詠歌の決闘の時に見せた魔法陣を用いた魔術によってアイネを拘束し、彼女を彩華に預け、二人は再びビル群を駆けていた。

 拘束されているとはいえ、彩華をアイネと二人きりで残す事に後ろ髪引かれたが、これから向かう教会に連れて行くよりは危険は少なく、彩華を説得する理由にもなる事から、詠歌もそれを了承し、彩華もそれに素直に頷いた。


「お前も残っても良かったのだぞ? 奴との戦い、その勝利を持って我らの貸し借りは清算されたのだから」


 そう言いながら、アイリスは笑みを浮かべていた。詠歌の考えを読み取っているように。


「……顛末は見届けるよ。でないと安心できない。自分の家のすぐそばなら、尚更だ」


 行きよりも幾分か速度が遅い為、詠歌にも返答する余裕があった。それがアイリスの笑みを深めるだろう事は予想出来たが、都合の良い解釈をされても困るからだ。


「それでこそだ。ならば精々、また私に借りを作らぬようにな。もっとも、私としては望む所ではあるが」

「自分の身ぐらい、今度こそ守ってみせるさ」


 やはり笑みを深めたアイリスとは裏腹に顔を顰めながら、再び受け取った聖剣の柄を握り締める。アイネに勝ったからと言って、慢心など出来るはずはない。それでも詠歌はアイリスについて行くと決めた以上、頼れるのは聖剣だけだった。


「随分と頼もしくなったものだな?」

「虚勢だ」

「そこは見栄だと言っておけ。その方が可愛げがある」

「……君を喜ばせる気はないよ」


 流れていく眼下の景色に視線を落としながら、素っ気なく詠歌は返す。

 アイリスが向ける好意、とはまた違うのだろうが、その向けられる感情は詠歌にとってあまり居心地の良いものではなかった。

 出会いは偶然であり、自分は勇士などではない。彼女の期待に応える事はできない、ただの一般人なのだから。

 彩華が語った、かつて憧れたヒーロー。今更、そんなものに成れるとは思ってはいない。大人になったから、とは言わない。だがその憧れを抱き続けられなくなる程には、子供ではなくなった。


「……君は教団を倒したとして、それからどうするんだ?」


 自らが見定めた勇士を伴った天上への帰還。それが自らの目的だとアイリスは語った。しかし詠歌にそれに付き合うつもりはなく、アイリスもまた、貸し借りの清算をもって詠歌を解放すると約束した。

 なら教団への報復の後、彼女はどうするつもりなのか。


「案ずるな。約束を違える事はせぬ。心残りはあるが、元々高望みはしていない」

戦乙女ヴァルキュリアの役割は勇士の魂をヴァルハラに連れて行く事だったはずだ。僕を勇士だと呼ぶなら、戦乙女ヴァルキュリアじゃない君にもその仕事はあるんだろう? 反逆なんてして、何もしないでそのまま戻れるのか?」


 それとも詠歌とは違う、真の勇士と呼ばれるような者を捜し歩くのだろうか。


「ふっ、まさか案じていたのは私の身か?」

「……少し気になっただけだよ」


 揶揄うような口調に、僅かに躊躇いながらも詠歌は否定はしなかった。

 だがすぐに気恥ずかしくなり、言葉を重ねる。


「それに短い間だったけど、君にそういう心配は無用だろう、って事は分かったし」


 ああ、そうだ。きっとあの夜に見た、倒れ伏した彼女の姿は見間違いだったのだろう。

 今はもう、彼女が震える様子など想像出来なかった。


「くくくっ! 何を言うかと思えば、そんな当たり前の事に今更気付くとはな。当然だとも。我が名は吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリア。人の身で私の心配など不要だ」


 それを裏付けるように、アイリスは笑う。耐え切れない、そういうような笑いだった。

 やがて、詠歌とアイリスの決別の地となるであろう場所が近付いてくる。見慣れたはずの山が異様な雰囲気を纏っているような気がした。




 ◇◆◇◆




 これ程近くにあって、足を踏み入れた事のない、名も知らぬ山。其処で改めて魔術と呼ばれる力の異常性を体感する。

 魔術による隠匿の結界が張られていると言ったその山に、アイリスは事も無げに侵入した。

 詠歌の目には木が密集し、建物が建つような開けた場所などないように見えたが降り立ったその場所には、確かに教会が建っていた。

 見上げれば、何も遮る物のない空が広がっている。確かに上空からは木々しか見えなかったにも関わらず、だ。


「けどこれは、教会……?」


 元教会と言うべきだろう。隠匿されていたその建物は荒れ果てているように見える。

 元は純白であっただろう壁は年月によるものか、風化し所々朽ちている。光を透過し、内部を美しく照らすであろうステンドグラスも割れ、教会のシンボル足る十字架すらも欠け落ち、廃墟の様相を呈していた。

