元老院隔離区 2
目覚め、飛び起き、ダグと額をぶつけ合う。
頭痛、激痛、そんなのそっちのけで視界を巡らす。
そこには骨面の影もない。
「俺はどれぐらい寝てた?」
訪ねながら身を起こす。
「大してたってない。一イニングもいってねぇ」
「あ?」
ダグの訳のわからない話しが尚更苛立たせる。
「……睨むな。まだ上は吹っ飛んでねぇよ」
「だったらさっさと追いかけろ。あいつにとってバーナムは、母親含めてまとまった仇だろ? あの様子じゃ、問答無用で襲いかかるぞ」
吐き出すように吐き出して全身の痛みを感じる。
背中のは浅い打撲、肺は過呼吸、残りは筋肉疲労、この程度ならまだやれる。
「言われなくてももうやってる。バニングさんが魔法の灯りで追っかけを付けたから追っかけはできる。だがなぁ」
そう言ってダグが見た先で、バニングさんがケイを引き連れてドアの前でなんかやってた。
「おいまさか」
「そうだ。罠がないか確認してんだと」
「冗談だろ? 罠なんぞあるなら先に骨面が踏み抜いてるだろが」
「おれもそれは言ったがな、あの速度なら発動前に駆け抜けるーってんで聞かなくてよ」
「ならいいもういい。お前らはゆっくりしてけ」
雑に答えて息を飲む。
あの速度で安全なら、それ以上ならなお安全だ。
ダグが何かを口走る前に、バニングさんとケイが振り向くより先に、俺は中へと駆け込んだ。
▼
中はこれまでと違って普通に明るかった。
天井のは小さな水晶、そこからの光がドアだらけの廊下を照らしている。
動く影は俺のだけ。閉め切ったドアを無視して真っ直ぐ直進する。
どこまでも続きそうな廊下も終わりが見え、たどり着いた突き当たりは左右に別れていた。
右を見れば先には閉じられたドア、左を見れば先には開けられたドア、なので迷わず左へ。
飛びこんだ中は、まるで貴族のお屋敷の玄関のようだった。高い天井、奥にも左右にも広く伸びた廊下、更には上へと上がる階段まである。
こんないかにもなお屋敷、戦場で要人救出作戦に飛びこんだのが最初で最期だ。
その時も、戦場特有のめちゃくちゃだったが、ここはそれとは違う感じのめちゃくちゃだった。
床に敷き詰められているのは赤毛の絨毯だ。しかしそれは所々が毟られ、破かれ、泥に汚れている。
天井には水晶の灯りと千切れた太い鎖が、その下には落ちて砕けたらしいシャンデリアの残骸が煌めいていた。
壁紙は破かれ、かけてある絵画も落書きがされていて、元の色も判別できない。
何よりも酷い悪臭、物が腐ったのとも風呂に入ってないのとも血生臭いのとも、違うようで全部混ぜたような、臭いとしか表現できない酷い空気が満ちている。
そしてそんな空間で一際存在感を放っているのが、泥の塊で作られたいくつもの像だった。
像は、同じ人物、丸々と太った長髪の男をモデルにしているようで、それが様々な、鎧騎士や王族や水着やメイド服や裁判官の格好で各々ポーズを決めている。
俺は、芸術など未熟どころか人生で触れてもこなかったが、それでもこれが、ナルシストの自画像だとはわかった。そして美しくもないとも、わかった。
直感だが、こいつがバーナムだろう。
ふと思い出し、像の一体を輪切りにする。
ぼとりと落ちた上半身、それだけだった。
どうやらゴーレムとして動くことはなさそうだ。
ならこれは、手慰みとして作ったということなのか、あるいはこれが芸術というものなのか、どっちにしろ今は無視しても問題ないだろう。
と、音がした。
上、ガタリと当たる音、ここで物音をたてるのは二人、骨面かバーナムしか思い浮かばない。そしてどちらも重要人物だ。
なので上へ、階段を一跨ぎして更に奥へ、音のしたと思われる先へ先へと急いだ。
▼
道中、罠も敵もなく、無心で駆ける。
同じように、あるいはそれ以上にめちゃくちゃになってる廊下を抜けて、ドアを抜け、たどり着いたのはまたも広い空間だった。
