エピローグ

 深い深い森の奥、その一帯に立ち並ぶ木々は程良い間隔で伐採され、その葉の間を縫って射す陽の光は地面に不規則な模様を描き出している。

 風が吹けば枝が揺れ、地面の影も合わせて踊る。

 白樺に似た白い肌の木々がどこまでも続いている風景はとても幻想的で、漂う森の香りは柔らかくぼくに染み込んでくる。



「あー……エルフの森、最高!」


「なにのんびりしてんだアホオーガ! そっち行ったぞ!」



 木々のざわめきを切り裂く罵声。

 急速に迫り来る気配。

 獣の荒い息遣いが、導かれるようにぼくに駆け寄る。



「グォアアアアアアア!!」



 それは小山ほどもある大きな熊だった。

 深い茶色の毛並みに、不自然に伸びる角。

 四つ足で駆ける姿は洗練されていて力強く、その足先に伸びた爪は太く鋭く、比較的細い前脚ですら大人2人分の胴の太さほどもある。

 額には水牛のような湾曲した2本の鋭い角を戴き、その間に光る血走った真っ赤な眼には、今この時、理性や知性は見て取れない。


 森の暴君、強大な角を持つ熊マイティホーンベアー

 エルフの森に湧き出る・・・・Aランク指定の魔獣。

 時に数頭で群れを成し、人里に現れては、成牛をもその腕の一振りで絶命させ、冬越えに備えて蓄えられた農作物を食い荒らし、人であっても捕食の対象になってしまう。



「さあ来い、ご馳走!!」



 走り来る暴君を前に、右足を半歩踏み込み、両手を前に構える。

 暴君との距離は、その時およそ30歩。

 構えた姿勢はそのまま息を吐き出し、可能な限り脱力する。



ドタタッ ドタタッ



 20歩……10歩……一駆けで瞬く間に間合いを詰める暴君は、勢いそのまま、前身を捻らせて右手を振りかぶり、鋭い跳躍、強靭なバネを最大に活かした一撃を繰り出す。


 差し出された腕を削ろうと振るわれた爪を、右足を半歩引きながら気を付けの姿勢で躱し、なお迫る巨軀に両手を突き出す。


 音もなく訪れる浮遊感、続く飛翔感。

 真っ直ぐ後方に飛ばされながら、地面で器用に受け身を取る暴君に視線を釘付けにする。



「さっすが野生動物……いや、魔獣か」



 警戒を強めて四つ足のまま躙り寄る暴君に、最初と同じ両手を突き出した構えを取って、ぼくも躙り寄る。

 再び空いた間合いは20歩分。


 牽制し合う暴君と理不尽。

 互いの口元に笑みが浮かぶ。

 暴君がなぜ笑ったのかは分からないが、ぼくは思った。

 こいつとは良い友達になれそうだと。



トトトッ


「ガアアアアアア!!」



 暴君の背中に3本の矢が生えた。

 生えた直後、暴君は後脚2本で立ち上がり、身をよじって咆哮する。

 腹を打つような重低音の咆哮を切り裂くように、聞き慣れたソプラノの美しい声。



「仕事しろ! おまえだけ飯抜くぞ!」



 声は美しいのに言葉は汚い。

 しかし、そのことに嘆いている余裕はなくなってしまった。



「それは困る」



 なるべく真剣な表情で答え、腰の愛刀を抜きながら、暴君との間合いを詰める。

 無作為に振り回される暴君の腕を避け、その巨軀を支える右の後脚を袈裟に断つ。

 冬毛に生え変わり厚みを増した毛皮は硬く、並の技量ではその内の肉にすら刃は届くまい。

 刀の斬れ味に任せようにも刃渡りは足りず、暴君の脚の一本を断つことも適わない。


 ならば如何にしてこれを断つか?


 速さと膂力に物を言わせ、力任せに押し斬るのだ。



  ズンッ!



 響いた音は、鈍く重い。

 真っ直ぐ描かれたはずの軌跡が導き出した結果は、地に縫い付けられて横たわる暴君の右脚と、その脚に折り重ねられた胴。

 斜めに千切られた・・・・・傷跡は、一瞬間を置き、思い出したように血を噴きこぼす。

 暴君は、森を震わせていた咆哮をも断たれ、彼だけが時間に取り残されてしまったように静止する。


 勢い余って地を穿った刀を引き抜き、両手で上段に構えて、暴君の首へと振り下ろした。



「カヒュッ」



 断末魔は人のそれと大差なく、脚と同様に千切り捨てられた首は、地面で3回跳ねて呼吸を止めた。



  ゴッ!