 これが邪神を崇める集会場だと言うのなら納得もいくが、アイネの言葉では信仰する神は『クタニド』。人間を愛し、平和を願うという旧神。イメージに合致しない。


「そう意外でもない。元々此処は異教の教会だったのだろう。捨てられたのか、奴らが奪ったのかは知らぬがな。対攻神話プレデター・ロア、まさにその名の通りというわけだ」


 警戒する詠歌を他所に、アイリスは肩を竦めると何の気負いもなく、真っ直ぐに正門まで歩を進め、ピタリと歩みを止めた。

 どうしたのか、と詠歌が問いかけようとした時、軋んだ音を立て、正門が内側から開かれる。


「――この教会は人々に打ち捨てられ、朽ち果てるばかりだった所を私(わたくし)共が見つけ、活用しているのですよ」


 教会の内部から現れたのは、中年の日本人男性だった。

 細いフレームの眼鏡を掛けた長身痩躯。黒の祭服を纏い、温和そうな笑みを浮かべる男。

 まるで今にも豹変しそうな男だと思った。完全に隠匿されていたこの場所と違い、一般人である詠歌にも分かるほどに、男は腹に一物を抱えていた。


「ようこそおいで下さいました、吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリア様。そして選ばれし勇士殿」


 そんな男が笑みを浮かべて詠歌を呼ぶ。思わず、腰に差した聖剣を掴んだ。


「どうぞ中にお入りください。外観は寂れていますが、中は手入れしておりますので。不快な思いはさせません」


 誰が乗るか、と思った。こんな誘いを掛けられ、むざむざと乗るはずもない、と。


「そう警戒なされないで、勇士殿。あなたには吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリア様の御加護がある。私程度ではあなたに危害を加えようなど出来るはずもないのですから」


 無理な話だ。一目見ただけで正気を失うような神々が跋扈する神話の教会で、どうして無警戒でいられるのか。


「ですからさあ。きっとお二方にとっても有意義な時間となるはずです」

「良いだろう」

「アイリス……!」


 しかしそんな詠歌の思いとは逆に、アイリスは男の誘いに乗った。

 何か考えがあるのか、それとも思わせぶりな男の態度に興味が湧いたのか、アイリスの心情は計れない。


「そう逸るな。こいつにどんな思惑があれ、私には関係ない。こいつにどんな思想があれ、私には興味がない。だが、他者の思惑と思想を知り……それを踏み躙る。それが悪というものだろう? ならば私は吸血戦姫(ヴァンパイア・ヴァルキュリア)として、それを為そう」


 やはり吸血戦姫アイリス人間詠歌とでは価値観が違う。

 力ある者と力なき者では思考が違う。今更になってそれを再認識する。

 聖剣を握り締め、それでも詠歌はアイリスの後に続くしかなかった。

 ニッコリと笑う男の背を追い、二人は門を潜る。軋んだ音を立てて閉まる扉を一度振り返えるが、後戻りは出来ない。

 外観と比べれば内部は男の言う通り、綺麗なものだった。だが教会の中だとはとても思えない。

 最初に目についたのは首の落ちた聖母と思しき像。その背後に飾られた十字架は黒に染め上げられている。


「どうぞお座りください」


 奥まで行き着くと男は祭壇に上がり、規則的に並べられた長椅子を指して二人に促す。

 アイリスは男の真正面に。詠歌は躊躇いながらもアイリスより一列後ろ、端の位置に腰かけた。


「言っておくが、説法だの教義だのを聞くつもりはないぞ?」

「勿論ですとも。宗教の自由が赦されているこの国で、望まない者にまで信仰を押し付ける事など致しません」

「では、この私に何を望む? 命乞いか、それともやはりこの首か?」


 詠歌からはアイリスの表情を窺えないが、もう見慣れはじめた挑発的な笑みを浮かべているのだろう。


「お話の前にまずは自己紹介を。私はサエキ、『クタニド』様を祀るこの教団で司祭を務めております」


 サエキと名乗った男はやはり胡散臭く見えた。


吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリア、アイリス・アリア・エリュンヒルテ様。勇士、久守詠歌様。どうぞよろしくお願い致します」


