星の降る夜

不適合作家エコー

星の降る夜

それは月に一度の楽しみ、

憂さ晴らしの夜のことだった。


俺、日野健治と神道、春日の三人は高校で出会ってから10年以上の腐れ縁であり、俺たちの知る限り、最悪に不幸な三人組を自称していた。


春日は2度の離婚、今やいつまでとも見えない借金の返済に追われて休みなく、昼夜問わずで働いてはいるが、いい奴だ。


春日はとてもお人好しで素直な男だ。

30過ぎた同級生の俺たちよりどう見ても若い雰囲気や顔立ちもきっと彼のそんな人柄の滲み出たものなのだろうが、故に一般に悪い女と言うようなものによくかかるのだろう。


1人目の女性は女性側の不倫で別れたにも関わらず、春日はその子供の養育費を自らの意思で納め続けている。


さらに言えば2人目に至っては結婚詐欺を初めから目論んでいたようだった。


今日も俺と神道が金を出すことで久しぶりの安酒を楽しんでいるが、彼の夢はいつか自分の金で俺たちに安酒を奢ることだというのだからなんともさみしいものだと思う。


一方で、神道は高校で陸上のエース、将来は五輪も視野に期待されていた。


しかし過度の練習で故障、今は車椅子や杖を必要としている。


昔は足の感覚が無いことに自暴自棄になり、自らの足を何度もコンパスで刺そうとするのを俺と春日は必死で止めていた。


今ではそんな事はしないし、落ち着いた仕事にも付いているのだが、日増しに細く、弱々しくなる自分の足を彼が話題に出したことは今もない。


そして、俺、日野健治もまた不幸の最中にある。


春日の様に借金があるわけはないが貯金もない。


神道の様に四肢に障害があるわけでもないが、


俺の脳、あるいは心にはある種障害があるのだと思う。


多い時には年4回。


なんの数字かといえば正社員としての雇用から退職届を書くまでの回数だ。


この十年、俺はそんな事を繰り返してきた。


直接的な理由は違えど本質的には俺の性分が社会に溶け込むことを許さないのだろう。


三人の中では唯一大学を出た。

それも、上から数えて指の数で収まる有名どころだった。


成績も常に1位を独走し、決してただ大学を出たなどとは言わせないだけの論文を仕上げたし、論文自体は俺の初めの職場で今も開発のテーマに使われていると聞くほどだ。


自分で言うのもおかしいが、高いスペックは問題ない。

問題は自身を過大評価してしまっていることだろう。


それでも、自身を偽る事を何年何十年も一所で続けるなどどうにもおぞましいのだ。


時給換算すれば自身の時間を1000や2000円で売り渡すその行為に激しい嫌悪感を覚えてしまう。


狂った様に脳裏に過るのはいっそホームレスなり事業主なりの世界に飛び出してしまおうかという願望と、淡い恐怖と理性がせめぎ合い、もっとも無駄だと知る迷うだけで数年が過ぎていた。


