いつか来るその日のために

星うとか

第1話

 それほど酔ってもいないはずなのに、アキオは玄関前で鍵を探していた。いつも入れる場所だけでなく、背広のポケットというポケットを上から叩く。しかし、キーホルダーの感触はない。

 何処かに落としてきたのか、それともまだ調べていない鞄の中にあるのか。しかしここで中身をぶちまけたくはない。そこでスマホを手に取ると、中にいるであろう妻のミカに電話をかけた。


「もう、おっちょこちょいなんだから」

 扉を開けてくれたミカは、呆れながらも笑って言った。

「ごめん、寝てた?」

「ううん、テレビ見てた」

 靴を脱ぐアキオを尻目に、ミカは鞄の中を覗く。

「なんだ、あるじゃない」

 時間にして一分ほど。柴犬のキーホルダーを目の前にぶら下げられた鍵を見て、自分は思いの外酔ってるのかもしれないと思い始める。

「なんにせよ、良かったね」

 そう言ってミカは、鍵おきに吊るした。その横には猫のキーホルダーのついた鍵が並んでいる。ミカの鍵だ。それを眺めるといつも、夫婦になったのだと、じんわり感じるのだ。


「ねえ、お腹空いてる?」

 振り向きざま、ミカが尋ねる。その顔は何かを企んでいるように笑っていた。

「ちょっと、小腹が空いたかな」

 飲み会とは言え、付き合いの延長線。特に楽しくもなく、なんとなくで参加しているからほとんど食事らしいものは口に入れてないのだ。

「そう! じゃあ何か作ってあげるね」

 君が? そう尋ねる前にミカは奥に行ってしまった。

 ミカの愛すべき欠点の一つに、料理がある。本人いわく舌が馬鹿だから、自信がないというのだ。だから食事はいつもアキオが用意している。今日だって、昨日のおかずを少しアレンジしたものを夕食用に取っておいたのだ。

 一抹の不安を感じながら、しかし止めることなどできず。アキオはミカの後を追うように廊下を進んだ。


 ネクタイと背広だけを外して椅子の背もたれにかける。食卓に座ると、台所に立つミカの背中が見えた。包丁で何かを切っているのか、トン、トン、とテンポが悪いながら気持ちのいい音がする。下手をすると寝そうなアキオは、頬杖をついて料理が出てくるのを待った。


 これぞ新婚家庭、という雰囲気になんだかこそばゆさを感じる。定番といえば「お風呂にする? ご飯にする? それとも、わ・た・し?」なんてギャグもあるが、アキオにとってはこちらの方がロマンを感じる。

 誰かが自分の食事を用意してくれる。それは久しくなかった光景で……。

 

 そうこうしているうちに料理ができたらしい。満面の笑みを浮かべると、ミカはどんぶりを食卓に置いた。

「ジャジャーン!」

 ほのかに湯気が上がるそれは、お茶漬けだった。ご飯の上に乗ったボリュームのあるササミ。そこに白ごまとカイワレがちらしてある。


「ネットでたまたま見つけてね。美味しかったからアキオ君にも食べさせてあげようと思って」

 向かいに座ると、期待するようにアキオを見る。たぶん感想がほしいのだろう。アキオはスプーンを手に取ると、いただきます、と一匙口に入れた。

「おいしいよ」

「そう、よかったぁ」

 少し安堵したようにミカが零す。かと思えば、褒めろ褒めろと口で言った。アキオが美味しい美味しいといえば、今度は照れたのか少し口籠る。


「ごちそうさまでした。とっても美味しかったよ」

「当たり前じゃない。なんて言ったって、私の愛がこもってるのよ」


 少し茶化して言うそれに、アキオはうんうんと頷く。ミカは立ち上がると、片付けるためかどんぶりに手を伸ばした。

「ねえ、ミカさん」 

「なに、アキオ君」

 一旦動作を止め、小首をかしげながらミカが聞く。

「このお茶漬けのレシピ、何かに残しておいてくれないかな?」

「別にいいけど、何で?」

 それにアキオは苦笑いで答えた。ちょっと恥ずかしくて、まだ言えそうにない。


 いつか君が先立ってしまったときに、君を想いながらこのお茶漬けを食べたい。そう思ってしまったなんて。


「変なの」

 そう言ってミカは笑う。

「酔ってるんじゃない?」

「そうかもしれない」

 酔っぱらいの思考は飛躍しやすい。こんなおセンチな気分になるのもそのせいだろう。そう自分に言い聞かせて、アキオはテーブルのひんやりとした感触を頬に感じながらゆっくりと目を閉じた。

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