「痛いッ!」


「肉を潰すなと何度言わせるんだアホオーガ! この役立たず!!」



 ぼくの後頭部に弓を減り込ませて、ソプラノが怒声を張り上げる。



「だってこいつ斬りにくいじゃん」


「だってもクソもあるか! 報酬も減るんだぞ!?」



 ぼくが振り返って抗議すると、全身で怒りを表現して小さなエルフが地団駄を踏む。



「モリちゃん、このレベルの熊を倒せただけでも儲けモノでしょ? 近くの集落の食卓が冬一杯潤うわ」



 モリちゃんと呼ばれたエルフの後ろから、服装以外は見慣れたエルフがのっそり歩いて来て、ぼくの援護をしてくれる。

 旅装に身を包んだマルセリーだ。

 白く染められた毛皮のフード付きロングコートと帽子、厚地の手袋とブーツ、手には大きな宝石らしき石を埋め込まれた杖を持っている。

 肩から袈裟懸けに提げられた少し大きめのバッグは、幅広の下げ紐が彼女の小さくない胸を強調する小道具として活躍してしまっている。

 しかし、ちゃんと魔術師に見えなくもない。


 対するモリちゃんと呼ばれたエルフは、マルセリーより頭一つ分背が低く、黒く大きな弓と背中の矢筒の他は、マルセリーとほぼ同じ旅装だ。

 肩掛けのバッグも同じように提げられていて、控え目に強調される胸の隆起が、彼女が女性であることを決定的に示してくれている。

 なんせ明るい金髪は男性並みに短く切られていて、パッと見ただけなら可愛い少年だと勘違いしそうな風貌になっているのだ。

 その瞳の色は、一見すれば勝気な顔立ちや荒い言葉遣いとは合っていないようにも思われる。


 彼女ーモーリ・メルルリアーは、エルフの森がトルメトルさんからの応援要請に応じて遣わされた使者だ。

 ここ2ヶ月の付き合いで、彼女が繊細で臆病な性格なのだということは、なんとなく把握できていた。

 顔立ちや言動に表れる攻撃性は、彼女が育った集団の中で、自分を守るために身につけた心の鎧みたいなものなんだろう。

 実際、何か作業を始めれば、その繊細さは結果に如実に表れた。

 矢を放てば初撃から的を射抜き、よく風を読み、匂いにも敏感に反応して嗅ぎ分け、取れた獲物を捌かせれば綺麗に解体してみせる。

 ナイフ捌きも精緻で、鍛錬に付き合って手合わせをすれば、一つ一つの攻撃こそ軽いけど、丁寧かつ的確に急所を攻め抜く戦闘スタイルは見事の一言に尽きる。

 見た目や言動こそ幼く感じてしまうけど、エルフの森の使者は伊達ではないと、その実力が示してくれていた。



「とりあえず捌いちまおう。解体したら次からはもうちょい丁寧に仕留められるしさ」


「おまえはそう言ってばかりで結果が……いや、そうだな。おまえは二回目からはキレイに仕留めてる……」



 竜頭蛇尾の語調で、顔も一緒に俯いていくモーリを無視して、ぼくはさっさと熊の解体に取り掛かる。

 ここで苦笑なんかすると、弓で殴られるのだ。

 慰めても殴られる。

 頭を撫でようものなら、子ども扱いするなと怒鳴られながら、しこたま殴られる。

 無視しても怒られるんだけど、殴られないだけマシだ。

 この瞬間沸騰する少女は、怒りすぎたり殴りすぎたりすると、後で隠れて泣くのだ。

 正直面倒くさいんだけど、ぼく自身そういう経験はあるので、刺激するタイミングは選んでマルセリーと一緒にフォローしている。

 今回もどうせ泣くんだろうけど、お互い反省点は少なく済ませた方が改善も楽になるもんだ。


 マルセリーも察しているのか、解体の他の準備を進めてくれている。

 脚だけでモーリの背丈ほどの大きさの熊だ、ぼくら3人では消費も持ち運びもできない。

 近隣のエルフに合図を送って呼び出し、引き取りと報酬の決済を行う必要がある。


 王都カルメリでの騒動からは3ヶ月半、エルフの森に足を踏み入れてからは2週間、こういう対処にもそろそろ慣れてきていた。



