05:暴露

「◯◯……おい◯◯」

 自分を呼ぶ声にうっすらと意識を取り戻し、僕は目を開ける。頭は重く、気のせいか四肢までも動かない錯覚に囚われる。


「大丈夫か? ……◯◯」

 そこで視界に入るのは、心配そうにこちらを覗き込む社長の姿。見れば回りにはBさんにCくん、それから先生までも居て、Sちゃん以外の全員が顔を揃えていた。


「んん、ここは……?」

 錯綜する記憶を整理しようと首をもたげる僕だが、どうやら錯覚では無いらしい。腕も足も、何かに固定されたまま微動だにしない。


「あれ……どうして……」

 それはよく見ればロープだ。さながら某教のメシアの如く壁に張り付けられた僕は、当然ながら身動きがとれない。おまけにこの部屋には豆電球が一つしかなく、カビのえた嫌な臭いがする。果たしてこんな場所、寮の中にあったろうか?


「僕……Sちゃんの部屋にいて……」

 記憶を探るように独りごちる僕。するとその言葉を聞いた社長の顔が、苦虫を噛み潰したように歪に歪んだ。


「見たんやな……?」

 返事の意味も、それどころか自分の置かれている状況も飲み込めず、僕はひたすらに疑問符だけを顔に浮かべ、言葉の裏に隠された真意を探ろうとする。


「な、何をです……?」

 やはりSちゃんの部屋に入るのは不味かったのか。しかし中から助けを呼ぶ声がしたのだ。判断としてはやむを得ない事情があろう。仮に中で待ち受けていた者が何であったとて。


「Sちゃんは……?」

 しかし僕がその名を口にした時、社長はにべもなく否定をした。


「なぜ◯◯が、それを知っとるんや?」

 それはまるで、何かに怯えているような視線でもあった。


「知ってるも何も……Sちゃん、でしょう?」

 片や僕は、何のことやらさっぱり分からない。部屋に入った事を咎められるでもなく、むしろSちゃんの名を出された事に戸惑っている風でもある。


「誰から鍵を貰った? Eか?」

 そもそもが論点からして噛み合っていないらしい。Sちゃんの部屋は鍵なんてかかってなかったし、開くだけならば一瞬だった。最もその後、閉じ込められてしまったのが僕だった訳だけど。


「いえ……ですからSちゃんの呻き声が聞こえて……それでドアを開けただけです……」

 言葉を選んだつもりだったが、お前こそ何を言っているんだとばかりに目を見開く社長は、もう語るでも無く手を上げ、それに続くように先生が歩み出る。


「ええんですか? 社長」

「口割らんかったらな、しゃあない」


 言うや先生がシャツのポケットから出すのは、小型の注射器。


「ちょ、ちょっと……どういう事ですかそれ……」

 

 まるで自白を迫る拷問室の一幕じゃあないかと、当時ハマっていた同人ゲームを思い出しながら僕は返す。


「ホンマの事を言わなあかんで◯◯。今日一日猶予をやる。ホンマの事を喋るんやったら、便所にも行けるし、飯だって食える。痛い思いもせんでええ。お前は素直やし、うちの家族・・として期待しとるんや」

 

 殊更やさしい口調で告げる社長は、着ているシャツをおもむろに捲ると、紋々の入った上半身を僕に見せつける。


「◯◯かて分かるやろ? これが何か。ワシらが何モンか」

 聞くまでも無い。そもそも気質かたぎの人間がこんな悪辣な真似をしでかすものか。いや本来なら、その手の人種が気質に手を出す事すらも禁じられている。外道極まるとは正にこの事だろう。


「ええ分かってますよ……ならとりあえず時間を下さい。正直、何が何だか僕にだって分かってないんですから」

 とにかく今は時間を稼がなければならない。連中がなぜSちゃんについてそこまで拘っているのか。Eさんの関与まで言及されるにつれ、何かを知りたがっているようにも見えるが……


「分かってるならええ……こっちも手荒な真似しちまってすまんな。いい返事、期待しとるぞ」

 言外で脅し、相手が要求を呑みそうになれば一転して労いを見せる。ああまったくヤクザなやり口だよと、僕は当の御本家に向かって内心で恨み節を告げる。


「C……見張っとけ」

「……はい」


 言うやC君に見張りを託けた社長たちは、ぞろぞろと地下室を出ていく。ギイと音がして閉まる鉄格子らしき金切りを耳にするに、そもそもここ自体が、某かの目的を持って設えられた部屋なのだろうと慮る。しかしまあ、門番が知恵遅れのC君なら、隙を見て逃げ出す事も不可能ではないかもしれない。


