第31話 赦されない恋の花 4

     4


 ゆっくり意識が浮上して、ぼんやり目を開けた私の体は朔の膝の上。朔は私を両腕で囲って守ってくれている。

「さく、痛い……」

「痛み止め飲むか?」

「飲む。喉、乾いた」

 何か、考えなきゃいけない事がある気がする。でもこのまま何も考えず、朔の側にいたい。朔といたい。口を開けたら薬を放り込んでくれて、ペットボトルの水を飲ませてくれる。喉が潤された事にほっと息を吐き、朔の胸元へすり寄った。全身が痛い。血が流れる感覚がして、どくどく痛む。

「朔。側にいて……」

「いる。まだ寝てろ。しばらく掛かるみたいだ」

「ねむい」

「寝ろ」

「……どこにも行かない?」

「行かない」

「なら、寝るね」

「あぁ。おやすみ」

「うん」


 ざわざわ、電話の音がたくさん。焦ったような大人の声が充満している。それを不思議に思って目を開けた私がいる場所は未だ朔の腕の中。その事実に、心底安心した。

「朔……仕事、どうなったの?」

「延期になった」

「みんな、怒ってる?」

「怒ってないよ、姫」

「お姫さんは悪くない。気にしないの」

 声がして、旭さんと翔平さんが向かい側のソファに座っている事に気が付いた。二人が優しく微笑んでいるから、つられて私も笑おうとしたけど失敗した。裂けるような痛み。口の端が引き攣る感覚がする。

「どうして……ここにいるの?」

 いつもと違って騒然とした雰囲気のこの場所。Rエンターテイメントに所属しているミュージシャン達のマネジメントをする部署で、私達は事務所と呼んでいる。練習で使っているスタジオの次に、よく訪れる場所だ。

「週刊誌に載る」

「何が?」

 朔の言葉は簡潔過ぎてよくわからない。首を傾げた私に説明してくれたのは、旭さんの声。

「姫の集団リンチ。学園の生徒がリークしたみたいなんだ。画像付きで」

「もう一つ、お姫さんと朔の熱愛記事。病院行く所、上手い具合に二人だけ撮られたみたい」

 言葉が上手く頭に入ってこない。ぼんやり目を瞬かせた私を見て、旭さんと翔平さんは困ったように笑った。

「今は薬効いてるのと、ショックも抜け切ってないから仕方ない。姫が落ち着いたらまた話そう」

「俺たちが付いてるから、お姫さんは安心して休んでて?」

 こくんと頷き、私は朔の胸元に頬をすり寄せる。目を閉じ、朔の心音に耳を澄ませた。

「お家、帰れないの?」

「まだわかんねぇけど、しばらく帰れねぇかも」

「だからここにいるの?」

「そう」

「朔」

「ん?」

「重くない?」

「気にするな」

 しばらくまた、揺蕩う意識に身を委ねた。すぐ側で話し声が聞こえた気がして、朔の声が私を呼んだ。目を開けると広瀬さんが私の顔を覗き込んでいて、見返す私に彼女は微笑む。

「待たせてごめんなさい。帰ってゆっくり休みましょう?」

「広瀬さん。ごめんなさい」

「大丈夫。何とかなるし、何とかするわ。姫君は気に病まないで、今は体を休めましょう? とりあえずはメンバー全員で姫君の自宅で待機してもらいたいんだけど、いいかしら?」

 頷くと、私の周りでみんなが動き出す。私の体は旭さんに抱き上げられた。全身が痛いし今は何も考えたくない。思考を放棄して、優しい揺れに私は甘えた。

 みんなで私の家へ帰ると連城のおばさんが待っていた。私の惨状を見たおばさんが泣いちゃったから、私は頑張って笑う。

「心配掛けてごめんなさい。私は大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわよ! 女の子がこんな痣だらけの傷だらけで……」

「大丈夫。でもお風呂に入りたいな」

 口の端が痛いけどこれ以上心配を掛けたくなくて、私は笑みを作っておばさんの背中をさすった。

「お風呂は……良いのかしら? お医者さんはなんて?」

「熱い湯を使わなければ良いって言っていました。なるべく冷やした方が良いって」

 おばさんの疑問には、一緒に病院へ行った朔が答える。

「なら、シャワー浴びて休みましょうね。着替えは持って来てあげるわ」

「うん。おばさん、ありがとう」

 笑みを浮かべてお礼を言って、朔の肩を借りながらお風呂場へ向かう。捻挫した足が熱を持ったように痛んだ。

「千歳。風呂場でなんかあったら叫べよ」

 私の髪を梳いて、朔が変な事を言う。自分の家の風呂場で何があるっていうんだ。自然と頬を緩ませた私を朔が優しい瞳で見つめてる。ゆっくり距離が近付いて、唇が額へ触れた。朔の手が髪を滑り、頬を撫でる。それがあまりにも心地良くて、もっとって、思った。

