第十話 アニの【能力】 後編




 外に出ると、日はすっかりと落ちてしまっていた。

 しかしアル村とは異なって街灯りが照らすルインには、夜は短いモノである。さてそんな街に出ると、俺を出迎えたのは愛おしい子供たちの声だった。


「スライくん……っ!」

「スライ……っ!」

「うおっ!?」


 マーサとシータが、俺に飛びついてくる。

 そして、アニを呼びに行かせた少年も合流していたらしく、見慣れぬ一人の男性に連れられてこちらへとやってきた。アニはどうやらいないらしい。

 それならと、俺はアニの代わりにお礼を言おうとして――


「――って、もしかして。お前、イムか?」


 気付いた。

 そう言えば、親友のスライムの姿が見当たらない。

 そして改めて確認してみると、その男性からは【魔力】の残滓が感じられた。これはつまり、何者かがその男性に姿を変えている、ということで。現状、こうやって子供たちの面倒を見てくれる存在は、一人しか思い当らなかった。


 つまりは、そういうことだ。

 その男性――イムは、俺の言葉の意図を汲み取ったのか、こくりと頷いた。


 イムが【変身】していたのは、そのあたりにたくさんいそうな中肉中背の男性。

 金髪に青い瞳をした彼は、二本の足で立つことへの不安定感からか、壁に身を預けた。腕を組んで無言のまま、じっとこちらを見つめている。


「ありがとな、イム。……なぁ、マーサ? アニはどこに行ったんだ?」


 俺はそんな親友に感謝を述べて、マーサにアニの行方を尋ねた。

 すると少年は少し暗い表情になり、うつむいてしまう。

 だが、やがて面を上げるとこう言った。


「なぁ、スライ――アニ姉ちゃんは、悪くないんだよな? シータのことを助けてくれたのは、アニ姉ちゃんなんだ。だから、えっと……信じて、いいんだよな」


 それは、恐怖の中でも果敢にアニを――【家族】を信じようとする少年の決意。

 受け取った俺は、もう返す言葉を決めていた。


「あぁ、アニはちっとも悪くないよ。信じるんだ……全部、悪いのは――」


 ――あの、男だ。

 俺は言葉にはせず、振り返る。

 そこにはリベド――諸悪の根源が住まう館があった。暗闇の中に吸い込まれるようにたたずむそれは、俺が言うのも変な話だが、魔王の根城のようである。

 それを見て思い返すのは、やはり先ほどあの男としていた話であった――。


◆◇◆


「永遠の、命……?」


 俺は唐突なリベドの一言に、唖然として、同じ言葉を繰り返してしまった。

 そんな様子を見て、老人は面白そうに笑う。突拍子もない話題を提示したかと思えばその実、彼の表情からは真剣さが滲み出ていた。夢物語を話すような年齢にも思われない。この人物はつまり、本気でそれを求めている、ということだった。


「なぁに、そのように鳩が豆鉄砲喰らったような顔をするでない。儂は冗談はあまり好きではないのでの、絵空事などは口にせぬ」


 その証拠に、彼は俺に向かってそう言う。

 だがしかし俺にとっては【永遠の命】など、絵空事以外の何物にも思えなかった。


「時にスライよ――お主はアニの【能力】のことをとれだけ把握しておる?」

「え? ……それは【治癒】のことか?」

「うむ。いかにも」


 俺の回答に頷くリベド。


「だがの、少しおかしいとは思わなんだか? 奴の【治癒】には、通常のそれとは思えないモノがある、と」

「どういう、意味だ……?」


 そして、そう続けた。

 だが俺にはやはり、彼の言葉の意図に皆目見当がつかない。こちらが眉間に皺を寄せ、訝しんでいると、リベドは想像以上にあっさりと答えを話し始めた。


「ある時のことじゃ。アニはの、拷問の加減を誤って相手を殺害してしまった。しかしの、あの娘はその遺体に泣きながら【治癒】を試みておったのじゃ」

「遺体に【治癒】を、だって……?」


 そこに至ってようやく、俺は違和感を覚える。


「結果として、その【治癒】は成功した。男はの、死の淵より息を吹き返した」

「それって……」


 予感が、確信に変わっていく。

 そう。自分は一度確かに、その奇跡を目の当たりにしていた。

 そう、それはあの時――ロマニさんの命の灯火が燃え尽きようとしていた時だ。いいや。あれは、もっと正確に言ってしまえば、さらに深刻な事態であった。


 何故ならば――


「――もう、分かったじゃろう? あやつの【能力】の特異性が」

「…………それは、つまり」


 それはつまり、アニの【治癒】は【治癒】ではなく――


「――【蘇生リザレクション】じゃよ。アニの会得した【能力】は決して【治癒】ではない。あやつには、身体の弱い弟がおっての。その命を救おうと必死になった結果、それは人間の域を超えた力となった……」