「あ、ところで◯◯君。一応忠告やけど、無理にここから逃げ出そうとしないほうがええよ。この辺は昔空襲があってね。撃墜されたB29のパイロットが不時着もしてる。だから防空壕も入り組んでて……あとは言わんでも分かるね? 奥の暗がりから道に迷ったかて、私らではもう手が出ん。他の二人のようになりたくないのなら、素直に一切を喋る事や」


 最後にそう口を開く先生。なるほど元は防空壕かと思えば得心する所でもあったが、ハッタリの可能性も無いでは無い。暗闇に目が慣れれば、ここはどう考えても何者かを監禁する為に設えられた部屋に相違ない。というかそうでもなければ、こうも都合よく人を縛り付ける道具類が、あってたまるかとすら思う。


「そんなつもりはありませんよ。第一、これじゃまるっきり動けませんから」

 ぐいぐいと引っ張り、それでも尚びくともしないロープを示し、僕は精いっぱい毒づいてみせる。


「ならええよ。私も若い子が潰れるのを見るのは、余りええ気がせんからね」

 やがてC君を残し面々が去った後、暗がりには沈黙が訪れた。




*          *




 ぴちゃん、ぴちゃんと水滴が滴る音が木霊して、確かそんな拷問方法が中国にあったなと、僕は朧げに思いを馳せる。あれからどれだけ時間が経ったか分からないが、尿意を覚えていない事を考えると然程では無いのかも知れない。とまれ、記憶をほじくり返そうにも理由を探ろうにも、材料も何もかもが乏しすぎて完全にお手上げだ。


 第一に、K興業はなぜこんな事をしなければならないのか。たかが空き部屋に入っただけで監禁するくらいなら、叱責した上で労働力としてこき使うほうがまだ建設的だろう。なにせ人夫代は数が命。労働者を現場に多く出せば出すだけ、社長の懐は潤うのだから。


 第二に、社長はなぜSちゃんに拘るのか。その辺をうろついているだけの年端も行かない少女について、知ってるだとか、見たのかだとか。だいたい会って会話をするのだから、お互いに自己紹介をしないほうがおかしいだろう。


 第三に、姿をくらましたEさんとOさん、二人の作業員候補者たちの、その後についてだ。先生の発言を鵜呑みにするならば、彼らもここを経た可能性は高いのだろうが、そもそもそんな事をする理由が見当たらない。下手をすれば殺人に繋がるし、万が一逃げられて警察に駆け込まれでもしたら、K興業自体が潰れてしまう。連中いくら頭がイカれていたとて、そこまでの愚行を会社一丸となって犯すだろうか。




「ねえC君、いるんだろ? 少し聞きたい事があるんだ」

 だから僕は、ダメ元で入り口に居るであろうC君に声をかける。


「な、なに?」

 恐らくはびくりと身体を震わせているであろうC君。彼は言葉もやや不自由だった。


「もう少しで何か思い出せるかも知れない。だから話を聞かせて欲しい」

「しゃ、社長から◯◯とは話すなと言われているんだ……」


「C君だって、いつまでもそんな所に居たくないだろう? だったら僕が記憶を思い出すのを、手伝ってくれたほうがいいと思うんだ」

「う、うん……それは、そうだけど……」


 それは一つの賭け。或いはC君からSちゃんの話題を引き出す事ができれば、浮かび上がった謎の一つや二つは氷解するかも知れない。問題は僕自身がどうここを切り抜けるかだが、問答の過程で模索するしかないだろう。


「ねえC君。Sちゃんについて何か知ってる? 僕はこの寮に来たその日から、Sちゃんと会ってる。だから何で社長が、あんな風に驚いてるのか分からないんだ」


「ほ、本当に◯◯は、Sちゃんと喋ったの?」

 震える声で返すC君の様子は、平素からは大分かけ離れている。普段はもう少し朴訥としていて、仕事の出来不出来はともかくとして、爛漫で善良な人間という印象なのだが。


「うん。部屋に入ったのは悪かったと思うんだけど。なにせ鍵は開いてたし、Sちゃんの呻き声がしたんだ。でも中には誰もいなくて、代わりに二人部屋だったって痕跡だけが……」


「う、嘘だよ……」


 だけれど僕の言葉を遮ったのは、他ならぬC君だった。まるで悪い冗談を否定するかのように続いたのは、それは逆に、僕にとっての悪い冗談だった。


「だって……だってSちゃんは……とっくの昔に死んでるんだから!!!」


 寸時に生まれた沈黙が、今度は僕の背筋をぶるりと震わし、その沈黙を引き裂く様にぴちゃんと、何処からともなく水滴の滴る音が響いた。

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