「出たら声掛けろ」

 私に背を向け、朔は扉の向こうへ消えた。私はしばらく閉まった扉を眺めてから、のろのろと服を脱ぎシャワーを浴びる。熱いのはダメだと言われたけど熱めのお湯を頭から浴びながら、両手で顔を覆った。

「朔……」

 名前を呼ぶだけで、胸に湧く。キスが嫌じゃない。もっと欲しい。最低な自分の考えに絶望して、私は湯気の中で蹲った。

 体はさっぱりしたのに、思考がどんより重たい。長い髪を乾かすのが億劫で、濡れた髪はタオルで拭っただけで脱衣所の扉を開けた。朔が当然のように待っていてくれて、顔を見た瞬間に胸を満たした感情を、私は正しく理解する。

「つかまれ」

「大丈夫だよ」

 朔に触れられると私の心は、歓喜に震える。

「旭さんみたいにマッチョなら良かったんだけどな」

 抱き上げられない事を悔しそうにしている朔が、愛しい。

「マッチョな朔は、なんか嫌」

「案外似合うかもしんねぇだろ」

「えー……想像できない」

 朔の顔が見られない。声とぬくもりだけで揺れる感情。目を逸らすように、私は足元を見た。

 頭の中では同じ言葉がリピートし続ける――最低だ。最低だ最低だ最低だ――胸の真ん中へ穿たれた穴の底で、感情が芽生えてしまった。育ってしまった。でもダメだ、冷静になれ。私の大切な人。待っていると送り出した人。それは朔じゃない。私は待つって約束した。大好きな人の笑顔を思い浮かべる。胸に浮かぶのは洸くんへの、好きの気持ち。

 私は心を、決めた。

「旭さん。今の状況を教えて下さい」

 シャワーを浴びたお陰でだいぶ頭がはっきりした。靄が晴れ、いつもの自分を取り戻す。事務所で少し聞いたけど、今は多分大変な事になっている。リビングへ入った私は、朔の腕から離れて自分の足で立つ。自分の力で顔を上げ、現実と向き合う為口を開いた。

「学校で姫、顔見られたんだ。それで、楠千歳がホリホックの姫だとバレた」

 旭さんの言葉で、私と殴り合いをした子達の驚いたような表情の意味がやっと理解出来た。あの時私の顔には眼鏡も無く、傷を確認する為に長い前髪が掻き分けられた状態だった。

「それをねー、スマホで撮ってネットに上げてくれちゃったおバカがいて、週刊誌が食いついたの。超人気バンドHollyhockを襲った悲劇! とか書くらしいよー」

 付け足された翔平さんの説明に、私は首を傾げる。事務所で聞いた時、確か「集団リンチ」と言っていた。その言葉だと事実とは違う。

「でもあれ、私もやり返したから乱闘じゃないの?」

 囲まれて殴って蹴られたけど、噛み付いたり突き飛ばしたり、散々私も反撃した。

「週刊誌が手に入れた写真は、姫が囲まれて殴られてる所と、姫が朔に抱えられてる所。あと、それとは別に朔と病院へ入る写真もある」

「お姫さんと朔の顔、ばっちりはっきり写ってたよ」

 写真だけ見れば集団リンチになるという事らしい。私は本当に、なんて事態を引き起こしたんだろう。

「お前のせいじゃねぇんだから、そんな顔するな」

 よっぽど酷い顔をしていたのか、ソファの隣へ座っている朔が優しい手つきで頭を撫でてくれた。そのまま身を預けてしまいたい、なんていう自分の甘えを、私は必死で殺す。

「それとねー、学校での朔とお姫さんの様子をネットにつぶやきやがった生徒が何人かいて、そこから熱愛報道に発展しそう」

 正体がバレてないと油断していたのが仇になった。朔の方はバレてたんだもん、学校でも色々な目がある事を忘れたらいけなかったのに――私はなんて、愚かなんだろう。

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