 にたりと、リベドはまたもや口角を歪めてみせた。

 そして饒舌に語る。手のひらを上にして、まるでその中にアニがいるかのように。己の手中には、とっておきの宝が収められていると言わんばかりに。

 己が欲望、願望を叶えるとっておきの力を手に入れていると、言わんばかりに。


「でも、仮にそうだとしても――どうして、そのことを俺に話した。永遠の命を手に入れようというのなら、俺は邪魔者だって分かってたんじゃないのか?」

「ふむ? あぁ、たしかにそうじゃな。だが――足りぬのじゃ。まだ、な」

「足りない……?」


 俺はリベドの言葉に首を傾げた。

 いったい、彼の願望を叶えるためには何が足りないというのだろうか。

 分からない。俺にはこの老人の欲深さが、またそのことを悪びれもしないその感覚が、まるで理解することが出来なかった。だがしかし、次の言葉で俺は彼の望みのおぞましさ、その一端を垣間見ることとなる。


 それは、この一言で。


「足りぬのじゃよ。【蘇生】をしても、朽ち果てる未完成な肉体のままでは、な」


 あぁ、分かった。

 分かってしまったのだ。この老人の目指すところが。

 そして、俺へと協力を求めた、その浅ましい理由というモノが――。


「それは、つまり俺の【能力】で永遠の肉体を手に入れる、ということか?」

「ほっほっほ。ようやっと理解したか――その通りじゃ」


 俺の言葉に、歓びを隠しきれぬリベド。

 彼は、もう何度目か分からなくなった笑い声を発する。


「お主の【能力】ならば、朽ち果てることのない肉体を生み出すことも可能じゃろう? あとは、如何にしてその肉体に儂の精神を移すか、じゃが――」

「――うるさい。もう、それ以上口にするな」

「む……?」


 俺は、我慢できなくなってリベドの言葉を遮った。

 すると彼は不思議そうな表情を浮かべて、俺のことを見上げてくる。

 もう、限界だった。何故なら、コイツの下らない願いに巻き込まれて、いったいどれだけの人が傷付いたのか。そのことを考えるだけで、眩暈がする。


「何が、永遠の命だ。何が、永遠の肉体だ――お前のせいで、どれだけ! どれだけの人が、傷付いたと思ってるんだ!!」


 こいつの私欲のために、アニが傷付いた。

 こいつの勝手のために、ロマニさんとクリムが傷付いた。

 それだけで、この男に協力しない理由は十分過ぎる。コイツは【俺の家族たち】を不幸にした、諸悪の根源に違いなかった。何が起きても、たとえ天地がひっくり返ろうとも、俺がこの男に協力するわけがない。


 だから、俺がここですることは決まっていた。

 アニの【能力】だとか、こいつの願望だとかどうだっていい。



「リベド――俺は、お前を……倒す!!」



 ――宣戦布告だ。

 俺が言ってやりたかったのは、それだけだ。

 何がなんでも、この男だけは倒さなければならない。だから――


「――くっくっく、はっはっははっはっはは、はっはっは!」

「なっ……!?」


 だが、その時だった。

 リベドが今までにない声量で笑ったのは。

 曲がっていた腰を反らせるほど豪快に、彼は哄笑わらった。そこには、どこか子供の冗談を嘲るような雰囲気がある。そして、まるでその子供を諭すかのような、屈辱的な声色でリベドはこう言うのだ。



「調子に乗るでないぞ? この小童めが」――と。



 それは、影を潜めていた大蛇が牙をむいたようであった。

 地を這い、足元に絡みついてくるようなその不気味さは、対峙する者すべてを蛙にしてしまうようなモノである。そして例に漏れず、俺もまたその一人となってしまった。そこに力の差などは、関係ない。潜った修羅場の数が違うのだ。


程度の言葉しか吐けぬモノに、後れを取るようなリベドではないわ」

「――――――――ッ!?」


 俺は、アニと初めて対峙した時に感じた差を思い出す。

 そうだ。俺と彼女の決定的な差は何だったのか、それを失念していた。


 それは――覚悟。


 相手の命を刈り取る、その覚悟だ。

 結局のところ、俺にはその決意が圧倒的に不足していた。


「まぁ、良いわ。今日のところは見逃してやろう――面白くなりそうだし、の」


 見抜かれている。完全に、見抜かれていた。

 俺は拳に力を込めて、どうにか怯えを、全身の震えを堪える。悔しさに、唇を噛みしめた。それは決して、侮られていることへのそれではない。あまりに愚かな、何も出来ない自分に対する情けなさに対してであった。


 リベドは俺に背を向ける。

 そこには、殺されるかもしれない、という恐怖心は微塵もない。

 つまり俺は、彼にとって何の障害ともみなされていない、ということであった。


「ほれ、分かったら帰るがよい。案内の者を付けるからの、行くがよい」


 そう、彼が告げた時。俺は何者かに腕を掴まれる。

 そして、半ば強制的に部屋を出ることになるのであった。

 遠くなる老人の背中。ただ、それを睨みつけることしか、出来ないまま。


「くそっ……!」


 思わず、そう吐き捨てる。

 だけれども俺は、思ってもみなかった。

 この後、まさかの再会が待っているということに。



 そしてその再会が、俺の決心に大きな影響を与えることになることを。

 この瞬間ときの俺には知る由もなかった――。

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