第十一話 『ユキ』の願い



 ボクは生まれつき身体が弱かった。

 そんなボクのことを守ってくれたのは、お姉ちゃん。

 大切な、大好きなお姉ちゃんだった。強くて、優しくて、カッコいい。ボクの大好きなお姉ちゃん――アニお姉ちゃんだったんだ。


『ボク、お姉ちゃんみたいになりたい!』


 それが、その頃のボクの口癖。

 こう言うと、お姉ちゃんはいつも困った顔をしていた。

 お姉ちゃんは危ないお仕事をしていたから、だからボクがそんなところで働くのは嫌だったのかな。いいや、違うか――お姉ちゃんはボクのことを、自分の生きる糧としていた。そのことは、いくら隠そうとしても伝わってくる。


『ユキ――貴方は、誰かを守れるようになってね』


 それが、お姉ちゃんの口癖。

 きっとそれは、ボクのことを守ってるわけではない、という自分への言葉だった。結局は自分のためなのだと、自らを蔑むそれ。けれどもボクにとってそれは、いつしか願いとなっていた。



 そう――ボク自身の願いへと。



 ボクは守れる人間になりたかった。

 そうだ。ボクは、大好きなお姉ちゃんを守れる人間に――。


◆◇◆


 ――それは、思ってもみない再会だった。

 本当に思ってもみなかった。とこんな場所で、見えることになるなんて。


 俺はリベドの部屋を出た後、案内人に連れられるままに走った。

 そう。それは、どこかで経験したことのあるような速度で、軽快に前へと進んでいく。だけど俺がそれに気付くのは、しばしの時間が経過した時だった。


 頭の中には、先ほど奴に言われた言葉が渦巻いている。

 『殺す覚悟』のない俺には、リベドを打ち破ることなど出来ない。それは力量差など関係なく、変えようのない事実であるように思われた。その理由は単純。このままでは、奴の捻じ曲がった信念を上回ることが出来ないからであった。


「――――――っ!」


 でも俺には、その決心ができない。

 何故なら胸の中には、ある言葉が残っているから。

 ロマニさんが身を挺してアニを守った時の、あの言葉が耳に残っていた。だから、俺には【人間】を殺すという決意ができない。心が、理想と現実の狭間で揺れ動いている。そのことが、手に取るように分かった。


「くっそ……!」


 悪態を吐いて俺は、案内人の手を振り払う。

 その場に立ち止まって歯を食いしばった。ギリッという音と共に、奥歯に鈍い痛みが走る。握りしめた拳には、爪が食い込んでいった。血は流れない。そこに至って、自分が【普通の人間】とは違う、擬きであるというリベドの言葉がよみがえってきた。その現実は変えられない――自分は、紛れもなく【魔王】なのだから。


 それでも、現状を変えたい。

 どうにかしてアニのことを救い出したい。

 その思いだけ、感情だけが先走って行ってしまう。ならばいっそ――


「――お頭様を殺してしまおう、とか?」

「えっ……!?」


 自身がロマニさんの言う【人でなし】に堕ちてしまおうとも、人を学ぶという道を違えてしまおうとも、突き進んでやろう。そう思いかけた、その時だった。

 まるでこちらの心を読んだかのような一言が、耳に飛び込んできたのは――。


「久しぶり、でもないか――数時間ぶりだね!」

「お前――ユキ、か?」


 俺はゆっくりと声のした方へと、目を向けた。

 するとそこに立っていたのは、紛れもない、昼に森へと案内してくれた人物――ユキ。黒装束に身を包んではいたが、その明るい笑顔と独特の雰囲気には、微塵も変化がなかった。どこか楽しげで、自由奔放さが垣間見える姿は、魅力的だ。


「よかった! 憶えててくれたんだね。色々なことがあったから、忘れられちゃっているかと思ったよ!」

「色々な、こと……?」

「そ、色々なこと。例えば、スライくんがスライムの言葉を話したり、突然に姿を消したりね。その前にも、色々あったんだよね。例えばそう――」


 呆けた返事しか出来なかった。

 だが、次の言葉で俺の思考は急加速する。


「――アル村で、死体を偽装したり?」――と。


 俺は言葉にならない音を発して、ユキから距離を取った。

 こいつだったのか、と。そんな考えが、俺に危険だと警鐘を鳴らした。

 この人物の素性がまるで分からない。しかし、それにも関わらずこのユキという人物は、俺のことを知っていた。それには、リベドとはまた異なる不気味さが。


「お前……一体誰なんだ?」

「もぅ、そんなに怖い顔しないでよー! ボクはキミと喧嘩するために来たんじゃないんだからさぁ。少なくとも、味方だと思うよ?」

「それを、信じろってのか? 情報をリベドに渡していたってのに」

「まぁ、それはそうだけどさぁ……」


 こちらの指摘に、ユキは頭を掻いた。

 参ったなと呟き、浮かべて視線を泳がせる。口元には微かに笑みを浮かべて、どこか掴み所のない表情だった。俺の攻撃的な視線が想定外だったのだろうか、最後には失敗したなぁ、と漏らす。

