大正茶漬草子

伏見七尾

第1話

 茶漬トハ 安寧ノ形也――アキオ


 大正十二年 三月十日


 夕餉は梅干しと菜っ葉の茶漬、浅蜊の蒸した物、大根の漬け物であった。

 残さず食った。

 昨日から続けての茶漬である。

 不本意ではあるがこれには原因がある。おれが細君の機嫌を損ねたからに他ならない。

 細君ミカは伊太利生まれで、日本の生活という物に慣れていない。

 そこで俺が「お前に日本の飯という物は作れんだろう。茶漬がなんなのかもしらんだろう」とからかったところ、いたくミカの尊厳を傷つけたらしい。

 どうやらミカは、俺が「参った」というまで茶漬を作り続けるつもりのようだ。

 こちらも武士であった先祖に恥じぬ戦いをする所存である。

 また、俺は文士であるため、食後は必ずなにか文章を書くことにしている。

 故にこの戦いの記録をここに記すことにする。


 大正十二年 四月十二日


 桜が咲き、隅田川は極楽浄土のようである。

 俺の編集者が加藤から佐藤に変わった。

 しかし、俺の夕餉は先月と変わりなく茶漬が並び続けている。

 今日の夕餉はミカ曰くハイカラ茶漬と、コロッケ、ゴボウの煮付けである。

 冷やした赤茄子と、玉葱と、いくらかばかりの肉を茹でたのに茶をぶっかけた代物であった。

「こんな馬鹿な飯があるか」とミカを叱責したものの、なかなか悪くない味であった。

 ミカは涼しげな顔をして、『おいしいでしょう』などと聞いてきた。

 認めるのも悔しいので無言で掻き込む。

 残さず食った。

 食後、ミカと桜見物に行く。


 大正十二年 四月十九日


 佐藤から作品をこき下ろされ、帰る。

 いわく、恋愛を書けという。そんな軟弱な物を書くのは、武士の恥である。

 帰ってからミカにそういうと、「良いじゃないですか」と言われた。

 やはり女だから浮ついた物が好きなのだろう。

 夕餉は性懲りもなく茶漬であった。

 今日の茶漬けはじゃこの佃煮と、海苔に、茶をかけたものであった。

 残さず食った。

 ミカに「茶漬けはいつまで続くのか」と聞きたいが、ここで聞けばおれの負けである。


 大正十二年 五月七日


 銀座でいくらか書き物をした後、帰る。

 今日も今日とて夕餉は茶漬である。もう親の顔より見たかもしれぬ。

 蕪の漬け物に蛸の切り身に、葱を振って、煎茶をかけたものであった。

 うまいと認めるのは恥なので、黙って食った。

 残さず食った。


 大正十二年 六月十五日


 鬱陶しい日が続く。いつまでも雨である。

 戦記を書いてみたが、佐藤の反応はすげなかった。昨今の日本男子は薄志弱行故に、俺の小説が理解できんのだろう、啓蒙してやらねばならぬと考える。

 帰ると、ミカが烏賊を捌いていた。

 ミカは瞬く間に烏賊を捌き、それにキャベツの塩漬けとを合わせ、米の上に載せ、茶を掛けた。

 今日も茶漬である。もはや何も感じぬ。

 残さず食った。

 食った後、ミカに散歩に誘われる。

「雨中を歩くのもなかなか風雅なものでしょう」とミカは言った。

 その通りだと思ったので、ミカを連れて夜雨の町を歩く。

 雨もさほど悪くはないと思った。


 大正十二年 七月三日


 ミカと言い争う。

 夕餉はコロッケの茶漬であった。

「何かハイカラな物とやらを作ってみろ」とミカに言ったのが良くなかった。

 米の上にコロッケを乗せ、枝豆をまき、周囲を茶で囲んだような一品だった。

 そんなに悪くなかったのが腹立たしい。

 ミカはまだ怒っているようだった。

 このままでは埒があかぬので、明日はミカになにか買ってやろうと思う。

 断じて俺に非はない。

 実際ミカの好きなスタアとやらは老け顔であるから、その通りに言ったまでである。


 大正十二年 七月二十二日


 銀座のプランタンで佐藤と話した後、そのままそこで書いていた。

 悩み、書き、消した。真田幸村を書きたいと言ったら、佐藤は渋い顔をしていた。

 帰ってミカに話すと、「幸村は難しいでしょう。今までたくさんの人が良いものを書いておりますから」と答えた。