酒を酌み交わし、負け犬の傷の舐め合いに浸り感覚を麻痺させる。

タバコに溺れて命を削る。

俺たちの安らぎはそんな自分を失わせる一瞬にしか存在しなかった。


居酒屋をはしごして酔い覚ましに公園に出る。


「あっ!!」


ひと気の少ない公園の、小さなジャングルジムを見て春日が目を輝かせるが、神道をちらりと見て顔を落とす。


「馬鹿っ!好きに行けよ。んな気遣いのが鬱陶しい」


神道が言うとパァと顔を輝かせた春日がジャングルジムに駆けて行く。

それを見て俺たちは苦笑する。


「まったく……あいつ、いつまで経ってもガキのまんまだ」


「あぁ、でも俺が親父だったらあんなガキは嫌だね」


 違いないと神道は笑い、つられる様に俺も笑った。


千鳥足をごまかす様に神道の車椅子を押してジャングルジムに近づく。


「春日?」


春日はジャングルジムの頂上に腰掛けたまま空を眺めて動かない。


「どうした……うぉお!!俺たち……酔ってんのかな?」


俺はつられる様に空を見上げて言葉を失った。


「……まぁ、三軒はハシゴしたからな……でも、俺たち……同じもの……見えてるよな?」


神道も信じられない様に同意を求める。


「綺麗な星だねぇぇ」


そんな中、春日だけは、その奇跡を素直に感動していた。


見上げれば空には満点の星空。

山や海どころか、旅行代理店のパンフレットでさえ見たことのない、あり得ないほどに澄んだ空に浮かぶのは俺の暗記する五等星までの星座の更に倍以上の賑やかな星の瞬き。


そして、獅子座流星群の十倍でも追いつかない雨の様な流星だった。


しばらく呆気に取られた後、突然春日が言った。


「ねぇ、これだけ流れ星があったら、願い事とか叶わないかな!?皆でお願いしようよ!!」


「ははは……春日って結構乙女だよな」


「あぁ、春日が女だったら俺、結婚してるわ。料理美味いし」


違いないと笑う神道とむくれる春日、本当に愉快な夜だ。


「もういいよ!俺は一人でもやるかんね!!」


「うおぃ!!危ないって!!」


ジャングルジムの頂上で突然春日が立ち上がり、両手を天に掲げた。俺は春日の足を支えながら慌てて注意する。春日が転落したらその軌道にいる車椅子の神道はただただ、おろおろしていたが、それさえも気にとめずに春日は叫んだ。


満点の星空に声帯の限界を超える様な大声で......


「俺は......自由になりたいんだぁ!!」


「春日......」


「......」


心境を知る俺と神道はただ黙って春日を見上げる事しか出来なかった。


「春日!」


俺は春日に言いにくい言葉を言うつもりだった。だが、


『カッ』


その時、昼さえも暗く思う程に眩く空が光った。


「え?願い届いた?」


「......そんなわけないだろ!それより早く座れ!」


俺はあと味の悪さを誤魔化したくて俯いたまま、少し強めの口調で言った。


そんな時だった。


車椅子から二人を見上げていた神道が震えるような声で言った。


「いや......日野......届いた......みたいだぞ?」


「え?うえぇえええ!?......痛え!」


春日が狂ったように立ち上がるが、今度は俺も止めることが出来ず、春日はジャングルジムに埋まるように転落して頭を打った。俺はそれを気にとめる余裕もなく、空から金色に輝く何かがパラパラと降り注いでいる信じ難い光景に目を奪われていた。


「金.......金だよねこれ?金だあっはっはっはっは金だ!インゴッードだぁーはっはっは!!」


狂った様に笑う春日を見ていて、神道が口を開く。


「お......俺も......俺も自由になりたい!!」


「神道!?」


『カッ』


再び空が光る。


「ど、どうなった?」


「......分からない」


少し沈んだ声で神道が言う。


俺は春日に起きた奇跡を仮に肯定したとしても、神道の自由は無理だろうと思っていた。


だから、次にかける慰めの言葉はもう準備ができていたのだが、それを遮る様に春日が神道の手を握った。


「お、おい!!春日!!」


「あっはっはっは大丈夫だよ。神道は自由になってる」


俺の制止も聞かずに春日が神道の手を引く。


「......そうだな。俺も自由になってる!!」


「神道まで!?」


俺を置いて盛り上がる神道が足にぐっと力を入れると同時に、車椅子から引き抜く様に春日が神道を引っ張った。


「うわぁぁぁぁあああ!!!」


俺は思わず目を閉じた。


手に負えない惨状が待つであろうまぶたを開く勇気が持てない数秒を過す。


「あっはっはっは」


閉じた瞳のまま春日の笑い声を聞いた。


「は......ははははは......夢みたいだ。夢みたいだあっはっはっは!!」


続いて神道の声、まさかという希望とそんなわけがないという恐ろしさからゆっくりと目を開いた俺は......


「は?はぁぁぁぁああ!?」


「あっはっはっは夢みたいだあっはっはっは」


空を駆ける様に走る神道を見て言葉を失った。


整理のつかない頭で周囲を見渡す。


大量のお菓子を抱えた少女に、空を飛ぶサラリーマン風の男性、あまりにも身の丈に合わない服を着てる女性は、もしや若返ったのだろうか。


願いは俺たちだけが叶えているわけではないようだった。


「あっはっはっは日野も早く!!」


「あっはっはっは日野!!ほら!」


〔躊躇う必要ないよな?叶わなかったら、それだけの事じゃないか。ただ、酒の席の戯言じゃないか〕


そう思いながらも不安に唾を飲む。


「日野!!早くしないと消えちゃうよ!」


「日野!迷う事なんかないだろ!」


二人が俺を呼ぶ。


「ええぃ!俺だって......俺だって!!自由になりたい!!」


『カカッ』


今までで一番明るく光る。


あまりの眩さに俺たちは揃って目を閉じた。


......

......


「え?日野?」


「日野?」


俺、神道が目を開いた時、そこにはもう日野の姿はなかった。


理由なんて俺には分かるはずがない。

空を駆けて辺りを見渡すが他に姿を消した者はいない。


なぜなのだろう。


そんな疑問を投げかけると、日野がいたはずの場所にいつの間にかいた子犬を撫でながら春日が言った。


「分からないけど、きっと日野も自由になったんだよ」


「キャン」


春日に撫でられた犬はとても幸せそうに、鳴いた。

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