 自身の名を知られている事に驚きはなかった。

 アイネの前で二人共名乗り合ったのだから。だとしても、名を呼ばれた瞬間に悪寒が走った。


「率直に申し上げます」


 サエキは二人の顔を見渡し、前置きを廃してその提案を口にした。


「アイリス様、我らと共に北欧の主神を討ちとりませんか?」


 それは人が口にするのも烏滸がましい、神殺しの誘い。


「あなた方、異教の神々が対攻神話プレデター・ロアと呼ぶ我々と吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアと呼ばれる悪の女神であるあなた。どちらも多数から異端とされ、追いやられる立場のはずです。そんな我々だからこそ、手を組むべきだと思いませんか?」


 くだらん。そう彼女は言い捨てる。そう詠歌は思っていた。


「……ほう?」


 しかし彼女は興味を示した。


主神オーディンを討つ、か。大きく出るではないか、人間」

「あなたとならば可能だと思っております」

「なら何故、あの狂信者を差し向けた? 私を討ち取り、『クタニド』に捧げるつもりだったのだろう?」

「今は早計であったと思っております。あなたがこのようなお方と知っていれば……何とお詫びして良いか分かりません」


 サエキはそう言って詠歌を見た。

 悪寒が強まる。聖剣を握る手に力が篭る。


「勇士を見定め、天上へと導く戦乙女ヴァルキュリア。しかしながら彼女たちが導くのは死した勇士のみ。だがあなた様は違う。今を生きる若者を見定めて下さった。現代において最早死は栄誉ではありません。生きて偉業を為した者にこそ、栄誉は与えられるべきなのです」

「僕は偉業なんて何も為してない」

「いいえ。いいえ。あなたはあのアイネを打ち倒したでしょう? 此処に来たという事はそのはずだ。それはまさに偉業、英雄、勇者と呼ばれるに相応しい」

「……信奉者に随分な言い方ですね」


 詠歌にとってアイネ・ウルタールは恐るべき敵だった。だが彼女は彼女の信じた善の為に戦っていた。少なくともただの悪と断じられる人物ではなかった。それに彼女の言う通り、もしも詠歌が逃げ出していれば、それを追う事はしなかっただろう。


(庇うわけじゃない、けど)

「勿論、彼女の信仰心は素晴らしいものです。ですが、その方向を間違えてはいけない。アレは無関係なあなたの友人を巻き込んでしまった。己の内の『ウルタールの猫』を制御できなかった。それは彼女の行いが善ではなかった故。神が与えた力の使い道を誤ったからなのでしょう」

「それも元々はアイリスが彼女を殺したからだ。……僕を助ける為に」

「謙虚なお方だ」


 たとえこのまま押し問答になろうとも、詠歌は自らを勇士とは誇るつもりはなかった。そんな偶像を押し付けられたくはない。


「彼女はアイリス様があなたを助けた時点で退くべきだった。しかし功を焦り、正しい判断が出来なかった。それが出来ていれば、あなたにこうも警戒心を抱かせる事はなかったはずです」

「いいえ。たとえどんな過程を踏んでいても、こんな場所に隠された教会に来た時点で警戒しないはずがない」

「まあ待て、詠歌」


 肯定と否定を繰り返す二人の問答をアイリスが止める。


「お前はもう私とは無関係の身だ。ならば何を思おうと今は口を閉じているがいい。話が進まん」

「……分かった」


 アイリスの言う通り、見定めた本人が無関係だと言うのなら、他者に何と呼ばれようが関係のない話だ。

 詠歌はただ黙して待っていればいい。北欧神話と対攻神話プレデター・ロアの戦争に関わるつもりもないのだから。

 それに、彼女がサエキの話に乗るとは思っていない。どんな思惑があったとしても、彼女にも自らの信念がある。

 そう、信念だ。自らが属する神話への信仰ではなく、己の内から発生するもの。彼女の本質が悪であっても、心からの信念があるのなら、詠歌はそれを断じる事はしない。それは、自分にはないものだから。