 だがしかし、すぐにパッと明るい笑顔になったかと思えば――


「――あ! でも、ほら! ボクはキミが【魔王】だって情報はお頭にあげてないよ? どうかな、それだけでも信じてもらえないかなぁ?」


 そんなことを言ってきた。

 両手を合わせ、身体を斜めに傾け、こちらを覗き込むようにして。

 片目を瞑って、舌を少し出す。甘えるようなその顔は、こちらの警戒心を解いていった。そしていつの間にか俺は、


「……たしかに、そうだな」


 そんなことを言ってしまうのであった。

 納得したわけではない。もちろん、この人物のことを怪しんではいる。

 だけどもそれ以上に、このユキには他者を魅了する生来の魔法がかけられていると、そのように思われた。この子の前では、誰もが気を抜いてしまう。

 しかし、今は何故か信じてもいいように思えたのだ。それはきっと、この人物を見ているとどこか、のことを連想してしまうからかもしれなかった。


 だから――


「――それで、ユキ? お前は結局、何者なんだ」


 そう。静かに俺は訊ねた。

 すると途端にユキ――彼は、真面目な表情に変わる。

 そして俺の顔を、その綺麗な眼差しで見つめるとこう語った。



「ボクはね? アニお姉ちゃんの――弟、だよ」――と。



 彼は、話し始める。

 自身の秘めた思い、そして願いを。

 それは紛れもない本心であり、俺の胸の中にストンと落ちるモノだった。



◆◇◆



 ボクの願い――それは、お姉ちゃんのように強くなること。

 ボクの願い――それは、お姉ちゃんを守れるようになること。

 ボクの願い――それは、お姉ちゃんをこの地獄から救い出してあげること。



 だけども、それらを叶えるにはボクはあまりに非力だった。

 力がなくて、身体が弱い。この命は幾度となく生死の境をさまよった。

 それならどうしたらいいか。そう、答えはただ一つだけ。それにも負けない身体が手に入ればいい。あまりにも単純明快で、心地良ささえ感じてしまった。


 その方法は、ある時ふいに与えられることとなった。

 結果として、ボクは動く手足を手に入れ、お姉ちゃんには内緒で組織に属することとなる。心苦しかったけれども、それは必要なことだと思って呑み込んだ。

 表向きはお頭の忠実なしもべとして、だけれども裏では――


『――それに気付かぬ儂だと、思っておったのか?』


 しかしある日、お頭――リベドはそうボクに言った。

 どうやらこの男には、人の心を読み取るような何かがあるらしい。

 そう仮定しなければかしいと、理解が追い付かないことが多々あった。現にこうして、ボクの思惑は筒抜けになっていたのだから。


『儂に逆らったら、アニがどうなるか分かっておろうな』


 ボクはその一言に頷くしかなかった。

 どうやら、またを削られることになってしまったらしい。

 こうなると、そろそろ動かなければならないだろう。何故ならもう、ボクにはがないのだから。そうなると、急がなければならなかった。


 だけど、そう。

 決定的な何かが欠けていた。

 それは、外部からの圧倒的な力だ。


 あぁ、だけど――それはある日突然にやってきた。

 ボクにとってそれは、魔の力ではなく正義の力。そうは、ボクにとっては【魔王】なんかではなく、【英雄ヒーロー】だった。弱きを助け、悪を討つ。その姿にボクは一気に魅了された。


 そして、確信した。

 彼ならば、お姉ちゃんを任せられると。

 彼ならば、必ずやあの悪を滅ぼしてくれると。


 なら、ボクの役割はもう決まっていた。

 それは最後に、まだ決心のついていない彼の背中を押してあげること。

 ボクの役割はそれだけ。それだけを果たせば、お姉ちゃんはきっと救いだせる。あの地獄のような日々から、きっと救い出してあげられるんだ――。


「待っててね、お姉ちゃん……」


 ボクは、彼の背中を見送りながら呟いた。

 宵の闇の中へと溶けていくその姿を見送って、ボクは思わず泣きそうになる。

 その先を見ることが叶わないのは、何とも悲しいことなのだろうかと。そう一度思ってしまうと、今までため込んできた涙が一度に溢れ出してきた。


 いいや、まだだ。

 まだ、終わっていない。

 最後まで、いいや――最期まで気を引き締めなければ。

 この身体が完全に犯されてしまう前に、事を済ませなければならないんだ。



「よっし、最後にもうひと踏ん張り、かな……」



 だからボクはそう呟いて。

 彼とは正反対の闇の中へと、身を投じるのだった――。


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