第十六話 ユキの夢の終着点
リベドの館は漆黒の闇に包まれていた。
その景観は、俺が言うのも変な話だが魔王城のようなそれ。
黒羽の鳥が風の中にて、木々と共に縦横無尽に舞い踊っていた。甲高い鳴き声は地を這うような風音にも遮られず、むしろいっそう存在感を高めている。入口へと繋がる道からは、アンデッドが湧き出しそうな不気味さであった。
俺は無自覚のうちに固唾を呑み込んだ。
どうやらまた、胸の中にいる弱虫が顔を出してきたらしい。しかし今回ばかりは、現在進行形で吹いているような臆病風に負けるわけにはいかなかった。
大丈夫だ。自惚れるわけではないけれど、力ではこちらが圧倒的に上のはず――そう、自分に何度も言い聞かせる。気合を入れるため、自分の頬をパシンと叩いた。
「…………よし!」
じわり、とした痛みを感じながら力を込めて口にする。
そして隣に立つユキに視線を向けた。彼もまたうつむいて、何かを呟いている。それはどこか、祈りを捧げているようにも見えた。【人間】はこういった時、【神】に願うのだと、聞いたことがある。
簡単に言えば、【神】は俺たち【魔】と対極にある存在だ。
しかし、実在しているかは不明。【魔物】たちの間では、【人間】が生み出した偶像なのではないか、と言われていた。そういえば、フーコは【
彼女もまた、その存在を信じていたりするのだろうか――。
「スライくん。準備は、いいかな……?」
「ん……? あぁ、大丈夫だよ」
どれくらい、そうしていただろうか。
俺はユキの言葉によって、現実に引き戻された。
彼の表情を見るところによると、どうやら覚悟が固まったらしい。決して顔が変わったわけではないのに、精悍な印象すら受けるユキに、またドキリとさせられた。
それでも俺は、そのことを
さて。それでは、行こう。
リベドの館へ、改めて向き直して俺は一つ大きく息をついた。
アニを助け出して、アル村から続くすべての因縁に決着をつけるのだ――。
◆◇◆
「ほっほっほ……彼奴らめ、堂々と正面から入ってきおったか」
リベドは部下からの報告を聞き、どこか嬉しそうに笑った。
だが、その表情は闇に紛れて読み取ることは出来ない。笑っているのに、その確証が持てないという不安定感を孕んだ存在には、【魔物】にはない怖ろしさがあった。
底知れぬ闇を抱えた者――暗殺ギルド首領、リベド。
彼はおもむろに自室の一角――光の差し込まぬ、最も闇の深い場所――を見つめて、口角を吊り上げながらこう言った。
「まったく、面白いのぉ。そうは思わんか――――アニよ」――と。
そこには銀髪の女性――アニが拘束されていた。
手足を縛られ、猿轡をはめられ、額からは一筋の血が流れている。
身動きを封じられた彼女は、どこか虚ろな目でリベドのことを見つめていた。意思はない。ただ声のした方向に反応を示しただけ。そう思えるような緩慢さであった。
そんな様子のアニを見て、老父はまたも愉悦に浸る。
くつくつと、干からびた笑い声が静まり返った部屋の中に残響した。
「ほっほ……して? お主は、どうするつもりかの?」
「――――――――――――」
「おぉ、悪いの。こんなモノを付けては、喋りたくても喋れぬか」
言って、リベドはアニの猿轡を外す。
「どうじゃ? これで、モノを言えるようにはなったであろう?」
「…………ぁ」
そうするとアニは、か細い音を口からこぼした。
しかしそれは、意図を持って紡がれたと言うよりも、呼吸の副産物として出てきたに過ぎない。よって彼女はなおも沈黙を続けるのであった。
対してリベドはと言うと、思惑通りに事が進んでいるのであろう。細い目をさらに細くして、歓喜の色を浮かべるのであった。
「いやはや。それにしても愉快で仕方がない――どうしてこうも、お主たちは己を犠牲とする道を選びたがるのかの? 儂には不思議でならんのじゃよ」
そして、指摘する。
自らに刃向う者たちの【人間】としての欠陥を。
「まったくの非合理性じゃな。何が嬉しくて他者の面倒を見ねばならんのか、何が楽しくて他者のことを守らなければならんのか――甚だ理解に苦しむわい」
「――――――――――」
「だがの、儂は気付いたのじゃよ。お主らがそうやって足掻くことによって、のたうち回ることによって、儂の心がこれまた不思議と満たされることにの?」
「――――――――――」
「ほっほっほ……つまり、お主たちは儂の快楽を満たすだけの存在だと。そういうわけじゃ! 矮小で、無様で、救いようのない蟻の如き存在!」
「かはっ…………!?」
リベドは杖でアニの腹部を殴打した。
苦悶の声が、彼女の口からこぼれ出す。しかし一度吐き出された以降は、何も出てこなかった。虚ろな瞳から一筋の涙が頬を伝っていたが、それはあくまでも生理的反応の範疇である。反抗も、反撃もない――ただ一個の人形と化してしまったかのように。そう。今のアニには自己というモノが欠如していた。
その理由は、次の瞬間に判明する。それは、リベドのこの問いかけによって――。
「そろそろ、時間かの? ではアニよ。今から彼奴らを出迎えてこい。そして――」
呼応するかのように、アニの瞳に光が宿る。
しかし、それは彼女が平生に見せているような輝きではなく、
「――見事に、討ち果たしてくるがよい。ほっほっほ……」
灰と砂が混ざり合ったような、濁った色であった。
リベドの杖によって拘束具を外された彼女は立ち上がる――が、そこに攻撃の兆候はなく、むしろ従順なる配下のような姿があった。
そして、アニの口から出た次の言葉が、すべてを決定付ける。
彼女は静かに、
「はい、この身を賭しても成し遂げます――リベド様」――と。
それは服従の台詞。
確固たる意志なく、ただ紡がれた音であった。
【
アニはその術中に堕ちた。
抵抗も空しく、今や彼女はリベドの都合の良い手駒である。
「くっくく……あっはっはっはっはっはっはっは!」
リベドの哄笑が響き渡った。
そこにあるのは、聞く者すべてを不快にさせる音。
立ち去るアニの背中に、まるで手向けだと言わんばかりに送られたそれには、己が欲望のみがある。すべてを得んと、永遠の命を目前にした男の醜き
しかしその外道も、今のアニには届かない。
彼女の頭の中にあるのは、標的を屠るという目的だけであった――。
◆◇◆
そして、その時はやってきた。
耐え難い対面の時はやってきたのである。
広いエントランスにいたのはアニ、そしてスライとユキの三人。沈黙が場を支配している。スライの目には、微かな動揺が浮かんでいた。しかし次第に、彼は状況を察したのか、ゆっくりと戦闘態勢に移行していく。
だが、それを制したのはユキであった――。
「スライくん。ここは、ボクに任せて……」
決着を付けなければいけない。
そう言わんばかりに、強い視線をスライに送った彼は前へと出る。
「いつか。お姉ちゃんを守れるボクになる――お待たせ。お姉ちゃん」
そしてユキは、そう口にした。
向かい合うは愛しき姉。自分が守ると誓った、その人であった。
――誓いを遂げる日は、ここにやってきた。
しかしそれは、あまりにも皮肉な現実であった――。
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