「そういう訳だ。私はこいつを連れ帰るつもりはない。こいつを勇者エインヘリアル共相手の戦力と期待しているのなら、それは無駄だと言っておこう」

「それは残念です……しかし無理強いするつもりはありません。『クタニド』様とアイリス様の御力があれば、北欧の主神も恐るるに足りません」

「『クタニド』か。世界の平和を謳う旧神、耳障りの良い事だ。であれば何故、主神を滅ぼそうとする? 奴らと戦いになれば血が流れるぞ。平和の為ではなく、侵攻の為にだ」

「確かに、そう思われても仕方なき事。ですがオーディンを、死と争いを司る主神を滅ぼさなければいずれ大きな争いが起きる。未来を救う為には今、戦わなくてはならないのです」

「仮に勝利したとして、まだまだ神話は遺っている。それら全てを滅ぼす頃には人の世界そのものが滅びているだろうよ」

「おお、人の世にまで配慮して下さるとは……しかし心配には及びません。人は滅びない。『クタニド』様とその加護を受けた者たちが守り通すのですから」

「あの狂信者の事か」

「いいえ」


 サエキは首を横に振り、自らの胸に手を当てた。


「北欧の勇者エインヘリアルのように、『クタニド』様に選ばれた勇士――『星の戦士』。私もその一人なのです。アイネはその未熟さ故に選ばれはしませんでしたが……」


 詠歌にその知識はなかったが、もし彩華がこの場に居れば目を輝かせて語っただろう。

 『星の戦士』。旧神に仕える勇士。詳しい記述は記されていないが、猫を宿したアイネのように彼もまたその内に『星の戦士』を宿しているのだ、と。


「邪神たちすら屠るその力があれば、可能な限り犠牲は少なく、戦火を広げる事無く争いを終わらせられるでしょう」

「……成程な」


 それは小さな呟きだった。詠歌の位置からでは思わず聞き逃してしまいそうな、笑いを堪えたような声だった。


「ご理解いただけましたか……!」

「ああ――どうやら私たちは同類のようだな」

「アイリス……!?」


 サエキを肯定する言葉に、詠歌は思わず立ち上がったが、アイリスはそれを後ろ手で制した。


「とはいえ私もまだ万全ではない。今は雌伏するが良い。あの狂信者共々な」

「ええ。元より私たちは闇に潜む者、いずれ来るその時まで、信仰を捧げ続けましょう」


 話は其処で終わった。サエキは頭を深く下げ、アイリスはそれに目もくれずに立ち上がり、背を向けた。

 詠歌を視線で促し、長椅子の間を通り抜けていく。

 扉の前で一度足を止めるのは、今度はアイリスの方だった。


「……それと、二度と私の名を気安く呼ぶな。貴様のような男に呼ばれると反吐が出る」


 返答を待たず、アイリスは詠歌が開けた扉を潜り抜ける。詠歌も振り向く事無くそれに続いた。




 ◇◆◇◆




 無言のまま、二人は山道を下っていく。教会は山の中腹手前、詠歌の家からでも三十分と掛からない場所に建っていた。

 見えて来た家の屋根に、これからもあの場所に教会は建ち続ける事を想像し、恐ろしさを感じる。そして其処にいずれアイリスがまた訪れる事に、言いようのない不安を感じていた。


「……アイリス、君は」


 最初に沈黙を破ったのは詠歌の方だった。沈黙に耐え切れなかったわけでもない。だが、これでアイリスと別れるのだと思うと、口を開いていた。


「詠歌、お前にはあの男がどう見えた?」


 そんな詠歌の思いも知らず、アイリスは今まで通り詠歌を無視した自分勝手な会話を始める。それも予想通りではあった。


「僕に人を見る目を求めないでくれ。主観を語りたくはない」


 最後まで警戒心を解く事は出来ず、アイネのように芯を感じる事は出来なかった。サエキは敢えてそうしているのだろうが、その理由も分からない。ただ嫌悪感だけがあり、それだけで他人を語る事は出来ない。


「臆病だな。狂信者と戦った時は勇敢だったものだが」

「臆病だよ。今日だってそうだった」


 ただああしなければ彩華にまで危害が及んだ。それだけは許せなかった。無関係の彼女まで巻き込む事だけは、どうしても。

 しかし詠歌の否定に、アイリスはさらに否定を重ねる。


「いいや、あの夜の事だ」

「君、蛮勇だって言ってたじゃないか」

「蛮勇とて勇敢には違いない」

「……急にどうしたのさ」


 アイリスの語る勇士ではない、と自分は何もしていない、とそれは心から否定出来る。だがあの夜の行動は、あの時の詠歌は何も知らず、しかし自ら選んだもの。勇士である事を否定出来ても、その行動そのものは否定出来はしない。

