種明かし

 王都カルメリは、かつて北方リンド国と南方ヘルマシエ国との国境付近に位置する寒村で、リンド国が南下政策を取ればリンド兵によって蹂躙され、ヘルマシエ国が北上政策を取ればヘルマシエ兵によって蹂躙されるという、戦乱の渦中にあった。

 そのような状況でもカルメリが街として存在し続けたのは、雌竜山脈より流れ出る大河を二つに分かつ大三角州に位置しているという地理条件が大きく影響していた。

 農耕技術が未発達で食料の確保に難儀していた当時の周辺諸国にとって、安定して恒久的に豊富な食料を生み出すその街は、壊滅させてはならない重要な拠点として扱われた。

 それ故、リンド、ヘルマシエの両国は、侵攻の際に蹂躙はしても、奪い尽くさず、殺し尽くさなかった。


 そんな状況を一変させたのは、アナマリアという女性である。

 銀の髪に真紅の瞳、エルフを父と人の母の間に生まれたハーフエルフの彼女は、唐突に歴史上に姿を表し、カルメリ内の兵という兵を打ち倒して従え、豊穣国グランティンバー建国王として名乗りを挙げた。

 その右手はあらゆる魔法を操り、その左手はあらゆる武器を使いこなし、戦場に現れれば必ず先頭を駆け、単身で幾百と屍の山を築き上げた。

 「戦場の徒花あだばな」「死神」「悪鬼」等々、彼女の戦場での様相を畏怖する二つ名は100年続いた戦争の中で無数に増えたが、才覚を示した者には種族や身分の別なく取り込み、時として戦闘の最中であっても敵国の将を引き抜いてみせるなど、その懐の深さや先見の明を讃える詩歌も世に溢れた。

 個人の武は天下無双、知略にも長け、人望も厚く、人心掌握と采配にも精通するといった他の追随を許さぬ傑物は、一つだけ欠点があった。

 無類の戦闘狂バトルジャンキー

 取り分け、強い武人には目がなかった。

 勇者が現れたと聞けば挑み、強者が現れたと聞けば挑み、地に、海に、山に、怪物が現れたと聞けば我を忘れて駆けつけて討ち果たした。

 近隣の古来からの信仰、双竜教会が祭る雌雄山脈の竜にまで挑み、六日六夜続いた決闘の末、七日目には竜と酒を酌み交わし、下山した時には竜との友好の書状を手にしていたという。

