第7話

 ぼんやりと月を見上げる。

 黄色みがかった乳白色の月は時々流れてくる雲に遮られながら、ただただ大きくそこにあった。それは家族がいたころと変わらないもので、この変わってしまった。この退廃した世界で唯一この月だけは変わらないようで、なんとなく月を見るのが趣味になった。

 家族も、ツァルツェリヤもいないこの世界に、いったいどれだけの価値があるのだろう。そんなことを虚ろな思考で考えながら見ているのが好きだった。そう、ツァルツェリヤのいなくなった世界でそれだけが好ましいことだった。


 両足を抱えて、膝の上に顎をのせる。黒く染まった夜の海をぼんやりと見下げながら、思うことはただ1つだ。


「今日も、またダメだったよ。エリ」


 またダメだった。今日もお前のいるところには行けなかった。

 それはつまり死ねなかったと言っていることと同義なのを螢丸は知っている。それでも、ぽつぽつとこぼれる言葉は後悔と謝罪にまみれている。

 行けなかった。死の世界への、家族たちに会えるかもしれないという必死の願いを捨てきれない自分。仲間だと言ってくれている第1班の2人に優しくなれない自分。


 本当はカレーが美味しかったと伝えたかった。どんなに味が薄くても、心から美味しいと思える代物ではなくてもそれは飯島和音が螢丸のことを考えて作ってくれていると知っているから。その心が嬉しいのだと伝えたかった。けれどツァルツェリヤがいなくなってしまったこの世界に感謝をすることはとてもできることではなくて。だから「別に」という言葉でごまかすしかない自分も、あのとき。ツァルツェリヤを置いて森に出てしまった過去の自分も、自分から家族を奪った世界も片割れを奪った影族も。全部全部許せないのだ。許そうとする心すら芽生えないほどに、螢丸の心はいっぱいいっぱいだから。


 ざざーん、ざざーんとひいては砂浜を覆うように寄せる波を、ただただ虚ろに目に映していく。

 時折吹く風が、肩までもない短い螢丸の髪を揺らして白いマフラーをたなびかせる。


 その時。


 ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ


 警笛が2回鳴った。1回の警笛は影族を見つけたということ。2回の警笛は影族の襲撃を意味する。つまり襲われているということだ。風紀が。


 その音に弾かれたようにばっと立ち上がると、螢丸は横に置いた早打刀を右手に持ち、鞘から抜いて。岬から飛び降りると砂浜に降り立ち風と同化するような勢いで走ったのだった。これは速歩と呼ばれる特殊な走り方で、どんな地面でも同じ速さで走れるという特殊な走り方だった。これを教わった時、やはりツァルツェリヤはこれが苦手で自慢げに何度もこの走り方をする螢丸をじっとりとそのみずみずしい紅梅色の瞳を半目にさせながら見てきたものだった。そのうちにツァルツェリヤも出来るようになったため自慢するのは辞めたが、出来るようになっても苦手意識は変わらなかったらしくあんまりしようとはしなかった。そんなことを走りながら考えていた。

 だって、飯島和音も北見蓮も螢丸と互角かそれ以上に強いのだから滅多なことにはならないと思っていたから。


 なのに。

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