライオットの戦いがどれほど楽になるのかを知りながら、あえて町を灰化させた。自分へのあてつけであることは大輔にもわかった。電話を切ったあとの胸糞の悪さをポンペイウスはかたちで残したのだ。大輔は、どうにかして、彼の所在を暴き、自宅を急襲してやることも考えたようだが、方面長としての職責がそれを押し止めた。今、大輔はこの世界を離れるわけにはいかなかった。

 大輔は戦い続けることを選んだ。ときおり、どこかにある疵が疼くのか、スーパーマーケットの店長の名や、ロトの名を検索にかけて、SNSでその過去を知ろうとしたりもしたが、押し寄せてくる幸運との戦いにすべてを費やしているといってもよかった。

 北西地区に残る同盟員四名には比較的平穏な南に町を一つ持つことを勧めた。他人のことを守る余裕が大輔にはなかった。北西地区は巨人ポンペイウスの灰化によって、パワーバランスが大きく崩れてしまった。ホワイト・ライオットはプレゼンスを失い、幸運以外の同盟から攻撃を受ける可能性さえあった。もっとも、南に逃げたところで安穏に暮らせる保証はなかった。北西方面以外の地域でも、ホワイト・ライオットは幸運に町を奪われ続けていた。すでにトップ五十位内の地位も失っていた。幸運はホワイト・ライオットに的を絞りつつあった。

 他の同盟とともに幸運包囲網を構築することをついにハナゲバラは諦めた。相変わらず、大手同盟のいくつかは灰化運動を後押ししている向きが見られた。中小同盟においては、幸運へ加わるために脱退者が後を絶たず、中には自棄になって同盟単位で幸運に加入した同盟さえあった。夏の暑さに多くの者が苛つき、傷つき、死ぬための戦いに惹かれていく者は増える一方だった。

 ブログ等の報道によれば、サーバー2のプレイヤーはすでに全盛期の三分の二まで減少してしまったらしい。ただ、単純に辞めていった者もいるだろうが、灰化運動に巻き込まれていった者がほとんどだと説明されていた。

 お盆に帰省しなかったため、美希からは、頻繁に電話が来ていた。大学は半期ごとの単位取得の結果について、親元に封書で知らせている。大輔は期末のテストを受けていないがために、いくつか単位を落としていた。これを美希は気にかけていた。大輔は二年の前期は普通、単位は取らないんだと嘘をついた。三年で単位をとった方が就職が有利なのだと適当なことを口にしていた。大学に行かなかった美希はそんなこともあるのかと納得したようだった。

 美希は和哉がテレビばかりみるので、ケーブルテレビのサービスに加入したことを話した。血液をサラサラにし、脳梗塞予防となるサプリメントも購入し、和哉に飲ませているし、念の為に自分も呑んでいるとも言っていた。パパが少しよくなったら、近場の温泉にでも行こうかと思っているんだ、あんたも一緒にどう? と誘われもした。美希は手元にまとまった金が入ると、急に気が大きくなる人間だった。どこかからか借りた最後の金も、きっとすぐに遣いきってしまうのは容易にしれた。馬鹿な親だと大輔はつくづく思った。そんな金があるのならば、仕送りをしてくれた方がどれほど助かるだろうか。

「お金はとっといた方がいいよ」

 と大輔は美希の話を遮り、言ってみた。「うるさいな。何を生意気いってんだよ」と美希が急に語気を荒らげた。「おばあちゃんみたいなこと言わないでよ」と彼女は笑い話にしようとしたが、死んだ義理の母のことを今でも悪く言う美希とはさらに話す気が失せた。電話を切ろうとするが、美希がこちらの機嫌をとるようなこと口にしているのに乗じて、金を送ってくれるよう大輔は頼んでみた。友達との旅行だととか、服を買ったりだとか、少しは若者らしいことをしてみたいのだと言ってみた。美希は一瞬渋っていたが、先程、怒鳴りつけたことに引け目を感じているのか、単位も取らずに仕方がない子だねと言って、三万円を振り込むことを承諾した。

