第十五話 決戦の前――スライとユキ
『いつか、お姉ちゃんを守れるボクに――』
それが、ボクの唯一の願い。
ボクの生まれた意味。そして、たった一つの目的だった。
それさえ叶えることが出来れば、ボクは他に何もいらない。たとえ、この命を投げ出すことに、悪魔に売り払うことになっても構わなかった。お姉ちゃんを闇の中から救い出すことが出来れば、ボクには何も残されなくてもいい。
大好きなお姉ちゃん。
お姉ちゃんは否定するだろうけど、ボクのことを愛してくれていた。何よりも、自分のことよりもボクのことを最優先に考えてくれていた。
可哀想なお姉ちゃん。
お姉ちゃんはそのために、今まで【人間】らしいことをすべて投げ出していた。それもまた、ボクや孤児院のことを考えてくれていたから。
「――もうすぐだよ。お姉ちゃん……!」
スライくんの手を強く握りしめて、ボクは呟いた。
もうすぐだ。そう、この長かった悪夢の終わりはもう、すぐそこに。
この心優しい【
涙が込み上げてくる。
気を抜けば、今にも泣いてしまいそうだった。
でも、それはサイゴのその瞬間まで取っておこう。ボクはきっとその先を見ることは出来ないけれど、そこにあるのは素晴らしい世界であるべきだった。
――だから。サイゴの時は、きっと笑っていられる。
もうすぐだよ、大好きなお姉ちゃん。
ボクが――ボクと彼が、きっとお姉ちゃんのことを守ってみせるからね?
◆◇◆
恐ろしい程に、ルインの街は静まり返っていた。
人気はまるでなく、街そのものに命があるとするならば、死んでいるようであると。そう表現しても、決して過言ではないように思われた。
俺とユキの二人は、互いに言葉もなく駆けている。
聞こえてくるのは荒くなっていく、彼の息遣いだけだった。
握る手の力はより強く。速度は時間が経つにつれて、遅くなるどころか加速を続けていった。速く、速く、アニのいる場所へと近付いていく毎に――。
「…………ありがとう。スライくん」
「えっ、どうしたんだ? 急に」
その時だった。
不意に、ユキがこちらを見ずにそう感謝の言葉を口にしたのは。
俺は予想もしていなかったそれに、思わず呆気に取られてしまった。そして、そう問い返す。すると彼はやはり振り向かずに、こう続けるのだった。
「急に、じゃないよ。ボクはキミに出会った時――いいや。キミがいてくれたことに、ボクはずっと感謝していたんだ」
「…………………………」
ユキは淡々とした口調で言う。
俺はそれを黙って聞いていることしか出来なかった。
風を切る音の中。彼はどこか遠くを眺めるような、そんな声色で話し始めた。
「ボクも――キミや、
それは、彼の――ユキの夢。
「ただ、みんなで笑って、泣いて、喧嘩して、でも最後にはまた笑って――少しずつ大人になっていく。【家族】として、成長していくんだ」
それは、何てことない。
どこにでもあるような当たり前の日常。
そして、誰にでも平等に与えられるはずのモノ。だというのに、彼にとってはその日々がどれ程、どれだけ尊く、かつ遠いモノであったか。耳を塞ぎたくなるほどの悲壮な思いが声を伝って、未熟な俺の心にもそれを強く刻み込んでいった。
胸が、締め付けられる。だから――
「……もう、すぐだろ?」
「えっ? スライくん?」
――俺は、無意識のうちにそう漏らしていた。
返事があるとは、微塵にも思ってなかったのであろう。
ユキは立ち止まり、ここに至ってようやくこちらを振り返った。その表情は、どんな感情にも飾られていない。何者にも穢されなかった、本当の彼のそれだった。
どこか、泣き出しそうにも思える彼の
それを真正面から受け止めて、俺は口を開くのだった。
「もう、すぐ……これからだろ? これから、今まで失っていた時間を取り戻しに行くんだ。アニを助けて、リベドを――倒して!」
感情が、溢れ出す。
繋いだ手を強く握り返して、俺は叫んだ。
誰もいない。人の失せた街中に、俺の声が響き渡った。
理屈なんて関係ない――ユキの身体がどうだとか、この後の戦いがどうだとか、そんなモノは関係なかった。ただ俺が、その幸せな結末を望んでいるから。過程なんて素っ飛ばして、その結論だけを抜きだしたかった。
たとえ、それが叶わぬモノだと、分かっていたとしても――。
「スライ、くん……っ! ――っ、うん。そうだね」
彼自身が、一番分かっていることなのだろう。
それでもユキは、俺の言葉を受け取ってくれたのだった。
頬を伝う一筋の涙が、その証拠だと思う。唇を噛みしめた彼は、空いた手でそれを拭い取った。次に現われたのは、煌くように
「うん――それじゃあ、行こうか!」
そして、すぐにまた駆け出した。
今度の足取りは、心なしか軽やかに。
憂いなど、今この時にすべてなくなったと――そんな雰囲気だった。
こうして、次第に時は満ちていく。
俺たちはもう、リベドの館のすぐ近くまでたどり着いていた――。
◆◇◆
――何故だろう。
彼の言葉には、根拠というモノがまるでなかった。
それだと言うのに、不思議なモノである。何の確証もないのに、心が救われるのを感じていた。スライくんが言うと、それはすべて叶うような気がする。
【魔王】としての存在感などではない。
【英雄】としての期待感などでもない。
ただ一人の【人間】として、スライくんには魅力があった。
――ありがとう。
本当に、ありがとう。スライくん。
キミのその言葉だけで、ボクは前へと進んでいける気がしたよ。
悔いはない。もう、ボクには未練がなくなった。ボクの願いは、思いは、希望は、きっとボクがいなくなっても成し遂げられるだろう。
憂いはない。もう、ボクには迷いがなくなった。ボクがいなくなっても、お姉ちゃんにはスライくんや、孤児院のみんながいるのだから。
さぁ、行こうか――ボクの、最期の戦いの場へ。
この
待っていろ、リベド。
お前を道ずれに、お姉ちゃんを救い出してみせる――。
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