三.花本美冬

 「花本……おい、花本。」

まだぼんやりとしたまま目を開けると、男子生徒が立っていた。日に焼けた肌と短く切った髪はいかにも活発そうな感じがする。額に滲んだ汗を拭い、彼は無言で何かを突き出した。ミルク味のアイスバーだ。戸惑い、受け取り損ねていると、男子生徒は困ったように言った。

「頑張ってるし、俺の分の仕事もやってくれたって聞いたからお礼に。好きなんだろ、これ。」

ありがとう、と答えて受け取る。冷たい感触が火照った手のひらに広がった。袋を開け、溶けかかったアイスを口に入れる。甘く柔らかな風味が全身の疲労を癒す。

 段々と意識が明瞭になって思考が纏まってきた。あの男子生徒は誰なのだろう。クラスメイトのようだが、知らない顔だった。誰かの仕事を引き受けてこなした覚えもない。

 どれくらいの間眠っていたのだろうか。 時間を確認しようと、スカートのポケットを探り、スマートフォンを取り出す。手に触れた感触がいつもと違う。ふと見ると、ケースには薄桃に赤い秋桜が描かれている。握っていたのは姉が使っていたスマートフォンだった。なぜ、姉のスマートフォンがポケットに入っているのだろうか。電源ボタンに触れ、ロック画面で時間を見る。

     15:37 9月12日 金曜日

眠っていたはずなのにほとんど時間が過ぎていない。そのうえ、日付が違っていた。今日は八日のはずだ。文化祭は九日から十一日までなのだから。

 そこまで考えて真雪は凍りついた。九月十二日が金曜日だったのは、三年前、つまり、美冬が亡くなる前日である。まさか、と思いつつも真雪はカレンダーを確認しようとパスコードの解除を試みる。四桁のパスコード。夢で聞いた声が蘇る。

「8732」

 一つ一つ間違えないように数字をタップした。パスコードが解除され、ホーム画面が現れた。カレンダーアプリを探して開くと、二〇一四年九月十二日に丸がついていた。

 途端に目が覚めた。何が起こっているのだろう。タイムスリップ、だろうか。背筋がすぅっと冷たくなり、頭の中が静かになった。冷静に考えを巡らせる。これは夢なのだろうか。本当にタイムスリップしているのだとして、何のために?

「どうかわたしのやり残したことを叶えて。」

姉の言葉が聞こえてくる。もしかしたら、あの夢には何か意味があるのかもしれない。真雪は先ほど見た夢を頭の中で再生した。普段は夢を見ても覚えていないことが多いが、ただの夢にしては鮮明に思い出せた。

 真雪は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。おそらく自分は姉のやり残したことを果たさなければならないのだ。そのためにここにいるのだ。

 それから、カメラアプリを起動し、内カメラに切り替えた。

 白いブラウスに赤いリボン、ポニーテールに青いヘアピン。

 そこにいたのは美冬だった。

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