 カルメリでの晩餐の後、ぼくは約1ヶ月を色んな手続きに追われて過ごし、開拓村へ戻るアデリーたちと一旦別れてガバンディ邸に移動。

 サリィ、マルセリー、モーリとの4人で見聞を広めがてら、1ヶ月かけて徒歩で開拓村まで移動し、開拓村でもまた準備や手続きに追われて1ヶ月を過ごした。

 それからようやく、エルフの長老たちがいるとされる聖地を目指すべく、エルフの森に旅立つことができた。


 ロザリオとケントの親子、ガーネットとその父、ジョージとダニエル親子、その他関係者一同。

 彼らは死罪こそ免れたものの、爵位持ちは一旦爵位を剥奪され、新たに辺境伯に任命されたアデリーの監督下に置かれることとなった。

 ガーネットの父は商人だけど、不正当事者全員に賠償金の支払いが課され、財産の大部分を剥ぎ取られたことによって、彼もまたアデリーの監督下で再出発を余儀なくされた。

 ケントとガーネットは恩赦で罪のほとんどを免れたけど、再教育の必要ありとして、カルメリにある総合大学への入寮と4年間の就学を命じられた。

 甘いといえば甘い裁きだし、当事者にとっては厳しい裁きになったんじゃないだろうか。

 アデリーには正式に戦力増強が勅命として下された関係で、マリーの側近が業務補佐の名目で結構な人数を送られるようなので、ぼくが旅を終えた頃にロザリオ側に死人が出ていても驚かないと思う。


 ぼくはぼくで、カルメリでは本当に色んな手続きに追われた。

 市民登録と冒険者ギルドでの身分登録を行い、奴隷獲得と解放、後見人登録の手続き等々。

 市民登録は住居が必要だと言われ、賠償関係で接収された不動産の中から小さくて管理しやすい物件を選んでもらい、それを使わせてもらうことになった。

 書類関係でしか使ってないので、ぼく自身、どんな建物なのかは見ていないし、知らない。


 ガバンディ邸では特に用事に追われることはなかった。

 ガバンディにはマルセリーとモーリが事情説明や今後のことを話してくれていたので、ぼくの仕事はサリィについての話だけで済んだ。

 サリィへの説明が一番苦労した気はするけど、エルフの森での用事が早く片付けば、ぼくもカルメリの学校で勉強する気でいると伝えたら、引き下がってくれた。


 実際に通えるのがいつになるかは分からんけど、一度は学校ってやつに通ってみたいんだ。

 前の世界にも学校はあったけど、ぼくはその門を叩いたことすらなかった。


 そこから開拓村までは大きなトラブルもなく、開拓村での日々も順調すぎるほどで、充実した日々を過ごせた気がする。

 まだ幼いのに大人びた雰囲気を纏ってしまっていたアトレテスには心配してしまうところもあるけど、彼にはソラスという妹もいるし、何より開拓村の大人たちが一丸となって親となり、友となって、彼ら兄妹に接してくれている。

 なるようにしかならないけれど、その行き先は明るい未来に向かっているのだと信じたい。


 トルメトルさんには、ぼくが開拓村を後にしてからの経緯を掻い摘んで話すと、とても愉快そうに笑われてしまった。

 話がマルセリーのことに触れた時には苦笑いを浮かべ、マルセリー本人と二人きりで酒を酌み交わしている姿にはしんみりとした空気を醸し出していたりと、あの二人は浅からぬ関係にあるんだろう。

 役には立たないかもしれないけれどと一言置いて、エルフの森へと旅立つ時に、書状を一封手渡してくれた。



 そんな日々を経て、ぼくは今、エルフの森の聖地を目指して旅をしている。

 一難去る前に一難以上増えてる気はするけど、この世界に辿り着いて最初に鉢合わせた災難には一区切り着いた。

 これからはじっくりと、この世界を堪能し、この世界の住人の一人になれるように時間を重ねたい。

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