第3話 子供の味覚

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「こうして、みじん切りにしたタマネギを、油を引いた鍋に入れて――」


 私はマキちゃんに説明しながら料理をしていた。

 深めの鍋の底で、タマネギがジュウジュウと音をたてる。色が透き通ってくると、ふわりといい香りが鼻腔をくすぐってくる。


「カレーって……こんな簡単なの?」


 マキちゃんは唖然としながら言った。ここまでは牛肉やニンジンを一口大に切るだけなのだ。

 タマネギのみじん切りは、フードプロセッサーを使えばあっという間に出来上がる。通販で紹介されていたやつだけど、使い勝手がよかったので購入を検討したい。


「そうよ? 本当はもうちょっと炒めたいけれど、ここにニンジンを入れてよく炒めて、それから牛肉――そして、沸騰してきたらを取り、火を緩めて具材が柔らかくなるまで煮込むの。それからルウを入れて、一煮立ちさせたら完成よ」

「は、はえー……。あれ? ジャガイモは入れないの?」

「ああ、ジャガイモは痛みやすいらしいからね。

 二人しかいなくて減るのも遅いから、この時期は使わないのよ」

「そ、そうなんだ!」


 まるで娘に教えているような気分だ。

 感心しきったように何度も頷くマキちゃんの姿に、私は微笑ましい気持ちになる。


「私もマキちゃんの頃、母から料理を教わったのよ」

「え?」

「あ、い、いやっ、何でもない! あはは……」


 するとマキちゃんは「紀子さんって家庭的でいいなー」と言い出した。


「男子たちが惹かれるのも分かる気がするよ」

「え、えぇっ!? そ、そんなことないわよ……!」

「あれ、知らないの? 紀子さんファンも多いし、女子も見習ってるのも多いよ。

 “紀子さんヘア”って言って、お下げ髪にする子も増えてきてるし」


 そう言われると、テストの時期などは髪を二つに分けたお下げ髪の子がチラホラ見かけた気がする……。マキちゃんは「それに」と続けた。


「オバさん下着も地味に流行ってるよ? 親パンって言うの?

 穿いてみると意外と楽だとか、ダサいけど妙な色気があってイイとかで」

「そ、そんなの流行らせなくていいわよ!?」


 驚きだった。私の知らないところでそんなことが起こっていたなんて……。

 若者の流行って、本当に何がきっかけで生まれるか分からないわ……。


「あはは! でも、男子が紀子さんにメロメロになってるのは確かだよ。

 みんな『友だちのお母さんが美人だった感じ』とか『隣のお姉さん』とか言いたい放題だけど、チラチラ背中の透けブラ見られてるのとか知らない?」

「え、あ……」思わぬ言葉に、私は顔を赤くして口をパクパクさせるしかできなかった。

「もー、紀子さん可愛いーっ! やっぱ、そう言う清純そうなのがいいのかなぁ……」


 いつの間にか鍋の中は、だらけになっていた――。

 慌ててそれを取り除きながら、確かに視線を感じていたのを思い出す。あの時は、『何かついているのか』とあちこち調べたたけれど……。


(そう言うことだったのね……ああ、恥ずかしい……)


 思春期のまっただ中だし、健全な証拠でもあるのかもしれない。

 主人と付き合いだしたのは、十七歳の今頃だったはずだ。そのまま他に目移りすることなく、二十六歳まで付き合い、そこで私は妻になった――。


「私なんかより、他の子に気を向けた方がいいのに」

「あれ? もしかして先約入っちゃってる系?」

「へ? い、いや、な、ないわよっ?」


 口を衝いて出たけれど、『いる』と言うと面倒なことになるし……。

 私は誤魔化すように、カレールウを鍋に投入してゆく。


「へぇー」その横で、マキちゃんは何か意味深に頷いた。


 するとその時、ピンポーンとインターホンが鳴った。

 家主であるマキちゃんはパタパタと床を鳴らし、玄関へと向かう。

 私はその間、鍋の中のカレーをおたまでかき混ぜていた。円を描くのをぼうっと見ていると、


『おおっ、めちゃくちゃ美味そうな匂いしてんじゃん!』


 と、聞き覚えのある男の子の声が聞こえてきた。


「え?」と頭をあげると、そこには

「よお! ご商談にあがりに来たぞ!」と、野山くんが満面の笑みで右手を挙げた。

「そ、それを言うなら“お相伴にあずかる”よ。……って、なんでいるの!?」

「ん? マキが財布落としたっつーから、しゃーねーなって準備してたらよ、お前に飯作ってもらうからいいっつーからよ。それで来たんだよ」


 まるで説明が分からないけれど、何となく意味は分かった。

 けれど、どうしてそこから最後に繋がるのかが分からない。


「いやー、飯作れって言ったのを、本当にやってくれるとは思わなかったぜ!」

「野山くんのために作ったんじゃないからね!?」


 大きな口を開けて笑う野山くんに、私は諦めたように息を吐いた。

 その時、炊飯器から音楽が鳴った。何とまぁ、ベストなタイミングで来たんだろう――。


 野山くんはよくこの家に上がり込んでいるのか、コップや皿の場所など、どこに何があるのかすべて把握しているようだ。家主のマキちゃんも気にしておらず、『やってくれるならやって』と、すべて任せっきりである。

