森の悪魔

『我はエルフAlfrエルフAlfarの戦士である。

 我らが王Gand alfrとの約盟に従い、大地よ、応えよ』



 二重に張り巡らされた物理障壁の内側で、二人のエルフの女性の声が寸分違わず重なり、響く。



『槍をもて!

 槍をもて!

 槍をもて!


 丘に牡牛は放たれた。

 7の荊、13の棘。

 猛りにその身を赤く染め、欲する侭に刺し貫け』



 光が断たれた闇の中、優雅な舞に似た流麗な所作、その指先に灯る魔力の燐光は、立体的な魔法陣を地面から中空へと鏡写しに描き出す。

 彼女たちの声に応えるように、二人の間の地面からは21の赤く焼けた槍の穂先が浮かび上がる。



『供犠の血潮で丘を染めよ!

 晩餐である!

 晩餐である!

 彼の贄に熱き抱擁を!』



 途端、光は遮るものを失くし、6の瞳に飛び込んできた。

 彼らの目に映るのは、見慣れた・・・・洞穴と忙しなく動く赤と白19の影、股を開いて横たわる5の肉塊。



真紅の荊棘スカーレット・ソーン!!』



 最早遮るものを欠いた声は洞穴内に響き渡り、大気を震わせ、38の触角を揺さ振る。

 それに気付いた大小の蟻は、彼らを振り返る間もなく、黒い槍、その真っ赤な穂先によって漏れなく頭を貫かれ、壁に縫い付けられた。

 白い蟻には1本ずつ、赤い蟻には3本の槍が襲いかかり、音を置き去りにした槍はそれらの頭だけを綺麗に奪い去った。

 遺された胴体も軽く宙に浮き、奪われた頭に追い縋るも届かず、地面に倒れ伏し、動きを止める。

 主人を失った洞穴には、肉塊が放つ淫靡な嬌声だけが奏でられ続けた。



「すげぇ……一瞬の狙いでこの精度……? あんたら何で蟻なんかに負けて捕まったの?」

「囀るな小童こわっぱ

「多勢によって不意を打たれたのです。こうして詠唱することなどできなかった。ナイフでは歯が立ちませんでしたし。毒を浴びせられて気を失い、気付けばあの赤い蟻の腹の中だったのです」

「分かったような分からんような……」

「……小僧、気が済んだなら急ぎ同胞を救え」

「おおっとそうだった! わりい、すぐ取り掛かるわ」



 キツめの美女に慌てて詫びて、威焔は赤い蟻の元へ走り、手早くそれを解体して腹の中のエルフたちを解放する。

 その移動を女性2人に任せ、白い蟻の胴体を見て回り、男性エルフを見付けると生死を確認、蟻から引き剥がして全裸の女性エルフたちの元まで担いで移動した。

 正気を失っているエルフたちごと周囲を温水で洗い流したところで物理障壁を展開し、次々と治癒魔法を施していく。

 威焔の治癒が済んだ者は、同伴した二人の女性エルフが順次気付けを行って目覚めさせ、介抱している。

 全員の治療が完了したら、暖をとることと濡れた衣類の乾燥を兼ねて、障壁内に温風を走らせる。

 全裸の男女には、衣類を纏っている者から上着が分け与えられた。

 威焔は既に上半身裸の状態で、分け与えることのできる上着は残っていないので、その様子を眺めて和んだ。



 最初に要救助者が出てから、これが3度目の救助活動となる。

 最初に救助された11人のエルフたちは、彼の悪い予想を大いに裏切り、目を覚ました後も取り乱すことなく状況に対応した。

 曰く――エルフの歴史を侮るな小僧、と。

 エルフの森の中でも最古の集落に住んでいた彼らの言葉は重く、鋭く、確かな厚みをもった説得力を感じさせた。


 その後、エルフたちは暖を取らせる必要があることから洞穴の外へと移動した。

 すっかり晴れ上がっていた空から注ぐ陽光は、厚く降り積もった雪を真っ白に照らし、真昼の森にシンシンと雪解けの音を染み渡らせている。

 穴から少し離れた場所にエルフ用の大きな土のかまくらを4つほど魔法で構築し、その内の一つに、動ける者には休憩を挟みながら入り口付近の袋を移動して欲しいと頼み、彼は単身で再び洞穴に踏み入った。

