第6話 Payoutの代償

「なぁ八葉、ギャンブルしようぜ」

「悪い、理由がない」

「ねぇ八葉君、私とギャンブル……」

「ごめん、用事があって」

「君が八葉永人かい。私と一戦ヤって欲しいんだけど」

「勘弁してください」

「おい! 一年の八葉ってのはどこのどいつだ!」

「彼なら向こうに行きましたよ」

「あ、ハッチー!」

「やべぇ逃げろ!」

「あ、ちょっと待ってよ!」

 向こうが僕の顔を知らないのをいいことにとぼけていたら、背後から㐂島先輩が元気よく近づいてきていた。僕のあだ名だろうと容易に想像できるワードを大きな声に出しながら。おかげで僕は、強面でガタイのいい上級生から脱兎のごとく逃げる羽目になった。

「ハッチー! 待ってったらハッチー!」

「僕の名前を連呼しながら学校中を追いかけるのはやめてください先輩! 僕がここにいるって宣伝してまわる気ですか! 話があるならあとで部室で!」

 僕は追いすがる先輩に叫びつつ、校舎を駆け巡る。廊下を走らないようにという張り紙が今はただ虚しかった。

 体力は全くと言っていいほどない僕だったけど、小柄女子であるところの㐂島先輩をまくことは出来たようだったので、僕は足を緩めてその場で止まった。先輩には悪いけど、あの人と一緒にいると我こそは八葉永人だと宣言しているようなものなので今は別行動をとるしかなかった。

「ここは安全そうだな……」

 僕は周囲を見渡し、危険が去ったことを確認する。いつの間にか特別教室や文化部の部室が多く並ぶ、いわゆる文化部棟にやってきていた。上階からはブラスバンド部の練習している演奏が聞こえた。

「くそっ、なんでこんなことに……」

 僕は毒づきながら階段に座り込んだ。そしてブレザーのポケットから一枚の紙片を取り出す。今朝かんなから渡された「全ての元凶」だ。

「運命をひっくり返した男! 期待の新入生八葉永人現わる!」

 白黒二色刷りの紙面に、でかでかとした文字でそれに負けないくらい大げさな見出しが躍っている。「鳥羽高校新聞」という、新聞部作成の壁新聞。その縮小版だ。

「なにが運命をひっくり返しただ……」

 僕は運命という言葉が好きではなかった。小学校の頃、毎年変わる担任は判を押したように「一つの教室に皆さんが集まるのは運命です。この出会いに感謝しましょう」と言っていたけど、あんなものは偶然同じ学区に住んでいたというだけの話だ。偶然だ。単なる確率に過剰な意味を見出す考え方に、僕は昔から馴染めなかった。

 運命なんて、少量のレジンと照明の工夫があればいくらでもひっくり返せるのだ。その程度のものなのだ。

 とはいえ、過去二年間一度も勝利の無かった薄幸少女㐂島奈々と共にギャンブルに挑み、初めて勝利するという偉業を達成した人間が注目されないというのは到底無理な話だった。新聞部の余計な一手間も加わり、僕はいま学校中のギャンブラーから勝負を申し込まれる羽目になっていた。

「奈々を勝利に導いた新入生の実力を一目見たいというのだろう。なに、いずれ収まるさ」

 などと山笠先輩は他人事のように(実際他人事なんだけど)言っていたけど、これでは騒ぎが収まる前に僕が潰れてしまう。

 第一、僕は特別ギャンブルに強いわけではない。野球部とのギャンブルだってイカサマで勝ったのだし、イカサマ抜きの勝負は現在一勝一敗という平々凡々な成績だ。申し込まれる勝負を馬鹿正直に受けていたらどれだけの負債を抱え込むかわからない。僕の実力が見たいなら賭け抜きでゲームだけしよう、という提案にはしかし誰も乗ってこないのだ。賭けるものがないと真の実力が出ないというのが大方の理由だったが、非合理的にもほどがある。

 そんなことを考えているうちに体力が回復したので、僕は立ち上がって部室までの道を歩き出した。きっと㐂島先輩は僕が直面している状況をまだよくわかっていない。今後の対応含めて話をした方がいいだろう。

「お、ハッチーじゃん」

 もう聞き慣れつつあるあだ名に反射的に反応して、階段の上を見上げてしまってから声が㐂島先輩のものではないことに気がついた。僕の頭上には、ウェーブのかかった髪を指先で弄りまわす女子生徒がいた。