今度の床は磨かれた大理石、壁も天井も真っ白で、壁際にはまたいくつもの泥の像が立ち並び、天井には灯りが一つ、灯っていた。
中の空気は冷たい。それを切り裂くように駆けるが一人、骨面がいた。
長剣を引きずるように後方へ構えて向かうは奥の奥、反対の壁際にて一段高くなった壇の上、横一列に並べられた偉そうな椅子の真ん中の一つに座する、泥の像ではない人の姿に向かってだった。
そいつは黒一色の鎧姿だった。
座っていてもわかる、人間としての限界まで迫る長身、それに不釣り合いなほど体は細い。流線型を描く装甲は細かな棘が生え揃い、細い手は指の先まで流れるようだった。足も細く、ご丁寧に足の指も独立して別れて動かせるようだった。顔は横に線の目だけで、あとはのっぺりとしており、額からはカブトムシを思わせる長い角が鋭く天を指していた。
一見すれば唯美で、女性的なフォルムのそいつは、骨面の相対するかのようにゆっくりと立ち上がった。
その滑らかで軽やかで、自然な動作は、ここまで戦い続けて初めて『生き物』と出くわした気分にさせた。
そいつがゆっくりと、椅子の右横から持ち上げたのは、一本の刀だった。
…………ぞくりとした。
俺も未熟とは言え剣士の、刀使いの端くれだ。
だからこそ、いやそうじゃなくてもわかる。
こいつは、この刀は、やばい。
見る限り長さ太さ握りも平均的、だがその刀身は緋色、なのに深い緋は鎧の黒よりなお暗く、深い色合いに、輝きは皆無だ。
それを操る動作はあくまで緩やか、斬るも振るうもない。
なのに、微かながら、はっきりと、風を切り裂く音が聞こえた。
ただあるだけで風を斬る切れ味、それに色、覚えがある。軍の座学、歴史で習った。
あれはヒヒイロガネだ。
はるか昔に製造法の失われた幻の合金、ヒヒイロガネ、一説には練りこまれてるのは膨大な魔力とも、数多の生贄とも言われている。
その強度は高く、錆びず、磁気を弾き、高い熱同率から常に冷たく、何よりも粘る。
金属とは思えないほど粘り、それこそ竹のようにしなり、なのに折れず、すぐに戻る。
それもあってからか、現存するその全ては刀のみ、それも名刀ばかりだと習った。
その切れ味、その価値は一刀当千と歌われ、剣士の垂涎の的だと習った。
当然実物など見たことがない。だが、こんな風のない室内で、ただそこにあるだけで風切り音を奏でられるのは、他に考えられなかった。
売り払えば今回参加した俺らがまとめて生涯遊んで暮らせるようなお宝がこんな所で、いやこんな所だからか、敵の手にあり、こちらに向けられていた。
一本角の剣士はその価値を知ってるのか、自然体で右手正面に構える。
無駄のない構え、ブレのない構え、隙の読めない構え、こちらも一級品だった。
ここまで見事な構えは、軍にも戦場にもいなかった。それはこうあるべきと理想論で語られる姿、構え、俺など夢でもとれたことのない構えだった。
中身は人かゴーレムかは知らないが、こいつは、これまでで一番強い
人知れず唾を飲み、汗を一雫垂らす間に、骨面は跳んでいた。
頭上に真っ直ぐ長剣を構え、そのままで跳んだ跳躍は、段差を超えて一本角に迫る。
「みんなのお返しだぁ!」
叫ぶ骨面は敵に届く距離、俺の届かない距離、手遅れの距離だった。
何もできない、間に合わない俺の目前で、動いたのは一本角の刀を持たない左腕だった。
その顔は骨面に向いたまま振り返りもせず、後方へと伸びた左手は、先程まで座していた椅子の肘掛けを無造作に掴むと、そのまま骨面に向けて投げつけた。
空中にいる骨面は当然避けること叶わず、激突し、推進力を打ち消されて落下する。
そこへ、非常にも、一本角が跳んだ。
金属の鎧をまとってなお俺らに負けぬ跳躍は、一歩で落ちきる前の骨面に追いついた。
一閃。
横に振るわれた緋色の刀が、引き裂いた。
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