 それから8人の生存者と4人分の遺体を担いで急造のキャンプに戻る彼を出迎えたのは、スッキリ片付いた通路と、赤い夕焼け。

 そして、2人の女性エルフ。

 眉目秀麗の美女はアザリア、たおやかな美女はベイラと名乗り、彼に同行を願い出た。

 ――否、同行させよと命じた・・・

 さも当然とばかりに居丈高に命じられ、威焔は精神的な疲れも手伝って反発したが、ベイラと名乗った女性の必死の仲裁と説得に、とうとう折れて受け入れることにした。

 高圧的な雰囲気のアザリアが、苦渋を浮かべながら頭を下げたことが決定打となったのだ。

 彼女たちが受けた傷、その一端を垣間見ていた威焔に、肩を震わせながら頭を下げる彼女の願い・・を断れる頑なさはない。

 勝手に動かれても困るからと一言置いて、溜め息を一つこぼし、数点の要求を飲ませて同行を許した。



「接待はしない、敬語も使わない。そんな余裕はないから、それを受け入れること。

 洞穴の中ではしゃべらないこと。声を出す必要がある時は、ぼくの肩を叩くなりして事前に許可を得て欲しい。

 そして、勝手に動き回らないこと。許可できるのは同行まで。独断で動かれると、最悪ここの生存者まで全滅するかもしれん。心が折れるので本当に気を付けて欲しい」



 そう告げる彼の言葉に、2人は神妙な顔で頷いた。



 ほんの少し前の出来事を思い返し、威焔の顔は安堵の形に歪んだ。

 乾燥も大方終わり、移動の指示を催促してきたアザリアとベイラの2人に、自然と感謝の言葉が向けられた。



「ありがとう。2人が着いてきてくれて助かった」



 要求した指示とはかけ離れた言葉に意表を突かれたのか、2人して面食らったように唖然としたが、アザリアはふっと短く息を吐いて笑い、それを見たベイラは微笑んだ。



「指示を寄越せ、オーガ。動き足りんのだ。働かせろ」

「あー……ぼくは威焔、オーガじゃなくて鬼。オーガって見たことないから違いは分からんないんだけどさ」

「ふむ? 痩せ細った色白のオーガだと思っていたが、違うのか。しかしオニとな。初耳だ。新種か?」

「新種というか古代種というか……似たような種族と会ったことないから分からんのよね」

「孤児か」

「そうなる。今は縁あってマルセリーという執行官の従者やってるよ」

「……なるほど、おまえがそうか」

「ん?」

「こちらの話だ。それより、これからどうするのだ」

「それを決めるのに、敵さんの情報が欲しいんだよね。分かる範囲で聞かせてくんね? ぼくがここで見たことも話すしさ」

「……賢明な判断だ。良かろう」



 アザリアと、その隣でずっとニコニコ笑っていたベイラの表情が渋面に覆われ、しかし迅速に情報共有のために動き出した。

 その場に居合わせた12人の生存者たちも話に加わり、彼らが目にした敵――巨大な蟻の情報が語られる。

 大半は威焔が既に見たものの情報だったが、集落の長の家で防衛に参加していたと告げた一人の女性エルフの証言は、衝撃的な内容だった。



「……そこで見たのは、蟻の胸から頭ではなく、ヒトのような上半身が生えた合成獣キメラでした。背丈は赤い蟻と同程度。背中の翼で飛んできて、手に持った槍の一振りで前線の男たち3人が小枝でも折るかのように軽々と……」