「あー……あなたは……」

 どこかで見たことある顔だと思って、しばらく頭の中を探る。

「今日子先輩……先輩?」

 そうだ、思い出した。野球部部長の阿部という男と一緒にいた、今日子という女子生徒だ。そういえば何年生なのかは知らなかった。

「お、覚えてくれてたんだハッチー。なかなか隅に置けないねぇ。二年生だから先輩で合ってるよ」

 今日子先輩は階段を降りて、僕の真上から目の前へ移動してきた。倉庫で会ったときは暗くてはっきり見えなかったけど、頬やまつ毛に明らかに校則に反する化粧がけばけばしく施されているのがわかった。短いスカートやだらしなくはだけたブラウスを含めて、今風のギャルっぽい要素をそつなく取り込んでいる感じだ。

「自己紹介まだだったっけ?九(く)杭(くい)今日子よ」

「はぁ、八葉永人です」

「知ってるよ」

 僕の間の抜けた自己紹介に、九杭先輩が笑った。

「で、九杭先輩は何の用ですか?まさかあなたもギャンブルの申し込みに?」

「違う違う。そうじゃなくて、話があんのよ」

「話?」

 勝手に身構える僕に、先輩が笑って答えた。

「そうそう。でもここじゃなんだから、場所変えない?誰にも盗み聞きされないところがいいんだけど」

「はぁ……じゃあうちの部室に来ますか? あそこなら壁も扉も厚いですし、周りには何もないから誰にも聞かれないでしょう」

 僕の提案に、先輩は顔をしかめた。まずいことでも言ったのだろうか。

「あそこぉ? ムードはあるけどほら、㐂島先輩いんじゃん」

「あぁそうですね。じゃあとりあえず行ってみて、㐂島先輩がいたら部室の外で話しませんか?外でも聞かれにくいことに変わりはないでしょうし」

 ムードってなんだ?と思いつつ、僕は次善の提案をした。先輩は僕の言葉に余計に顔をしかめているようだった。心なしか呆れのこもったような目で僕を見てきている気もする。極めて合理的な提案をしたつもりだったんだけど、なんでそんな目で見られなければいけないのだろうか。

「まぁいいや、それで。しょうがない」

 先輩はため息をつきながらそう言って、勝手に妥協したような空気を出した。とにかく提案は採用されたらしいので、僕は先輩と一緒に歩き出した。

「でも大変だねーハッチー。今やすっかり有名人じゃん」

「……悪目立ちってやつですよ。ほんと、いろんな人に絡まれるんで迷惑してます」

「それで私に話しかけられたときも身構えたんだ」

「そうですね。先輩の場合は野球部の復讐に来たのかと思ったってのもありますけど」

「はぁ復讐? なにそれ、ウケるんだけど」

「勝手にウケないで下さいよ。こっちは真剣なんですから」

「はは、復讐なんて真面目じゃないからね私は」

 僕の大仰な認識がツボに入ったのか、先輩は声を上げて笑った。僕たちは文化部棟を抜け、校舎の外に出る。

「そういえば、その後野球部の皆さんはどうしていますか?元気してます?」

「部室を取り上げた奴がよく言うわ、マジで。みんな大変そーだったよ。新しい部室探しで」

「ああ、そうなんですか」

 野球部との賭けの内容は、負けたら部室を譲り渡すというものだった。だから僕らに敗北した野球部は部室を生物部に譲り渡していたのだけど、グラウンドに面したロッカー満載のプレハブを僕らはもてあましていた。

「ていうか生物部はあの部屋使わないの?」

「ええ。別に校舎から近いわけでもないですし、人数も少ないのでいまいるところで十分なんですよね。だから使うあてがないというか」

「それで開け放したままってわけ?」

「そうですね」

 旧野球部部室をもてあました結果、あの部屋は扉を開け放たれグラウンドを通る人へ空虚な中身を見せつける状態になっていた。まるで晒し首だ。そのことが、生物部の勝利を余計に喧伝するようなことになってしまっているのだけど。

「なかなか酷いことするじゃんハッチー」

「先にやってきたのは野球部ですよ。あの部室は今後生物部がギャンブルを仕掛けられたときに賭けの原資にでもしましょう」

「ははっ、土地ころがし?」

 僕と先輩は校舎の裏にまわり、生物部の部室である倉庫までたどり着いた。ここには相変わらず人気がない……と思っていたら、倉庫の影に隠れて誰かがこそこそとこちらを伺っていた。

「誰ですか? 賭けならお断りですよ」

「ん? 誰かいんの?」

 ギャンブルだなんだと、相手から仕掛けられると断るのが面倒なことをこの数日でしっかり学習した僕は自分から声をかけることにした。人影は一瞬倉庫の裏に引っ込んだが、ばれて観念したのか結局姿を現した。見たことのある女子生徒だった。

