エピローグ 1 惜別
――少女は待っていた。
帰ってくるはずの、
「【家族】想いな【魔王】……」
玄関先に腰を下ろして、少女――クリムは呟いた。
膝を抱えて、次第に暗く沈んでいく陽の光を見つめながら。
あの青年――スライの発した言葉を、ここまで幾度となく彼女は繰り返していた。それが冗談なのか、本気なのか、それは分からない。それでも、あの時の彼の笑顔には何か言いようのない、惜別の思いのようなモノが感じられたのだ。だから、少女はこうして寒空の下、一日を過ごしていた。
もしかしたら、と。
そんな思いが彼女の胸を締め付けている。
それは父が帰ってくるかもしれない、という期待か。あるいは、スライが帰ってこないかもしれない、という寂しさか。はたまた、そのどちらも、だろうか。考えても、考えても、答えは出なかった。
だから少女はそれを
そしてそれは、あの約束を抱きしめるように――
「――……クリム」
そうして、ついに――答えの時はやってきた。
自身の名を呼ぶ声に、クリムはハッとする。その声は、よく聞き慣れた父のそれ。
声のした方に目を向けると、そこに立っていたのは、服をボロボロにしながらも傷一つないロマニの姿であった。彼の姿を認めると、少女は放たれた矢の如く駆け出す。そして、愛する父の胸に飛び込んだ。
「お父さんっ! ――お父さん!」
「悪いな、クリム……心配かけて」
愛娘の柔らかい髪を、優しく撫でるロマニ。
その微笑みには、今までのそれよりも、混じり気のない慈しみが宿っている。そのように思われた。まるで迷いから解かれたような、そんな微笑み。
彼の瞳にはもう、過去の憂いなどないように――そう感じられた。
「お父さん――」
だが、そんな折に、娘からの問いかけ。
それは、それだけは彼の心に深く突き刺さるモノだった。
「――……スライくんは?」
「………………」
クリムの言葉に、ロマニは押し黙る。
しかし、それは決して隠し通せるものではないと、彼には分かっていた。
だから、素直に。
彼はあの青年がどうしたのかを、娘に語って聞かせた。
「――――――」
それを聞いたクリムは息を呑み、こう漏らす。
そして、それは――
「――……嘘つき」
少女の頬を伝う、一筋の涙となって――
◆◇◆
――戦いは終わった。
アニが降参したことで、決着したのだ。
どうやら彼女のあの素早さは、【身体強化】の【
「すまない。それでも、この男を連れ帰らなければならないのだ」
しかし、それで話は終わらなかった。
理由は明かせないとのことであったが、彼女はロマニさんをギルドに連れ帰らなければならない。そう言って聞かないのだ。それどころか、こちらに土下座までして頼み込んできた。
「――頼む! この通りだ!」
声は切迫し、必死さが
そして、そこにはロマニさんにも似た何かがある。そう感じられてしまった。
「あぁ――」
――だから、だろうか。
俺は、その願いを叶えてやりたいと思った。
そしてそれは、ロマニさんも同じくであったらしく――
「なぁ、坊主。この嬢ちゃんには、借りがある。今度は返しても返しきれねぇ借りだ。俺は――どうしてでも、それを返さなきゃならねぇ」
――そう、俺に告げてくる。
それはつまり、彼女についていってギルドへ向かう、ということだ。
ロマニさんとアニの過去の因縁については、先ほど簡単にではあるが聞いた。それはもう意外なモノであったが、それであってこそ、彼女をかばったロマニさんの行動もうなずける。つまり、ロマニさんは救われた命の恩に、その命を持って報いようとしたのだ。
だが、それも再び彼女に救われてしまった。
これでは、もう借りの返しようがない。彼女についていくしかない。
理屈ではそうであるが、俺には納得が出来なかった。何故なら、俺はクリムに約束をしたのだ――ロマニさんのことを助ける、と。村に連れて帰る、と。
「むぅ……」
けれども、かと言ってここでアニを追い返したところで、別の刺客が村にやってくることだって考えられる。それでは今日、ここまでやってきたことすべて台無しになる。
そうなると、だ。どうにかしてロマニさんを二人用意しなければならなくなる。
だが、そんな要望を叶える方法は――
「――……あっ、そうだ!」
と、そこで俺は一つの案を思いついた、
それはフーコとの約束を
俺は二人から離れ、荷馬車の荷台へと向かった。
「ん? おい、スライの坊主。一体どうしたんだ?」
「なぁ、アニ? さっき聞いた話だと、ロマニさんの
「む――たしかに、生死は問われてはいなかったが……」
すると、二人もこちらへやってくる。
不思議そうな表情を浮かべる二人とそんな会話を交わし、俺はよしと、一つ拳を握った。それならば俺の考えていた方法で、すべてが丸く収まるはず。
俺はここ一番の集中力で、荷台に手をかざした。
そう。ここで、使用する【能力】はあれしかない――!
