第7話 課外学習(2)

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「なに一人でたそがれてんだ」

「え?」


 私は突然声をかけられ、慌てて顔を向けた。


「あ、野山くんか。どうしたの?」

「いや、ぷらぷらしてたら、ボッチ飯してる奴見えたからよ」


 野山くんはニマニマしながら言った。あのボタンの……いや、コンビニの時から、妙に私に突っかかって来るようになっていた。暴力や嫌がらせなどはされないけれど、イジワルなことを言っては去ってゆく。


「悪かったわね。マキちゃんとはぐれちゃったのよ」

「マキと?」


 野山くんの片眉が上がった。


「アイツ、向こうで島崎とイチャついてたぞ?」

「え、えぇっ!?」


 思いもよらない言葉に、私はお弁当箱を落としそうになってしまう。

 確かに、クラスメイトの島崎くんとマキちゃんは仲がいい。途中でいなくなったのはまさか……気になる男の子と会ったから、なの?


「アシダカグモみたいな奴だよ、アイツは」

「あ、あし……?」

「アシダカグモ。家に出てくるデッカイ蜘蛛だよ。

 めちゃくちゃ素早く動いて、ゴキブリとかを仕留める奴なんだよ。

 で、捕食中に別の獲物見たら、それ捨てて獲物追いかけんだ」

「食べてるときに止めてよ。食欲がなくなっちゃうわ」


 そう言うと、野山くんは「お!」と声をあげた。


「食欲ねーんなら、ちょっとくれよ」

「えぇっ!? ご飯食べたんでしょ?」

「いや、食ってねえ。金ねーし、近くにコンビニもねーしよ」

「こんな所にあるわけないじゃない」


 お金無いのにコンビニ? と思ったけれど、これは深く考えないことにした。

 でも、これは渡りに船かもしれない。処分するくらいなら、欲しがっている人にあげる方が、食材も調理された甲斐があると言うものだから。


「しょうがないわね。私はもうお腹いっぱいだし、食べていいわよ」

「マジか! いよっしゃー!」


 ぐっと握りこぶしを作ると、小走りでこちらまで来た。

 私はマキちゃんように用意していたお箸を渡すと、野山くんはさっそく手を伸ばし始める。


「いただきます、は?」

「あ? いらねーよ」

「いらない、じゃないの。

 ちゃんと作り手に挨拶するのが筋よ、あなたたちはそういうの大事にしてるでしょ」

「ちぇっ、分かったよ――イタダキマス」

「はい、めしあがれ」


 不承不承と言った様子だけど、ちゃんと手を合わせて言うあたり律儀だ。

 仕切り直した野山くんは、卵焼きを掴むと、さっと口の中に放り込む。別に評価は期待していないけど、不味いと言って吐き出されることだけはショックだ。

 だから、もぐもぐと咀嚼する瞬間は、いつになっても緊張してしまう。


「んっ!?」野山くんは目を大きく見開いた。

「え?」


 口に合わなかったのか、と私は背中に冷たいものを感じた。

 しかし――


「うんめっ! 何だコレっ!」そう言うと、またもう一つ「やべ、うめえっ!」

「そ、そう?」


 私はその言葉に、ほうっと安堵した。


「お前のかーちゃん、めちゃくちゃ料理上手いな!

 マキが騒ぐわけだよ! このハンバーグもうっめっ! 飯、飯!」

「母じゃないわよ」


 私はご飯を渡しながら言うと、野山くんは固まってしまった。


「へ?」

「それ、作ったの私よ。ちょっと事情があって、私だけこっちに来てるの」

「マジでっ!?」野山くんは素っ頓狂な声をあげながら、私とお弁当を見比べた。「いや、まあ……お前なら不思議ではない、か? ってか、お前、めちゃくちゃ料理上手いじゃん!」

「ふふっ、ありがとう」


 野山くんは、ただ切って入れただけの野菜でも『美味い』と言って、どんどんと胃袋に納めてゆく。半分以上捨てることになると思っていたお弁当は、それに合わせて減ってゆき、あっと言う間に平らげてしまっていた。


「ごちそうさん!」

「す、凄いわね……」私はお茶を出しながら言うと、野山くんは満足そうな笑みを浮かべた。「もうないのか?」

「あれで全部だけど……ま、まだ食べるって言うの!? ほぼ一・五人分あったのよあれ!?」

「へへ! ソダチザカリ、だからよ。いやでも、マジで食えるぞ?

