鬼の目にも涙

 応接間までの道を小走りで急いだ。

 焦りと後悔で思考がまとまらない。

 駆け降りようとした階段で背負ったマルセリーを落としそうになり、支えようとしてサリィを落としそうになり、自分をクッションにして持ち堪えたけど、代わりに涙腺が決壊した。



「ごめん……少しだけ……」



 仰向けのまま、二人の無事にほっと安心して、力尽くで涙を止めるように左手で目を覆う。

 強く閉じた瞼の裏に、大切だった人たち……大切にできなかった人たちの、末期の姿が浮かんでは消える。

 乱れる呼吸、湧き上がる嗚咽の気配に脱力して応じ、半端に吸い込んでいた肺の空気をゆっくりと吐き出して、呼吸を整える。



 急ぐんだ。焦るんじゃなく、急ぐんだ。



「あんた……大丈夫?」


「ありがとう。落ち着いた。サリィも、ありがとう」



 ぼくの右手を握ってくれるサリィの小さな両手に軽く握って返し、左手で涙を拭って、上体を起こす。



「今は急ごう。サリィ、歩いて着いてきてくれるか?」


「はい。遅いですけど、走れます」


「ありがとう」



 マルセリーを背負い直して立ち上がり、サリィに先導してもらう形で目的地に急ぐ。

 気絶して廊下の両脇に転がってる者たちを流し見しながら、悪いことしたなと胸中で詫びながら。



「あんたって泣き虫ね」



 背中からそんな声が聞こえる。



「まったくだ」



 本当に、誰が子どもなんだか分からない。







「イエン殿、喉が渇きました」



 応接間に到着するなり、アントンさんから不満の声が挙げられる。

 物理障壁に阻まれてティーカップを手に取ることもできずにいたらしい。

 サリィの弟は、そんなアントンさんの仕草を見て楽しそうにしている。



「すんません、失念してました」



 ほっと胸を撫で下ろして、ガバンディのものを除いて障壁を解除する。

 サリィとマルセリーを座らせる椅子が足りなかったので、床に座ってもらってお茶の準備に取り掛かると、サリィが手伝ってくれた。


 床とはいえ、お高そうなふかふかの絨毯の上だし、座り心地はそう悪いもんでもなかろう。

 その絨毯は随分傷ませてしまったので廃棄されるんだろうけど、それで絨毯の職人が潤うなら問題なかろう。

 修繕費その他の確保のため、ガバンディの領民の税が重くなるのは本意じゃないけど、その辺のことも含めてガバンディとはじっくりお話しせねばなるまい。



 淹れ直した紅茶を手渡しながら、アントンさんには改めてお詫びする。



「取り乱してしまって、ご迷惑おかけしました」


「全く困ったもんですな。止めようがないから手に負えない。肝が冷えましたよ」



 紅茶を受け取りながら、アントンさんは静かに抗議の言葉を紡ぐ。

 その声は責めているようにも聞こえ、力不足を嘆いているようにも聞こえる。



「しかし」



 アントンさんはそう一言置いて、紅茶を口にしながら言葉を続ける。



「貴殿のような御仁でも、人並みに取り乱しもし、人並みに涙を流すものだと知れて、安心しましたよ」



 ニッコリ笑ってウィンク一つ。

 お茶目なナイスミドルだわ!



 そんなやり取りの後、室内の臭いやら風景やらが色々と悲惨な状況になっているので、妙に馴染んでしまった二人の兵士に手伝ってもらい、部屋の片付けに取り掛かった。

 換気のために開け放った窓から見える景色は、既に夜の帳が降りた後、地平線の近くに薄っすらと背の高い城のシルエットが浮かび、空には満天の星、地上には疎らな家々の灯り。


 海まで随分遠いんだなと呟いた言葉に、声を拾った者が銘々に説明や郷土自慢を披露してくれた。

 こういう時間はいいもんだなぁ。




 なんだかんだでマルセリーを除く大人総出で片付けに勤しみ、流れ作業でガバンディ邸の住人を武器を剥ぎ取っては縛って手近な部屋に転がし、失禁その他で異臭を放つ者は浴場で服ごと洗って乾かし、協力を申し出る者があれば手伝いに取り込んで、片付けが終わった頃にはサリィの弟を筆頭に待機組は眠ってしまう時間になっていた。


 さっさと用件済ませて開拓村に戻るつもりだったので、とんだ大誤算だ。

 自分が派手にやらかした尻拭いに他人を付き合わせてるので、文句が言えないどころかお礼と謝罪が必要な状況だよね。

 いやほんと面目ない。



 ガバンディは途中で意識を取り戻したけれど、片付けを優先すると説明して黙って待ってもらった。

 音を遮断した障壁の中で。

 光まで遮断するとね、壊れちゃうからね。


 片付けが終わって解放したガバンディは、疲れ果ててグッタリしていたけど、厨房までご一緒していただいて遅い晩ごはんの準備を指示してもらってから、応接間で休憩していただいた。