「……数は?」

「私が見たのはその一体だけです」



 その異質な敵の姿を見たのは1人だけだったようで、居合わせた者全員に動揺が走る。

 アザリアの問いかけるような視線が威焔に向けられたが、威焔は首を横に振るしかなかった。



「音と匂い、それから振動か。極力そういう要素を抑えて行動してたから気付かれなかったのかもなあ。……一旦、外に出て合流して、生存者の救助と合成獣っぽいやつの討伐に班分けするか。万が一に備えて入り口付近で迎撃する準備も必要だろうしな」

「しかし、イエンよ。我らでは道が分からんぞ?」

「あー……そっかー……」



 アザリアの言葉に、威焔は天を仰ぐ。

 そんな威焔に、アザリアは更に追い討ちをかける。



「それに、我らでは途中の縦穴を移動することができん。おまえが魔法で足場を作ったから移動できたに過ぎんのだ」

「うあー……それも忘れてた……」



 とうとう頭を抱えた彼に、トドメとばかりにアザリアの絶望的な言葉が降りかかる。



「そして我らは裸同然で、道具もない」



 アザリアは感情を浮かべずに、真っ直ぐ威焔を見詰める。

 アザリアだけではない。

 24の瞳が威焔に無言の問いを投げかける。



「悪かった。横暴が過ぎた。すまん」



 威焔は頭を下げて詫びた。

 程なくして顔を上げると、変わらず自分に向けられた目を一つずつ見返し、敢えて問うた。



「危ない橋を渡ろうと思う。死人が出るかもしれん。拾った命を惜しむ者がいれば……普通は惜しいもんだと思うから責めないし、言ってくれれば一度引き返す。どうする?」



 その問いは、彼を見る瞳に怒りの感情を燈した。



「我らを何者と心得る。我らはエルフAlfar! 人間どもに森の悪魔と言わしめた戦士の一族であるぞ! 戦場を前に命を惜しむ者など一人も居らぬ!!」



 一人がそう叫ぶと、同調する声が次々と挙がった。

 彼らの怒り、その熱が、障壁の中の温度まで上げていく。



「イエン。我らは一度は死んだはずの命だ。救ってくれたおまえに恩義は感じているが、それとこれとは別だ。我らがエルフであるためには、戦って勝たなければならない」



 アザリアの威焔を気遣うような言葉に彼は苦笑いを浮かべ、彼女の手を取って両手で包み込んだ。



「今は助かる。助かるんだけどさ。助けりゃ情も湧くし、命を惜しんで欲しいとも思うわけよ。恩義を感じてくれてるってんなら、そういうぼくの気持ちも汲んでくれんかな……頼む」

「……勘違いするな。我らとて死に急ぎたいわけではない。だが、心を殺してまで生き長らえたいとは思っていないだけだ」



 握られた手を握り返し、アザリアはそう諭す。



「それに、だ。どうせ倒さねばならんだろう? 荷物扱いしてくれるな。私にだって戦士としての誇りがあるのだ」

「……だな。悪かった」

「途端にしおらしくなりおって。気を張るのが馬鹿馬鹿しくなるからやめろ」



 どちらともなく顔を見合わせて苦笑いを浮かべ、握り合っていた手を離し、改めて全員に向き直ると、直前の怒りは何処へやら。

 興味と好奇の色を浮かべた顔が、二人に向けられていた。

 アザリアは慣れているのか気にしていない様子だが、威焔はむず痒さを覚え、苦笑いで口元が引きつる。



「とりあえず! 案を伝えるんで、相談に乗って欲しい。誰が何をできるのか知らんから、あんたらの知恵を借りたい」



 そう告げた彼の言葉は好意的に受け入れられ、話し合いが始まった。

 そこに悲愴はなく、遠足の打ち合わせでもしているかのような和やかな空気が、一同の表情を緩めさせた。

 夜の訪れとともに冷めゆく空気を置き去りにしたまま。

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