 コンビニで三万円分のネットマネーを購入すれば、三万プラグと交換できた。三万プラグで市民兵ならば六千人、元治安部隊ならば三千人が徴兵できる計算となる。

 大輔は今まで、「この世界」で金銭を払うことを頑なに拒んできたのを私は知っている。ただ単に金がなかったこともあろうが、金銭を払ってしまえば、それは違う次元のゲームになってしまうことをわかっていたのだと思う。金銭の多寡で勝負をするのならば、大輔に勝ち目はなかった。手間と時間をかけさえすれば、この世界ではそれなりの成果を出すことも可能であった。実際に、大輔は地道な努力を重ねることで五十の町をもつまでになれたのだ。

 それが、対幸運戦の中では日本円を支払って、兵隊を徴兵することに抵抗を覚えなくなっていた。

 まず、はじめに支払ったのは千円だった。その日の食事とひきかけに、ネットマネーを購入して、市民兵二百名を徴兵した。ホワイト・ライオットで実行された共同作戦に所定の数の兵隊を出兵することを約したのだが、当日になってどうしても、兵が足らなくなってしまったゆえだった。

 ハナゲバラと大輔、それに古参の同盟員数名は、幸運との戦いの中で、作戦の根本的な見直しに迫られていた。戦う相手の整理が必要であった。各人が遠くはなれた場所で、死んでは沸いてくるゾンビのような幸運と戦っていても疲弊するだけで、事態の打開は望めなかった。そこで、密かにメッセージ機能を使用した話し合いをもち、皆がすべての兵を率いて、一箇所に集い拠点を構築することにした。北海道、東京、九州、沖縄に散らばっている同盟員たちが、それぞれ個別にどこに潜むのかもわからない四方八方の敵と戦うのではなく、長野の山奥に根拠地を作り、全兵力を移動させ、互いに背中を守るかたちで、周囲と対峙するようなことを目指した。

 根拠地の候補は中央砂漠と呼ばれている地域であり、かつてはMD世代と名乗る同盟の支配地だった。MD世代は先の大戦での勝者であったが、賠償プラグの分配でひとりの同盟員が不平不満を持ったがために分裂をし、ついには同盟員同士で戦う事態に陥っていた。内ゲバ的な戦いに嫌気がさしたのか、一人、二人と、この世界から離れていっていて、今はどの町も放置されたままになっていた。そのため、比較的与しやすいうえに、それを奪う罪悪感もさほど覚えずに済んだ。大輔は中央砂漠内の北西に位置する三つの町の攻略を担当した。計画では、従来の根拠地は兵隊をおかずに捨て置くことになっていたが、大輔は苦労して大きくした町を失うのがどうしても惜しく、独断で一定数の兵隊を残すことにした。そもそも、移住作戦はろくに索敵もできない幸運を混乱させ、時間をかせぐ目的もあった。従来の町にある程度、兵隊を残した方がその目的に叶うはずであったし、一日中、この世界にいる今となっては、統治する町が多少増えたところで、指揮が乱れたりもしないと考えた。――俺は自分の町を捨て石にするようなことはしないのだ!! それで兵隊が少し足らなくなり、そのときはじめて日本円でプラクを購入し、プラグで兵隊を徴兵した。大輔は食事を抜いて、ひもじい思いに耐えた。結果的に大輔はこの移住作戦で、再び五十以上の町を支配下におくことになった。

 「長征」と名付けられた中央砂漠への移住作戦は、幸運に気がつかれることなく、無事終了した。荒れ果てていることが予想された町が存外に生産力を保っていたのは嬉しい誤算だった。ホワイト・ライオットの精鋭はプラクの生産量にあわせて、少しずつ徴兵を行い、戦力の回復をはかった。彼らはここを拠点に第二次幸運戦を開始するつもりだった。組織的な索敵をしない幸運であってもマップをたどっていけば、いずれ、自分たちの移住先を嗅ぎつけることは覚悟していた。もしかしたら、すでに、幸運の標的は他の者に移っているかもしれないなどと淡い期待を持つ者はいなかった。砂漠の中に灰化をした町を立ち並ばせるのはいっそう、彼らの嗜好に合うだろう。相手にすればするほど、彼らは喜ぶ。皆で背中を寄せ合い、刀を向けるこの姿はさらなる攻撃の対象となることを、ホワイト・ライオットの強者たちは感じ取っていた。

 守るべき町が増えた大輔はともかく戦力の増強を急いでいた。メールで確認すると美希がすでに振り込んだと答えたので、さっそく現金をおろしに郵便局に行くことにした。

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