 グランティンバー建国王にして生ける伝説アナマリア、その統治は建国以後100年で現在の領土を築き、以降400年に渡って平和をもたらしたという。



「で、これがその建国王その人ってことっすか?」


「その通りだ!」



 国王アナマリアその人が胸を張って元気に答える。

 上質な綿素材の白いスーツに覆われた胸も、ボタンをこれでもかと引っ張って自己主張する。

 これが国王ですと言われても誰もが疑問符を浮かべそうなシンプルな白いパンツスーツ姿。

 見分けるポイントは胸に施された、剣に絡み合う二頭の竜を象った刺繍くらいだろうか。

 剣と竜のモチーフを囲むように刺繍された複数の稲穂が、農業を主軸とするグランティンバーの国風を象徴しているにかもしれない。


 それにしても、文官のおっさん、国王の内政補佐官だそうだけど、その人の説明を聞いて、ぼくは後悔の念に包まれていた。

 力技でどうこうできる相手ではなかった。

 力技が完全に逆効果だったとは恐れ入る。

 最大のジョーカーはぼくではなく、この王だったのだ。

 頭が痛い。

 聞いた話の内容だけで500年の厚みを持つ武闘派で、建国宣誓時点の戦闘能力を考慮するとその倍は厚みがあると考えられる。

 「生ける伝説」が伊達や酔狂ではなく、文字通りの伝説レジェンド

 正直、今すぐにでも逃げ出したかった。

 あの近衛騎士団って、最終防衛線なんかじゃなく、ファンクラブの頂点みたいなものなのかもしれない。



「なあ、イエンよ。お主、妾に何太刀入れたかのう?」


「一太刀も入ってません」


「そうだったか? お主と全力でやり合ってみたいのう」


「周りで確実に死人が出るのでダメです」


「む。そうだな、それはいかん。ならば東の荒野で」


「地形が変わるんでダメです」


「ならば雲の辺りまで飛べばその心配はないな」


「ぼく飛べませんし高いところは苦手です」


「むう。そうだ! 結界を使えば良かろう!」


「王の全力を受け止めきれる結界なんて誰が張れるんすか?」


「むー……お主が覚えれば良かろう!」


「するとぼくは全力じゃお相手できませんね」


「だー! あー言えばこー言う! いけず!」



 美味しそうな料理を目の前にして、それに手を付けるに付けれず、何故か膝の上に座って絡んでくる国王の横暴に耐え続けるという拷問を課されている。

 現在地は王宮内の食堂。

 アデリーたちも全員が食卓を囲んで、沈黙を守るように静かに食事をしている。


 近衛騎士団長との対峙の後、興奮が頂点に達したこの暴君を止められる者は皆無だった。

 適当に相手すればその内疲れ果てて諦めるだろうなどというぼくの甘い夢は、手合わせを始めて10分程度で粉々に打ち砕かれた。


「これはどうだ?」


 なんて軽く言った直後、急激な魔力の膨張が起こり、反射的に張った多重障壁を粉々に粉砕しながら演習場の一部に大穴を空けてくれたのだ。


「おおお! これを凌ぐか!」


 そう歓喜してみせた暴君にズカズカと歩み寄り、渾身のチョップをその脳天にお見舞いして、文官のおっさんと2人での説教が始まり、その場はお開きとなった。

 ぼくに歩み寄られている間、何が起こるのかと期待に満ちて輝いていた国王の顔は、完全に子どものようだった。

 思い出すと溜め息が出る。


 文官のおっさんの指揮の元、暴君は執務用の着替えのために連行され、ぼくたちは詫びも兼ねてとのことで昼食に招かれ……ぼくだけが美味しそうな料理を食べられずにいる。

 シンプルな装飾の白磁の皿にはリゾットのような色付きの米飯が盛られ、厚めに切られて焼かれた3種類ずつのベーコンとハムが5枚ずつ盛り付けられている。

 香辛料の匂いと焼けた匂いが合わさって食欲が刺激され通しだ。

 木のボウルには数種類の野菜が綺麗に配置されて盛り付けられ、白磁のカップには湯気を立たせる黄金色のスープ。

 冷める前に一口飲みたい。

 コンソメスープだよねあれ?

