第29話

 対人間の風紀委員長室、チョコレート型の扉から入って奥まったところにある重厚なデスク、二方の壁はすべて本棚に覆われていて、デスクの手前には花の飾られたローテーブルをはさんでヒナゲシとツァルツェリヤ、飯島和音と亜芽の順番で座っていた。飯島和音は北見蓮が早めに逃がしたこともあり傷自体は軽傷で。この疑問を解する場にどうしても参加したいということであったからここにいた。

 ツァルツェリヤは何が楽しいのか移動中も亜芽に対して手を繋ごうとしたりもぞもぞしていたが、亜芽には気づかれずにあえなく撃沈していた。髪がうっとおしいと顔を歪めた亜芽に「ぼくが結んであげるね!」とマントの装飾でもある白いリボンを引き抜いて結んでから上機嫌だったが。なんだこの過剰なまでの家族愛は。げんなりとしたヒナゲシは尋ねるのをやめた。なんか藪から蛇が出てきそうだったから。


「それで? 何が聞きたい、純血種の王」

「私にはヒナゲシという名がある」

「……ヒナゲシ、なにが聞きたい?」

「まず、貴殿の存在から聞きたいな」

「……俺? なにも面白いものはないんだが。まあいいか。俺の名前は三条亜芽。これは女王陛下につけられた名前で、他にもイスケといった名がある。両親につけられたのはイスケだった気がするな。もうよく覚えてないが。『傲慢』と『嘲笑』の『種』から生まれた蛇神だ」

「種?」

「蛇神は人間の膨大な数の感情を固めて種とし、人間の胎の中で育つ。そして人間のように生まれるんだ。そして、生まれた種と同種類の感情を他人から喰らって生きる」


 蛇神の生態はいままで詳しいことはわかっていない。なんせ神話上の生き物とされてきたからだ。ヒナゲシとて、実際に実物を見るまではそう思っていたのだから、そうだろう。

 リワインド・インパクト以前の蛇神を研究していた研究者たちがいたらよだれを垂らして喜びそうな情報だとヒナゲシは顔を引きつらせる。

 淡々と自分の生態について語る亜芽は悲しそうでもなければ楽しそうでもなく、ただただどうでもいいという顔をしていた。


「天使とはなんなんだ? 貴殿に何の関係があって、集めれば召喚できるとされている?」

「ああ。天使っつーのは1つの合図だな。ここに俺に来てほしいっていう。それと」

「それと?」

「人間が作り出した天使はもう1種類いる」

「天使に、種類があると?」

「ああ」


 初めて聞いた言葉に、ヒナゲシは目を丸くした。飯島和音は息を呑み、ツァルツェリヤは当然のように亜芽だけを見ていた。


「名前による、言霊の鎖に縛られた天使化。そして」

「そして?」

「実験による、力の鎖に縛られた天使化だな」

「力に……縛られた天使化?」

「ん、マトイ式呪術。人間が生み出した、ただの適性のない人間を天使に作りかえる実験だ。ただでさえ素養があるやつがこれを受けたらどうなると思う? ヒナゲシ」

「単純に考えれば素養は無理やりに開花され、その力は2倍になる……か?」

「正解だ、だから俺とエリはたった2人で俺を喚び出すことが可能だったんだ。つまり4人分の実験体だからな」

「……人間の欲望とは恐ろしいものだな」


 目を閉じて、毎夜見る悪夢を人間への嫌悪感をやり過ごそうとしているヒナゲシ。そこまで黙っていた飯島和音が、決心したようにごくりと唾をのんで亜芽に尋ねる。


「ミカ……じゃなくて」

「ミカでいいぞカズネ」

「じゃ、じゃあミカ。まず、怪我の手当てを頼んでくれてありがとう。レンもあと少し遅かったら危なかったって言われたわ」

「そうか、助かったのか。……よかった」


 酷く緊張した面持ちで切り出した飯島和音に、無機質な声で対応していた亜芽だったが「よかった」とまるで心の底から呟かれたかのような重い声で頷いた。その声に、ほっと息をついた飯島和音は肩から力を抜いた。

 飯島和音が知っている螢丸は不器用だけれど優しい、仲間想いな青年だった。それは蛇神になってしまってからも変わらなかったんだと、北見蓮の安否を確認して安堵している優しい青年なんだと再確認して。目を閉じてぎゅっと涙が出そうになった唇を噛みしめる。膝の上で握った黒い手袋越しの手がきゅっと鳴った。

 そのとき、ごそごそとふと思い出したように亜芽が着ていた軍服のポケットを漁りだす。不思議そうにそれを見る対人間の風紀所属の2人を無視して、目当てのものを見つけたのかそれを取り出す。


「カズネ」

「なにかしら……みふぁ?」

「口、噛むと血ぃ出るから。あんた顔はいいんだから綺麗にしてればって言っただろ」


 それは白いハンカチだった。あの時、螢丸であったとき2人が殺されたと思って泣いていた螢丸に飯島和音が差し出したハンカチだ。もちろん風紀則でハンカチを持つなら白いものと決められていたが、それでも一応は女の子、縁にレースをあしらったりはできないものの、白い花や金色の糸でイニシャルを刺繍してみたりとさりげないおしゃれをしていた飯島和音のハンカチに間違いなかった。


 それを、亜芽はその取り出したハンカチをそっと気遣うように飯島和音の唇に当てた。そのことに目を瞬かせる飯島和音。何やらショックを受けているらしいツァルツェリヤの背を、ぽんぽんとヒナゲシが叩いた。太腿の上に置かれていた飯島和音の右手を掴んで、ハンカチを押さえさせる。役目は終えたといわんばかりに自分の手を下げる。

 そんな亜芽に、そういえば以前そんなこと言っていたわねと思い出した飯島和音は。口元をほころばせる。あいにくハンカチで見えなかったが、目元が下がっていて笑っているのがわかった。


「そう……だったわね。ありがとう、ミカ」

「別に。俺よりエリの方が優しいから」

「みかちゃあああん!! だめだよ! みかちゃんに女なんてまだ早いからね!」

「落ち着けツェリ。蛇神殿だってそんなつもりはないだろう」


 ソファーから立ち上がって飛びかからんばかりのツァルツェリヤを押さえこみながら、ヒナゲシはひくりと頬を引きつらせる。


「? なんの話だ?」

「何でもないわ、ミカの優しさを邪推してるやつがいるってだけよ」

「やめろ、みかちゃんに余計なことを吹き込むな。これだから女は浅ましいんだ!」

「エリお前女になにかトラウマでもあんのか?」


 ばちばちとあった視線で火花を散らして戦わせているツァルツェリヤと飯島和音を見比べながら、ちょっと引いたように亜芽が身を引く。そんな向かいに座った亜芽にあわててそんなことないよ! と身の潔白を証明するように言い訳し始めたツァルツェリヤの姿は、浮気を疑われた彼氏のそれに似ていたと言ったら怒るだろうか。もはや表情を作るのも馬鹿らしくなって、無であれば。そんなヒナゲシに亜芽が首を傾げる。

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