「疲れたー! みんなお疲れー!」



 腹減っただとか眠いだとか、思い思いの反応が返ってくる。

 無駄に増やした仕事を手伝わせてすまんかった。



「結局その方は何をしにきたのだ」



 疲れ切った様子で細身の中年男性が訊いてくる。



「あんたの元奴隷の弟の救出、死んでたらここの住人皆殺しにする予定だったんですよ、ガバンディ卿。あとついでに別件の容疑者の確保かな」



 最初に見た時より白髪と皺が増えたように見える茶髪の中年男性、ガバンディは、諦めたように溜息を吐いて項垂れる。



「分からん。それがなぜ誰一人殺すこともなく、あまつさえ負傷者の治療や掃除までやっておるのだ」



 首を横に振りながら独白のようにこぼしている。



「ぼくは好きで人殺してるわけじゃないからなぁ……あんたと違ってな?」



 ぼくの言葉と視線を受けて、ガバンディは身を震わせて縮こまる。



「目的の人物は生きてたし……まぁ、それでもあんたらが仇じゃなくなったわけじゃないんだろうけど、反省して改めるってんなら、ぼくは・・・命まで取る気はないよ」



 聞き耳を立てていたのか、アントンからホッと息を吐く音が聞こえた。

 ぼくは紅茶を手に取って口を潤わせながらガバンディに歩み寄り、その隣に腰を降ろして、小さくなってる肩を抱く。



「改められなかったらどうなるかは、だいたい理解できただしょ?」



 顔だけニコニコ笑うぼくの顔を恐る恐る見上げて、ガバンディは深く頷く。

 ガバンディの肩に回した手を外し、カップの中の紅茶を見詰めながら、ぼんやり思索に耽る。



「あんた一人に期待はしない。

 一人でできることなんかほとんどないしな。

 自分の大事なものを守るために他人の大事なものも守って、そうやってたくさんの人でお互いを守りあって生かし合うってのが、あんたら人が育んできた知恵と技術だと思ってんのよ。

 だからさ、あんたも一人で何もかも欲張って背負いこむんじゃなくて、もっと他人に助けてもらえばいいんじゃないかな」



 飲み干した紅茶は、冷めて生温い。



「ま、どう生きるもあんたの自由だ。馬鹿なことやらかしたら叱りにくるオーガが現れたとでも思って、頑張ってくれ」


「……泣き虫のくせに」


「マルセリーさーん? あーたはじっくりお話伺いましょうかねー?」


「やだー!」


「待てこんにゃろめ!」



 項垂れるガバンディにアントンが歩み寄るのを目の端で見送りながら、マルセリーの背を追ってその場を後にしたのでした。




―――




 マルセリーの逃げ込んだ先は、遅い晩飯の調理で忙しそうな厨房だったので、屈強な見た目の調理人たちに紅茶の礼を述べつつ、マルセリーの首根っこを掴んで引き摺り、おいとました。


 廊下に出てすぐ、マルセリーはぼくの手を払って立ち上がったので、何か言うでもなく上の階の月が見える窓辺に移動する。



「この世界も太陽は一つで月は一つか。気持ち月の模様が違うくらいかなぁ」



 窓枠に身を預けて眺める月の光は、故郷や壊れた世界で見たものと変わらないように思えた。



「なによ、違う世界から来たとでも言うわけ?」



 呼んでもいないのに着いてきたマルセリーが、何処から取り出したのか、煙草を口に咥えながら、ぼくの隣で窓枠に背を預ける。



「おー、煙草もあるのか」


「……? まさか冗談じゃないわけ?」


「ぼくがこの世界に来たの八日前だよ」


「はああああ!?」



 口元から落ちる煙草を宙空でキャッチして、手渡してから指先に火を灯す。



「……ありがと」


「こちらこそ」


「あれは……あれよ、ただの気紛れ!」


「へいへい」


  ゴッ


「あいたー!」


「ふんっ!」



 肘鉄は酷いっす。



「ほんでー? マルセリーもやらかしたんけ?」



 紫煙を吐き出して、マルセリーは俯向く。



「言い訳はしないわ」


「ぼくはおつかいで執行官じゃないからなぁ。泣き言くらいは聞くべ?」


「……あんたってほんと規格外よね」


「どこ行っても普通じゃないとは言われるな」



 ワハハと笑って、ぼくも窓枠に背を預ける。



「なんで森を出たん?」


「出たくて出たんじゃないわ」


「悪さして追放されたか?」


「逆よ。出来が良かったから監視者に任命されて、この国に派遣されたのよ」


「それでガバンディのとこに、か」


「ええ」


「そらなんつーか……災難だったな」



 エルフは長命ってだけで死なないわけでもないし、強大な力で他者をねじ伏せられるわけでもない。

 エルフの掟が人里のエルフを守ってくれるわけでもないだろうし、こうして囲われりゃある程度は従うしかないわな。



「しかし、よう禁忌に触れずに乱用できたな」


「そりゃそうよ。あの子たちのだって、誓約らしい誓約は何もかけてないもの」


「…………ん? あれ形だけで何も制限なかったってこつ?」


「死にたくないもの。当たり前じゃない」



 ん? じゃあ何か?