 料理人の腕がその一皿に表れる基本のスープ。

 宮廷料理人の腕前を知る希少な機会だ。



「へーか、ぼくもお料理いただきたいんですが」


「マリーと呼べ」


「退いてくれたら考えます」


「む。考えるだけでは足りんな!」



 チッ。乗ってこんか。

 脳筋じゃ国王は務まらんってことかな。



「お主、なんぞ失礼なことを考えておったろう?」


「いえいえ。へーかのお体が羽の如き軽さなので、ちゃんと中身が詰まってるのが意外だなと考えてただけです」


「反応が淡白だから不能を疑っておったが、なんだ褥を所望だったか」


「ぼくが所望してるのは目の前のごはんですよへーか」


「マリーと呼べ」



 執拗にぶっ込んでくる要求はいちいち身の危険を感じるけれど、ぼくの名前は発音も完璧に呼んでくれるので、呼び方の要求は飲んでもいい気はする。

 ただし、飲み方に気を付けないと墓穴を掘りかねん。

 アデリーの切り札になる覚悟はしたけど、宮仕えする気など毛頭無いのだ。



「へーか、現在は公務中ですか?」


「私的な飯時だ。お主らは妾の私的な客人である」


「ならばマリー、ぼくもごはん食べたいんで自分の椅子に戻ってくれると嬉しいな」


「お! そうだな! 冷ましてしまっては勿体無い!」



 上機嫌で膝から飛び降り、上座に着いて食事を始めてくれた。

 プライベートな時間でなら飲めない要求でもないし、王宮に来る用事など早々作らんから、名前の呼び方程度なら構わんだろう。

 条件付けが無事に成功したことにホッと胸を撫で下ろし、ご馳走を楽しむことにした。



「時に、アデリー・サロフェットよ」


「はッ!」


「そう畏まらずともよい。今は妾のプライベートタイムだ」


「はあ」



 アデリーは困っている様子だけど、それも仕方ない。

 予定は狂いっ放しだし、雲上人に普通にしろと言われても無茶振りだと思う。

 対応一つ間違えば物理的に首が飛ぶ可能性を否定できんのだ、普通は嫌が応にも慎重になる。



「妾の客人との私的なやりとりを口実に、妾の客人に害を為す愚か者がいるなら、其奴そやつの首が飛ぶ。妾には耳ざとい部下も居るでな」



 上品にナプキンで口元を拭いながら、なかなか物騒なことを口にする。

 アデリーも若干顔が引きつってしまっているけど、諦めたらしい。



「じゃあ、お言葉に甘えまして」


「うむ。それでよい。リッツとは上手くやっておるのか?」


「親父殿とは仲違いしたわけじゃねーですよ。兄貴たちも付いてますし、元気にやってるはずですぜ」


「そうか。だが、たまには文の一つも送ってやれ。あれも不器用な男だからな、お主の身を案じても自分から何かしてやろうとはするまい」


「陛下は親父殿をご存知で?」


「お主にも一度会ったことは……ああ、あれはお主が生まれる前のことか。サロフェット家には長いこと世話になっとるでな、お主の父にも会いに行ったことがある」



 アデリーは呆然としているが、マリーは構わずに続ける。

 ぼくはベーコンを楽しむ。

 焼き加減が素晴らしい。

 少し冷めてるのが惜しまれる。



「周りへの説明が足りんのもあれの悪いところだの。難事を任せてあるからか、サロフェット家の当主はどうも代々そんな感じになっておる。お主にも苦労をかけた。許せとは言わんが、察して欲しい」


「ちょ! 陛下、頭下げんでください!」



 慌てるアデリーは見慣れたけど、家臣に頭を下げる王ってのは滅多にお目にかかれない。

 敵に回さなくて良かったと思うし、今後も敵に回したくはない。

 アデリーに頭を下げるマリーの姿を見る兵士や補佐官の表情は、気持ち悪いくらいウットリしている。

 マリーのためなら命を投げ出すのも躊躇しそうにない、そんな危うさを感じる。



「これからはお主にもこれまで以上に頼ることになる。どうか妾とこの国の民に力添えして欲しい」



 あ、これは頷いたら苦労が倍になるやつだ。



「はッ! 喜ん……ん?」


「言質は取れたの」


「これまで以上ってどういうことですかい?」



 アデリーが涙目で訴える。

 アメリアさんもコルドゥも心配そうに事の成り行きを見守っている。

 食事を終えてしまって持て余した暇潰しだろうか、ケントとガーネットは興味深そうに眺めている。

 コルドゥなんか気が気じゃないよな、アデリーだけ引き抜かれたらロザリオを裏切った意味が薄くなるんだし。

 アメリアさんは何だろう? 次の上司が誰になるのか不安なのかな?


 マリーはニコニコと心底楽しそうに微笑み、


「お主らが持ってきた訴状で幾つか椅子に空きができてしまうであろ? その椅子には誰かを座らせねばならん。普段ならばガキどもの好きにさせるのだが、今回はそうもいかんのだ」


「俺らまだなにも……」


「言ったであろ? 耳ざとい部下がいる・・・・・・・・・と」



 同じことを二度言わせるなと言うかのように、僅かに不満を表情に浮かべて、マリーが告げる。

 でもマリーさん?

 耳ざとい部下が目立ってると、聞こえが悪くなるんですよ?



「妾は無類の喧嘩好きだ。お主らも見た通りにな」


「自覚はあるんすね」


「うむ。今すぐにでもこんな窮屈な椅子なぞ投げ出して、なにも気にせずにイエンと喧嘩したいと思っておる」


「ぼくは嫌ですけどね」


「このいけず! 分からんちん!」


「口調口調」


「むう。まあよい。アデリーよ、そんな妾が何故この国を興し、今尚この窮屈な椅子に座り続けていると思う?」


「んー? 陛下の母君が人であることとか関係ありますかい?」


「関係なくはない。当たらずとも遠からずではあるが、お主の着眼は大変好ましい。あの部下どもに慕われるのも分かる。なあ、コルドゥ?」


「ヒッ!?」


「ハハハハハハ! 案ずるな。悪いようにはならん」



 唐突に話を振られてコルドゥは萎縮したけど、内容が内容なだけに、そうなるのも仕方ない。

 マリーは一頻りひとしき笑った後、真剣な表情で話を続ける。



「この国の名、グランティンバーとは妾の父の名だ。妾は生前の父が語った理想を実現させるために立った。人とエルフの別なく、誰もが安心して健やかに生きて逝ける国の実現だ。……その歩みは未だ道半ばにすら至っておらぬがな」



 マリーの顔に翳りが差す。

 が、アデリーを含め、その話がどう繋がるのかと問う視線がマリーに注がれる。



「その理想の実現のためには、凡人の助けも必要にはなる。だがしかし、凡愚の入る余地はない!