「やあやあどうも……お元気そうで」

 場違いな挨拶を口にしながら出てきたのは、同じクラスの石崎一香だった。好奇心旺盛そうな目で僕と九杭先輩をじろじろ見ながら一眼レフをいじっている。

「なんだ石崎か。どうしてこんなところに?」

「知り合い?」

 石崎とは面識のない先輩が、僕に尋ねてきた。僕が先輩に紹介しようとする前に、石崎は前に出しゃばってその質問に答えた。

「はい! 八葉君と同じ一年八組の石崎一香です! 新聞部の所属です!」

「あぁそれでカメラ」

「これおじいちゃんの形見なんですよ、えへへ」

 聞いてないことまでペラペラ喋り出す石崎を、僕は静止する。

「ちょっと待て石崎。どうしてお前がここにいるんだよ」

「そりゃ、我らがダークホース八葉永人の新たなスクープを狙ってるんだよ。今度は誰をギャンブルで陥れるんですか?」

「人聞きの悪い表現を使うな! 陥れるって何だよ!」

「被害者である野球部のマネージャーとしてはどう思いますか?」

「えー、悔しいっていうかー、誰かに仇を討って欲しいっていう感じ?」

「先輩ものらないでください」

 いつの間にかボイスレコーダーを取り出してた石崎の手を、僕は振り払った。教室ではあまり話す機会がなかったけど、こんなにぐいぐい来る奴だったのか?

「ていうか新聞部ってことは、あの変な記事を書いたのもお前か? 余計なことを……」

「あれは私じゃないよ。せっかく同じクラスにいたのに先輩にスクープ取られちゃって悔しいからこうして部室で張ってたんだよ」

 不意にカメラを向けてくる石崎の視界からとっさに逃れる。撮影した写真には僕が写らなかったようで、ディスプレイで確認した石崎が「あー……」と落胆した声をあげた。

「部室で見張って一体どんな記事を書く気だったんだよ。プライバシーの侵害だぞ」

「こっちには報道の自由があるからね、へへ。今週の見出しは『八葉永人、美人野球部マネージャーと秘密の密会?』だね」

「え、私って美人? マジ?」

「喜ばないでください。この人が話があるっていうから部室に一緒に来たんだよ。密会っていうほど秘密なわけじゃない」

「えーいいじゃん秘密の密会」

「気に入ったんですかそのフレーズ?」

 秘密の密会って、意味ダブってるじゃないか。頭痛が痛くなる。

「でも聞かれたくない話なのはマジだよ。どうしよう」

「そういえばそうでしたね。というわけで石崎、外してくれ」

「いなくなれと言われて素直にいなくなるジャーナリストはいませんよ」

 石崎は無い胸を張って何故か誇らしげに言う。僕はその肩を掴んで、体を反転させた。

「はいはい、報道陣ごっこならあとで付き合うから帰った帰った」

「ごっこじゃないってば! 聞かれたくない話なんて絶対に聞きたいじゃん!」

「ただの迷惑な野次馬じゃないか」

 子供っぽく駄々をこねる石崎に僕は呆れた。このままでは永遠に本題に入れない。初めはあまり興味がわかなかったけど、そこまで誰にも聞かれたくない九杭先輩の話というのも段々気になってきたことだし、石崎を早いところどうにかしたかった。

「そうだ、部室に入りましょう先輩。それで石崎は締め出せば聞かれませんよ」

「そっか。扉重いからこの子なら開けられないよね。ハッチー頭いいじゃん」

「本人の目の前で締めだす算段とはいい度胸ですね。でも無駄ですよ。今日は生物部の部室は開いてません!」

 ナイスアイディア、と二人で盛り上がったところで石崎が割り込んだ。本人は堂々とした雰囲気を出そうとしているんだろうけど、㐂島先輩ほどではないにしても小柄な体に童顔が引っ付いているので、中学生が背伸びしているようにしか見えなかった。いやつい先月まで中学生だったんだけど。

「なんでお前が生物部の開閉事情を知ってるんだよ。部室の鍵は㐂島先輩が持ってたはずだけど」

「扉にこんな張り紙がしてあったんですよ」

 真っ当な疑問を呈した僕に、石崎がブレザーのポケットから取り出した一枚の紙を見せてきた。丸っこい字で文章が書いてある。僕は彼女の手から紙を受け取って文章を読んだ。

「えーと……ハッチーへ。言うのを忘れてたけど、今日からバイトがあるのでしばらく部活に行けません。水曜日は休みなのでその日にまた会いましょう。㐂島奈々……と」

「え、今日って木曜日じゃん。来週までずっとバイトってこと?ヤバ」

 僕が読み上げるのを聞いて、九杭先輩が声を漏らした。来週の水曜日までずっとバイトということは多分ないと思うけど、忙しいのは確かなのだろう。三年生となれば受験の準備とかもあるだろうし。