「【
俺の手から、不鮮明な輝きが放たれる。
身体中からじっとりとした汗が溢れ出してきた。
おそらくは、先ほどまでの戦闘での疲労感もあるのだろう。それに今、生み出そうとしているモノは剣などとは訳が違った。それは、そう――最初に成功して以来の大仕事だ。
以前よりも、完璧に。
以前よりも、精巧に。
以前よりも、緻密に。
そして、それは――
「――――【成功】!」
一寸の狂いもなく、成し遂げられる。
荷台に転がるのは、間違いなくロマニさんだった。
目を閉じた彼は穏やかに、呼吸もせずに、ただ身を横たえている。それを見て、【人間】は何と言うだろうか。死体か、遺体か、あるいは人形か。とにもかくにも、俺に出来る最高の仕事がここに完成した。
「スライの坊主……お前は、いったい」
それを見て、一番に口を開いたのは本当のロマニさん。
驚き、目を見開いて、俺と自身の分身ともいえるモノとを交互に見ていた。
その隣に立っているアニも、さすがに息を呑んでいる。剣を生み出すならまだしも、といったところであろうか。彼女もまた、俺のことを奇異の目で見つめていた。
「アニ……これで、問題ないか?」
「あ、あぁ……」
アニは俺の問いかけに、言葉を詰まらせながらもそう答える。
そうか、と。俺は言いつつ、額にかいた汗を拭った。
そして――
「――それじゃ、ここでお別れですね。ロマニさん」
俺はそう何でもないかのように、決断を口にした。
それはかねてより決めていたことであり、避けられないと思っていたこと。
彼の反応を見れば分かる通り、俺は【人間】ではない――どう足掻いても別のモノだ。正体がバレた時点でもう、一緒に生活するなんて出来ないだろう。少なくとも、以前のようにはいられない。
「………………」
それを、彼も分かっているのだろう。
握った拳を震わせていた。何か言おうと口を開くが、出てくるのは息だけ。
最後には唇を噛みしめて、悔しげに
「――それでは、私もここで失礼する」
そんな重い空気の中。先に動き出したのは、アニだった。
彼女は馬に跨ると、荷馬車を操縦して行ってしまう。おそらくは彼女なりの気遣い、なのかもしれない。最後の最後に、また彼女の【人間】らしいところを見ることが出来て良かった。しかし何故だろうか、彼女とはこれっきりという気はしない。
――いや。俺が、そうさせる気はなかった。
「なぁ、坊主――」
――さて。
そうして、取り残された男二人。
先に口を開いたのは、ロマニさんだった。
「本当に、いいのか? クリムだって、お前を気に入っている。それなら――」
「――駄目ですよ。分かってるでしょ? ロマニさんも」
「………………」
だが、俺はそれを振り切るようにして割り込む。
すると彼は押し黙り、目を閉じた。
何度も確認するが、やはり駄目なのだ。
仮に彼らがそれを良しとしても、アル村の他の住民が良しとするとは思えなかった。【人間】ではないモノを――【人間】にとっては悪とされる、それこそ【魔王】を置こうなどということ、許されるはずがない。
それに、俺だけならまだいい。
それによって、もし二人が村を追われるようなことがあってはならない。
【魔王】の一味として糾弾されるのは自明の理だった。そんな苦しみをロマニさんに、そして誰よりもクリムに味わわせるなんて、考えたくもない。あってはならなかった。
だから、これでお終いなのだ。
これでお終い。
けれど、せめて言葉を残すことが許されているのなら――
「――ロマニさん。クリムにも伝えてください」
赤色の光が俺たちを包み込む。
フーコが、俺を玉座に、彼をアル村へ【転移】させようとしているのだ。
だからこれが最後のチャンス。俺は、ずっと思っていた気持ちを伝えることにした。
そう。こんな、俺を――
「――【家族】にしてくれて、ありがとうございました」
引き取ってくれて。
家に置いてくれて。
そして、様々なことを教えてくれて。
そのすべての気持ちを込めて、俺はその言葉を口にした。
【魔王】が、いいや。一介の【スライム】に過ぎなかった俺が【人間】に心からの感謝を述べるなんて、おかしな話だ。だがそれでも、俺は――
「――俺はっ……二人が、大好きです!」
あぁ――自然と涙が込み上げてきた。
今度は自分でもハッキリと分かる。俺は涙を流している。
俺は別れを惜しんでいるのだ。悲しんでいるのだ。寂しがっているのだ。
だから、まるで【人間】の子供のそれのように、大粒の涙が堪え切れない。何度拭っても、拭っても、拭っても――それらは止めどなく溢れ出してきた。
【家族】という存在の大きさが、よく分かる。
それとの別れなど、どれほど心にくるものなのか。
今の俺なら、今の俺にだったら、少しは分かっているのかもしれない。
「えっ――」
――その時だった。
大きな身体に、包み込まれたのが分かった。
ギュッと、壊れるほどに強く。そして――
「――馬鹿野郎! 俺も、クリムも! お前のことが大好きに決まってんだろ!」
ロマニさんは、叫ぶように言った。
そう、俺が求めていた言葉を――
「――お前は【家族】だ! 誰が何と言おうと! これからも、ずっとなぁ!」
それは、俺を肯定するモノ。
俺の居場所がそこにあるのだという、その証明。
【魔王】である、弱い【スライム】であった俺の身には有り余るほどの幸福。
それを今、俺は――
「……ありがとう、ございました」
――手放した。
俺にはまだ、本当に身に余る。
だから次に出会うその時まで、もっと【人間】を知ってから――そう思って。
その、瞬間だ。
一段と強い光が放たれた。
ロマニさんの姿が掻き消されていく。
しかし、そんな最中にこんな声が聞こえた。
「忘れるな! 【家族】は助け合うモノなんだからなぁ!!」
それは、俺の魂に永遠に、深く刻まれる。
そんな気がした――
◆◇◆
――そして。
壊れた窓から夜空を見上げ、少女は呟いた。
「また、いつか会えるよね?」
クリムは思いを馳せる。
いつかまた、
そして、最後にこう言った。
「アタシの、大好きな――【魔王】様」――と。
――それは、ほんの小さな願い。
それは、ほんのささやかな願い。
だけど、
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