 あの卵焼きと、すき焼きみたいなのと、ハンバーグ。あれマジ美味かった」

「そう言ってもらえると嬉しいわ」

「あー、でも……」野山くんは申し訳なさそうに鼻先を掻くと「お前、全然食えなかったな……すまん……」

「謝らなくていいわよ。お腹いっぱいだったし、マキちゃんも食べると思って作ってたから、逆に食べてくれて逆に助かったわ」

「マキ、あいついつもこれ食ってんのか?」

「まあ、そうね」


 私は苦笑を浮かべながら言うと、野山くんは悔しそうに顔を歪めた。


「くそっ! こんなうめえもん、黙って食いやがって!

 おい、今度から俺の分も残しておいてくれよ」

「私の食べる分がなくなっちゃうわ」

「あーそうか。うーん……じゃあ、マキに食わすな! 俺に毎日食わせろ!」

「え……?」

「そうだ、うん。そうしろ。

 よーし、これから時間いっぱいまでサメ見てこよ。飯ありがとな!」


 野山くんは言うなり、ビュンと風のように去った。

 私は、空になったお弁当箱を手にしたまま、呆然とその背中を見送っていた。


(あの子、意味分かってて言ったのかしら……?)


 いやまさか。私はぶんぶんと頭を振った。

 この世代の子供が『毎日、俺に飯を食わせてくれ』とのニュアンスの言葉は、プロポーズに使われてるとは知らないだろう。

 なのに、どうしてか私の頬は熱く、頭がぼうっとしていた。



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 その後、マキちゃんとは何とか合流できたものの、


『ええ!? お弁当、アキラが食べちゃったの!?

 もうっ、なんで言ってくれないのよーっ!』


 と、どうしてか私が怒られてしまっていた。

 どうやら、野山くんに気づかれないようにしていたらしい。明日から食いっぱぐれてしまう、とガックリと肩を落とした。

 そしてその帰り――マキちゃんは『テツヤと席一緒に座る』と、気になる男の子と後部座席に移動したのだけど、


「何でお前と……」

「マキちゃんに言ってよ」


 今日はつくづく、野山くんと縁があるらしい。

 昼から水族館を回っていても彼と何度も会い、挙げ句には並んで座ることにまでなってしまっていた。まぁ、不快感と言ったものはないし、いいけれど……。


「…………」

「…………」


 ただ、会話がまったくないのは止めて欲しい。

 二人に特別話す話題がないので仕方ないけど……行きとは正反対だ。

 そのおかげで、ゆっくり眠れそうだけど――。

 私は窓際と座席の間に後頭部を埋めるようにすると、すっと瞼を閉じる。するとすぐに睡魔が私を優しく包み込んだ――。


 それから一時間ぐらいしてからだろうか。

 がたん、とバスが揺れ、私は薄らと目を開いた。前の席が右斜めに傾いている。

 右側にちょうど良い支えがあるおかげか、随分と心地よい姿勢が取れていた。

 時間的にあと三十分ぐらいかな。もう一眠りしようと、頭の位置を動かそうとした時……私は「ん?」と声をあげた。私は窓側にもたれかかっていたはず――。


「……起きたんならどけよ」

「あっ!?」


 私はさっと居住まいを正した。

 そして体裁を整えるように「ん゛ん゛っ」と咳払いをすると、そこに居た者を横目見てみた。


「今更取り繕ってもおせーよ……」

「い、いつから……?」

「お前が寝たって分かってからすぐ」


 その言葉通りなら、ほぼ一時間ずっと肩を借りていたことになる――。


「ご、ごめんなさい……!」

「いいよ。デブならキレてたけどよ、飯くれたし許してやんよ」


 不満げな言い方だけど、そこに不快なものは感じられなかったので、私はもう一度「ごめん」と小さく謝った。


「いいって。でも、お前はもうちょい太った方がいいんじゃね?」

「お、女の子に向かって言う?」

「めちゃくちゃ軽くて、重さ感じなかったし。スポンジかと思った」


 とりあえず、褒め言葉……として受け取っておこう。

 でも『太れ』と言われても、“未来”を知っている身からすれば、今の方が大事だ。


「近い将来、太るから大丈夫よ」

「何で?」

「未来の自分を知っているもの……」

「はあ?」


 私はしばらく、切ない目を窓の外に向け続けていた――。

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