「で、なんで石崎が扉に貼ってあった張り紙を抱え込んでるんだ?」

「あ、私のこと疑ってる! 風で飛びそうだったからそうならないように剥がして八葉君が来るのを待ってたのに」

「マジ? いい子じゃん」

 先輩に褒められて、石崎はまた胸を張った。ジャーナリストを名乗るにしてはあまりにも素直だ。

「なんだ、最初に言ってくれれば邪険にしなかったんだけど」

「張り込む方がジャーナリストっぽいじゃんか。それにただ待つだけじゃもったいないし」

「ふぅん。でも先輩がいないんじゃ部室に入れないし、どうしましょうね」

「ここで話したらいいじゃないですか、その話とやら」

「え、聞くの?」

 石崎のあっけらかんとした言葉に、九杭先輩が驚いた。人気のない廊下でも場所を変えようと言い出すくらいの内容だ。ゴシップ屋の新聞部に属している石崎には聞かれたくないだろう。

「ほら、張り紙のお礼ということで。私の記事にネタを提供してください」

「自分で勝手にやったことだろ? マッチポンプもいいところだ」

「さっきはちょっと感謝する雰囲気出してたくせに!」

「欲気を出すからだろ。そのまま去ってたらカッコよかったのに」

「えー」

「えーじゃない」

「じゃあ仕方がない……」

 石崎は大仰に首を振ると、ポケットからコインを取り出した。ユーロコインだ。

「ギャンブ……」

「ギャンブルやるって言うんじゃないだろうな?」

 その先の展開は容易に想像できたので、僕は石崎の言葉を遮った。先手を打たれたペースを崩された石崎は顔をしかめる。

「ダメなの?」

「ダメだ。なんでギャンブルで決めなきゃいけないんだよ。聞かれたくない話なのは確定してるんだから」

「いいじゃんやろうよやろうよー」

 なおも粘る石崎に困り、僕は九杭先輩の方を見た。先輩はやれやれとでもいうように肩をすくめると、大仰に明後日方向を指さした。

「あ、あんなところにギャンブルで負けて部室を失った野球部の部長が!」

 九杭先輩がわざとらしく驚いた顔をして、指さした方を見ながら大声で叫んだ。反射的に僕と石崎も同じ方向を見てしまう。

「え、ほんとですか? どこだどこだ……」

「ほら、行くよハッチー」

「え、あぁはい」

 九杭先輩に腕を引っ張られて、僕は先輩の意図を理解した。僕と先輩は間抜けにも出まかせに引っかかり、ここには存在しない野球部部長を探す石崎を放置してこっそりとその場を去る。さっき㐂島先輩をまいたときと同じような全力ダッシュでだ。石崎が九杭先輩の思惑に気づいたときには、僕たちは彼女の視界から消え去っているだろう。

「ふう、ハッチー人気者じゃん」

「あれを人気とは言わないと思いますけどね。はぁ、すいません。うちのクラスメイトがしつこくて」

 校舎の角を何度か曲がって、石崎の見えない位置へ逃れることに成功した僕は、早歩き程度に速度を落としつつ九杭先輩に詫びた。わざわざ場所を変えたのに、結局本題の話とやらに入れないでいる。

「いいのいいの。新聞部って基本あんな感じだし、すぐにギャンブルに走ろうとするのもいつものパターン。鳥羽のやり方にすっかり馴染んじゃってるんじゃないの、あの子」

「いいこと、なんですかね。はぁ」

「いいことよ」

 部室からも距離があいたので、僕たちは足を一旦止めた。突然全速力で走り出したので息が上がってしまっていた。僕は息を整えてから九杭先輩に言う。

「しかしどうしましょうね。学校じゃみんな僕を見た途端勝負を仕掛けてきますし、落ち着いて話もできませんよ」

「学校を出た方がいいかもね」

 九杭先輩はあのダッシュでも全く息が乱れていなかった。流石に野球部のマネージャーなだけある、といったところなのだろうか。

「出るって、もう帰るんですか? 話は?」

「まあまあ、私に任せて」

 九杭先輩は思案するように、瞳を右から左へゆっくりと動かした。そして何かを決めたのか、「よし」と小さく言ってから僕の方を向いた。

「じゃあハッチー、私と高校生っぽいことしようか」

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