 それとな、近々厄災・・が起こる。故に、凡愚の改善を待つ猶予も潰えたのだ。だからお主らに討たせた」


「……はあ?」


「ダニエル・ネイド・グロッシアをけしかけたのは妾の手の者だ。まさか飛竜殺しアントン・カーヴァーまで引き出すことになるとは思いもせず肝も冷えたが、お主らは妾の期待以上の成果を挙げてくれた。感謝している」



 アデリーを筆頭に、開拓村の3人は目を白黒させて言葉を失くしている。

 何か思い当たったのか、アデリーが辛うじて口を開く。



「じゃあ、俺が出した早馬は……」


「うむ。ロザリオ・キャロルも動いてはおったが、妾が止めさせた。時期を待てとな。その時期も本来ならばもう少し早かったものを……まったく。悪ガキには困ったものだのう?」



 背筋が凍り付くような鋭い殺気がケントとガーネットの二人を射抜く。

 蚊帳の外だと油断し切っていた二人は、完全に意表を突かれた形で固まってしまっている。

 マリーの馬鹿げた力は二人も目にしているし、力を封じられている今、この殺気を受け流せる余裕はないだろう。

 もうお仕置きは受けてるので、同情する。

 こうした反応はぼくにとって想定内ではあったけど、マリーが色々と想定外なので、本当に心底同情する。



「あー、マリー?」


「分かっておる。みなまで言うな。いつか灸を据えねばと思っておったのを先送りにし続けた挙句、事ここに及んで失念していたのは妾のミ」


 ゴッ


「あだッ!?」



 グダグダ言い始めたマリーを見ていると妙な使命感に駆られて、履いていた右のブーツをマリーの顔面に投げてしまった。

 悪気はないんだ。たぶん。



「何とかなったんだ。構わん。も据えた。とびきりの奴をな。後で確認してみりゃいい」



 ざわつき出す兵を手で制し、マリーは顔を押さえて天井を仰いだ。

 その口元は愉快そうに両端が上がっている。



「クカカカカカ……! こんなツッコミ何百年振りだ! ハッハッハッハッ! ブーツもくっさ! アッハッハッハッハッハッ!」



 場にいる誰もが呆気にとられる中、ヒーヒー言いながら笑い倒したマリーは、手にしていたぼくのブーツを投げ返し、笑い過ぎて涙に濡れた目元を拭って、晴れやかな顔を覗かせる。



「ありがとう」



 真っ直ぐなその言葉は、居合わせた者の内何人の心を射抜いたことだろう。

 王のカリスマも効いた恋の矢で、この部屋にいる兵士が新たに数人近衛騎士団ファンクラブの門を叩くことになるんじゃないだろうか。

 頑張っていただきたい。



「ブーツ投げて礼を言われたのも数百年振りだよ」


「イエン、おまえは暇を作って酒に付き合え」


「落ち着いたらね」


「分かった。さて、時間が押してしまった。軽く要点だけ伝えて、詳細は謁見の後に説明しようと思うが、それで良いかな?」



 マリーが一堂を見渡すが、不満を述べる者はいない。

 アデリーたちは不満を述べようにも判断材料が足りないからだとは思うけど。


 その様子に一つ頷き、マリーは言葉を続ける。



「差し当たって、まずはアデリー・サロフェットの今後について。お主には厄災の到来に向けた兵の育成を頼みたい。人選は任せる。あの村の者を全て引き連れていっても構わん。他に使えそうな人材のリストも後で部下に送らせよう」


「承知しましたーッ!」


「うむ。次に、これから行う謁見について。一芝居打つ。お主らは黙ってみておれ。それが済んだら宴だ。楽しみにしておれ。以上、各々準備に取り掛かれ!」


「「「おー!!」」」



 ぼくは一人乗り遅れてしまった。

 これって私的な食事の時間じゃなかったのと疑問に思ってしまったからだ。

 キョロキョロと周りを見回してそれとなく乗っかろうとしたら、深紅のブーツが顔面に飛んできた。



「ンゴッ!?」


「ノリが悪いわ! ハハハハハハ!」


「へいへーい。おー」



 食堂内は妙な高揚感に包まれ、連鎖して広がる笑い声に満たされて行く。

 渦中の6人は表情も様々だけど、ここまで来たらなるようにしかならんだろうし、悪いようには転ぶまい。

 そうであって欲しいと願いながら席を立ち、謁見の間の控え室へと移動を始めた。

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