 それを指して、そんな事を言われた事に居心地悪そうに頭を掻いた。


「なに、まもなく私とお前の運命は途切れる。その前にしっかりと労ってやらねばと思ってな。お前を勇士と決めるのは私だが、お前が否定をするなら、それを尊重してやろう。だが……あの夜のお前は、確かに勇士だったぞ」

「……」


 アイリスが振り向き、二人の視線が交差する。耐え切れず、詠歌が逸らした。

 アイリスの口許に浮かぶのはこれまでのような尊大な笑みではない。あの夜見せた少女のような笑みでもないが、その微笑みを正面から見つめる事が出来なかった。

 照れているのか、と自らに問い掛け、そんなはずない、と否定する。少し面喰ってしまっただけだと。


「ふっ……」


 そんな詠歌を見て、意地の悪い笑みへと表情を変え、アイリスはまた正面を向いた。

 どんどんと詠歌の家が近付いてくる。其処に辿り着けば、それで終わり。

 アイリスはきっと何処かに消え、アイネを解放すれば詠歌の日常は戻って来る。たとえすぐそばで非日常が蠢いていても、隠匿の結界によってそれを認識する事は出来ないのだろう。たとえ結界がなくとも、詠歌が自ら非日常に飛び込むような事はない。


「……僕は」


 なら、これで終わりなら。

 アイリスがしたように、らしくない事をしても、良いだろう。


「……僕には君とあのサエキって男が同類には、見えなかった」


 立ち止まり、前を歩くアイリスの背にそう告げる。


「自信のない、僕の主観だ。もしも誰かが君たちを同じ悪だと言っても、同じ善だと言っても……僕には同じには見えなかった。僕には君の事も、サエキの事もよく分からない。だから本当に、ただの主観。僕が感じた、理屈のない理由だ」


 或いは理由のない理屈。ただそうと感じただけ。説得力もなく、説明も出来ないそれを語るのは恥ずかしかったが、最後にそれを伝えるべきだと思った。

 これまでアイリスが散々詠歌に勇士という偶像、理想を押し付けて来たように、最後に詠歌も自らが感じた印象をアイリスに押し付けた。


「……そうか」


 大きく息を吐きだしてから、短くアイリスはそう返してから振り向いた。


「お前にそう見えても、私からすれば奴と私は同類だとも。くくくっ、何故なら私は吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリア。悪を為し、血を啜る悪性なのだから」

「……なら僕も、それを尊重するよ」


 人であってもなくても、他者から向けられた意思に応える事が出来るとは限らない。

 だからこれで終わり。詠歌もアイリスも、互いの意思に応える事無く、それぞれの道を行く。

 二人の道が交わる事は二度とない。ーーこのまま別れられていれば。


「……!」


 突如、アイリスが表情を強張らせた。

 その理由を問う前に、詠歌の意識は背後から聞こえて来た轟音に向く。

 爆弾か何かが落ちたのかと思う程の轟音。何事か、と詠歌が振り向けばあの教会のあった周囲が眩く輝いている。


「あの光……」


 その輝きに、詠歌は見覚えがあった。あの夜に見た、消えゆく勇者エインヘリアルの光の粒子。そして詠歌の持つ聖剣が放つ光。それに似た、しかし何倍もの光量を放つ輝き。聖なるモノに宿る、聖纏気。

 それだけの強大な聖纏気を持つ者、思い浮かぶのは一つしかない。


戦乙女ヴァルキュリア……!?」


 アイリスを地上へと堕とした者。北欧神話に語られる戦の女神。


「はっ、ついに来たか。だが……悪くないタイミングだ」

「アイリス!」


 光を見て、アイリスはその足に力を込めた。詠歌も二度体験した故に彼女があの光に向け、跳躍しようとしているのだと理解した。

 どうするつもりなのか。そう問いかけてどうするのか。自分でも分からないまま、彼女の名を呼んだ。


「……ではな、人間。勇士ならざる貴様との運命は、此処でしまいだ。貴様は精々人らしく生き足掻くがいい」

「待っ――」


 だがアイリスは止まらない。どころか一方的な別れの言葉を言い残して、大地を蹴った。跳躍する彼女を追いかけるように、風が吹き抜ける。

 目を覆ってしまう程の風が止んだ後にはもう、彼女は消えていた。

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