 認めるのは悔しいので、黙って書斎で原稿を書く。

 夕餉は饅頭茶漬と、昆布の佃煮と、冬瓜の煮付けであった。

 残さず食った。

 甘ったるかった。鴎外先生の好物だったらしいが、俺にはよくわからぬ代物であった。

 佐藤に頼まれていた広告文をいくつか書く。


 大正十二年 八月二十九日


 炉端で炙られているような暑さが続く。

 佐藤に作品を褒められた。

 ミカに言ったら大いに喜び、「今日はご馳走にしましょう」といった。

 そして夕餉はビフテキ茶漬けであった。

 ビフテキ茶漬けであった。

 薄く切った牛肉を焼いて、米の上に載せ、玉葱をざくざくと盛り、わさびを合わせ、さらに紅茶を掛けた代物であった。

 この女は何故、ビフテキと茶漬けを分けて出そうとは思わぬのだろう。

 残さず食った。

 たいそう美味かったが、ビフテキと茶漬は分けて欲しかった。

 明日から大阪に向かう。

 大阪の新聞社が、俺の書いたものに興味を持ったという。

「しばらくお前の茶漬は食えないな」とミカにいったら、「あら、そんなに気に入っておられたのですか」と茶化された。

 ここで認めるのは武士の恥である。


 大正十二年 九月一日


 地震発生の報せを聞く。

 早く東京に戻らねばならない。


 大正十二年 九月六日


 汽船にて東京に戻る。

 帝都はさながら地獄の有様であった。

 大いなる邪悪が、人間文明の徹底的な破壊を目論み、ついに成し遂げたとしか思えなかった。

 我が家はなくなっていた。庭先の紅葉が、赤く染まる前に折れていた。

 ミカが知れば、「残念ですね」と肩を落しそうだと思った。

 けれどもそのミカが、どこにもいなかった。

 逃げたのかも、死んだのかもわからぬ。

 俺は折れた柱をどかして、海のように広がる屋根瓦を漁った。

 後悔ばかりが頭にあった。

 どうして、一度でも茶漬けを「美味い」と言ってやらなかったのか。

 瓦礫を掘り返す手は傷み、名前を呼び続けた喉からは血が噴き出しそうだった。

 そうして日が沈んだ時に、「アキオさん」と呼ばれた。

 振り返れば、ミカがいた。

「幽霊か」と聞いたら、「何を言いますか」と笑われた。なんでも俺が出てすぐに京都の母親が足を挫いたとの報せがきたので、今日まで出かけていたという。

「電報を打ったのですが、やはりご覧になっていなかったのですね」とミカ。

 何を言えば良いのかもわからず、ミカを掻き抱くことしかできなかった。

 武士は泣かぬ。

 けれども文士は、泣く。


 大正十二年 九月十日


 しばらく、郊外に住む弟の家に厄介になることになった。

 出版社やら保険屋やらとの話し合いを終え、帰宅した。

 ミカが「おかえりなさいませ、何になさいますか」と聞いたから、かんたんな物を所望した。

 茶の間にいると、ミカが炊事場で煮炊きする音が聞こえた。

 それを聞き、俺は情けなくも泣きそうになった。

 すぐそこにミカがいる。それはこんなにも素晴しい事だったのかと、知った。

 ミカは茶漬けを出した。

 大根と、大根葉と、飯。それに番茶を掛けただけの茶漬けであった。

 それが二人分、あった。

「私も、まだ食べておりませんでしたので」と、向かいに座ったミカが言った。

 二人で残さず食った。

 今までで、一番美味い茶漬であった。

「また、俺に茶漬を作ってくれるか」と聞いた。

「いつでも作って差し上げます」ミカは笑った。

 それだけで、もう十分だと思えた。

 これから先が、どうなるのかもわからなかった。

 東京は百年先も、このまま潰れた町のままなような気もした。

 それでもこうして、ミカと二人で茶漬を食っていると、「まぁどうにかなるだろう」という心地になるのを俺は感じた。

 ここに、侘しい茶漬を食う二人がいる。

 それだけで、きっとどうにかなる気がした。

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大正茶漬草子 伏見七尾 @Diana_220

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