「それって乱用じゃなくね?」



 マルセリーは「分かってねーなコイツ」とでも言うかのように、煙を吐き出しながら首を横に振る。



「それを決めるのはあなたじゃないわ。頭にカビの生えた森のジジイどもよ」



 煙と一緒に毒でも吐き出してんじゃねーの?



「だいたい分かった。なんとかなるじゃろ」


「ならないわよ!」



 険しい顔に浮かぶ感情は、怒りと絶望か。

 命かかってるし、軽く言われりゃ怒りもするか。



「最悪、逃げりゃいい。森の力の及ばん土地まで。それくらいなら約束できる」


「は? そんなことできるとでも思ってるの? できるわけないじゃない!」


「知ったこっちゃないな。やると決めたらやるさ」



 興奮するマルセリーに詰め寄り、力任せに引き寄せて腰に手を当てる。



「おまえさんのはここだったか?」


「ちょっと! な……っ! 離しなさ……!」


「解くぞ」


「え? なに? え? え? え?」



 本家エルフの禁呪、確かに一味も二味も違う。

 サリィやサリィの弟のそれと厚みも質も段違いで、マルセリーが言ってた言葉の意味が実感として理解できる。

 制約や禁忌の概念が長大な術式として形成され、魂を覆い尽くすように刻まれている。

 これ組んだ奴、ネチっこい性格してそうだわ。


 魂に魔術を刻み込む・・・・ことは可能なのかという問いは、水に文字を刻み込むことは可能なのかという問いにほぼ等しい。

 魔法、魔術という通常不可視の魔力を扱う技術で、魂の表層から肉体までの間の情報結合面に侵入、干渉することができる程度で、魂それ自体に影響を及ぼすものではない。

 他にも重大な理由はあるが、それは魔法や魔術の深淵と言うより、生命の神秘、その深淵と呼ぶのが妥当な領域の話になる。

 この世界にいるのかどうかは知らないけれど、巫女やシャーマンと呼ばれる者たちは、その深淵に詳しい。

 口寄せなんかは、正にそんな深淵に触れる技術だと言えるんじゃなかろうか。



 なので、どんな緻密な魔術であっても付け入る隙は必ずあるし、打ち破ることは可能だ。



 術式に触れぬように、その間隙を縫えるように、魔力を細く研ぎ澄まし、マルセリーの魂と術式の間に滑り込ませる。

 術式自体も魔力で覆い隠し、肉体からの情報を魂に、魂からの情報を肉体に伝える伝達経路を確立して、情報を保護する。

 それが終わると、術式を構成する魔力をジワジワと侵食して溶かして喰らう。


 マルセリーが声にならない声を発していた気はするが、聞いてる余裕はなかったし、聞かなかったことにしよう。



「終わったよー」


「あう……ッ!」



 声をかけると、マルセリーは呻いてその場で崩れるように座り込み、呼吸を荒くしてうつ伏せに倒れ伏してしまった。



「大丈夫か? どっか痛む?」


「ちょ……待っ……触らな………ああッ!」


「おおう!?」



 よく見れば、マルセリーの白衣は滴るほどの汗で濡れていて、石畳の床に水溜まりまで作り出していた。

 術式は完全に消したはずだから動かしても問題は大きくならないとは思うけど、その様子を見るとさすがに心配にはなる。

 脱水症状怖いしなぁ。



「とりあえず浴場に運んでサリィ呼んでくるから、少し堪えてくれ」



 返事を待たずに抱きかかえ、浴場まで走る。

 マルセリーはしがみ付きながら歯を食いしばって耐えようとしているけど、時折苦悶の声が漏れ出ている。


 浴場に着いてマルセリーを降ろすと、サリィの召喚を試みる。

 移動している間にマルセリーは更に汗を流していたので、上体を抱き起こし、温めに温めた水球での水分補給を試みる。


「ご主人様、如何されました?」


「ああ、サリィ。急でごめんよ。マルセリーがこんな状態なもんでさ、汗を流させて着替えさせてやって欲しいんだ」


「承知いたしました」


「ぼくは着替え持ってきてもらえないか訊いてくる。悪いんだけど、後は頼んだ」


「はい。お気を付けて」



 サリィの言葉は堅いよなぁ。

 柔らかい言葉遣いを学ぶ機会を……いや、それは今じゃなくていいんだ。急ごう。


 応接間に行くと、少し落ち着いた様子のガバンディや、そんなガバンディと会話を楽しむアントンさん、いつ解放されたんだか執事やメイドの面々も普通に仕事してらっさる。

 ガバンディとアントンさんが対応したんだろうか。

 今はありがたいので、事情を説明してマルセリーの着替えを浴場に持って行ってもらうよう頼み込んだ。


 そこまでやれば、ぼくの出る幕はもうない。

 精神疲労で休憩したかったので、空いてるソファーに腰を下ろして、サリィとマルセリーの帰りを待つことにした。

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