 時刻はいつの間にか十五時を告げていた。昼食には遅く、夕食には早い。

 けれど、このお腹を空かせた子供たちには関係ないのか、炊きたてのご飯の上にかけられたカレーが置かれるや『いただきまーす!』と、がっつき始めた。


「んんーっ♪ 美味しーぃっ♪」マキちゃんは頬に手を添えながら身体を左右に振る。

「んぉ、うめぇ! はふっ、はふっ……」野山くんは、早食い大会かと思えるほど勢いよくかき込んでゆく。


 いきなり二児の母になった気分だった。でも、こう言う子たちならいいか、と口元に笑みを浮かべながら食べ盛りな子供たちを見守っている。


(もし結婚してすぐに子供を産んでいたら、この子たちと同級生になっていたしら……)


 …………。

 考えるのは止そう。せっかくの楽しい気持ちが重くなってしまう。


「紀子さん、おかわり!」

「俺も頼む!」

「はいはい」


 今だけは、この子たちの“母”でいよう――。



 - 5 -


 マキちゃんの家を出た時は、もう辺りが薄暗くなっていた。

 山に囲まれている上に街灯が少ないのか、いっそう暗く感じてしまう。

 駅まで同じなので、野山くんと家を出た。

 二人は何と二皿半も食べ、『お腹いっぱいで動けない……』とソファーの上でゴロゴロしていたのだ。普段からいったい何を食べているのか、マキちゃんは『ママの料理は何かひと味足りないのよね』と言う。


(『子供の好みが分かってないような』、か……ああ言う子ほど、結構鋭いところ突くわね)


 私自身、他人に胸を張って料理を提供するほど腕があるとは思えない。

 けれど、若返ってから気づいたと言うべきか、子供たちは意外と味に敏感なのだ。上手くは言えないのだけど、“酸味”と“苦み”に抵抗を示し、“甘味”や“塩味”を好む傾向にある。あと“うまみ”……『美味しい』と感じたものは、昆布出汁などでちゃんととったものだ。

 恐らくは身体を作る要素、甘味でエネルギー、塩味でミネラル、うまみでたんぱく質を摂取しようとし、酸味や苦みは腐敗物などで拒絶しようとする。

 特別意識して作っていないけれど、自身が好む味付けにするとそうなってしまう。

 だから、“ソダチザカリ”な彼が気に入るのだろう。


「ああ、腹一杯でやべぇ」


 野山くんは満足そうな声で、お腹をぽんぽんを叩く。

 方向が同じなので、電車を降りてからも一緒に歩いていた。


「あれだけ食べれば当然よ。でも、よく食べたわね……」

「お前の料理うめーからよ。多分、弁当食いだしてから太ったぞ」


 屈託なく笑う姿に、私は胸が熱くなるのを覚えた。

 母が『女の料理で男が太るのは栄誉だ』、とよく言っていたのだ。


「普段から何食べてるのよ」

「コンビニ弁当やカップラーメンかな。流石に飽きちまったのもあるんかな」

「身体壊すわよ」

「お前の飯食ってたら大丈夫だ」


 ニマっと笑うこの子は、天然のジゴロなのかしら……。

 下心などを見せれば『その手には乗らないわよ』と返せるも、駆け引きなく女を殺す言葉を口にする彼は、何と罪深いのだろう。気持ちを落ち着かせるように、ほうと一つ息を吐いた。


「カーちゃんは今、スナックのホステスやって忙しいからよ。

 飯まで作れって言えねーから、金だけ置いておけつってんだ」

「お母さん想いなのね」

「そ、そんなことねーよ……!

 ただよ、親父と別れてからもガッコ通わせてもらってっし、そのために遅くまで働いてるからよ」


 ああ……この子はちゃんと親の背中を見ているんだ。


「――と、俺はこっちだから」

「あ、う、うんっ。ここまでありがと」

「変なのに絡まれんじゃねーぞ。じゃあな」


 野山くんの背中を見送ってから、私はぼうっとした頭で自転車をこぎ出した。



 それからどうやって帰ったか分からないけれど、怪我もせず帰って来たのなら何も起こらなかったのだろう。


「ただいま」


 リビングに戻ると、時計は二十時を回っていた。

 身体中が汗だくだ。早くお風呂に入ろう。

 そう思って、テーブルに荷物を置いたその時――リビングに主人がやって来た。その顔はやや不機嫌そうだ。


「今何時だと思っているんだ」穏やかだが、明らかに怒気が含まれている。

「仕方ないでしょ。それに遅くなるかもって言ったじゃない」

「そこまですることなのか」

「そうよ。私でないとできないからするの」

「甘やかしすぎだろう」

「それがいけないことなのっ?」


 私は乱暴に荷物を投げ置くと、「おいっ!」と呼び止める主人を無視してお風呂へと向かった。

 どうしてこの人は――シャワーの水が洗い場の床を叩く音の中に、愚痴を混ぜ続けた。せっかくの気分が台無しだ。

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