第2話

 外が薄明るい。ベッドの中で烏の鳴き声を聞いて、高杉晋作が唄ったとも言われる都々逸を思い出した。『三千世界のからすを殺し、主と朝寝がしてみたい』。あまり詳しくは知らないけれど、昨晩一緒に寝た相手を置いて去らなくてはいけないというのは、いささか寂しいだろう。

 自分だけが目覚めていて、自分から離れてゆく。とんとそんな立場にはなっていないけれど、もうごめんだ。

 置いていかれるのはいいけれど、置いてゆくのは。

 体を起こしてサイドテーブルの携帯電話で時間を確認しようとすると、隣でゴソゴソと身動みじろぐ音がした。

「やよい、さん……?どしたの?」

「ん?何が?」

 合っているのかいないのか、定かでないような目でこちらを見る彼は、ぼんやりと目を泳がせた。

「……ん、何でもない。おはよう」

「うん、おはよう」

 ようやく手元に目をやる。午前5時。仮眠時間は約1時間といったところか。

「寒いよ、やよいさん」

「あんた、今日仕事は?」

 私が抜けたことで開いた布団の隙間を手で直す。これで文句は言われまい。

 ここで二度寝してまた朝バタつくのは嫌だったので、携帯の画面ロックを解除してアラームアプリを開いた。仕事の3時間前くらいにセットしておけば、彼は一度家に戻って着替えてから出勤できるだろう。

「……たつきだよ、俺」

 拗ねた声が聞こえて顔を見ると、マンガのように口が尖っていた。たまにされるこの顔は、なかなか面白くて嫌いじゃない。無意識に笑いが零れた。

「樹クン、何時からお仕事ですか」

「10時です」

 ようやく名前を呼ぶと満足そうにふにゃりと笑った。昨日の夜来た時よりも自然な笑顔で。

 アラームを7時にかけてサイドテーブルに携帯を置き、ベッドの中に戻る。消し忘れた画面はそのうち勝手に消えるだろう。

「やよいさん冷えてるよ、身体冷たい」

「そう?」

 そう言って抱きしめられる。触れた素肌は温かくて、確かに自分の体が冷えていた事を感じた。もうそろそろ暦は12月だ。

「朝ごはん何がいい?」

「やよいさん」

「ん?」

「やよいさんがいい」

 彼はこういうことを言う時に悪戯っぽく笑う癖がある。今回もご多分にもれず。

「あーはいはい、で?何食べたいの?」

「なんでもいい、普通のごはん」

「その言い方が一番困るんだけど」

「やよいさんがいっつも食べてるものが食べたい」

 私は朝は何も食べない。彼の言うが何ご飯なのか分からないけれど、最後に来た時よりも痩せている気がしたので、ちゃんとしたものを作ってやろうと思った。

「なんか適当に作るよ」

「うん……やよいさん」

 私の名前を呼ぶ彼の声は、いつも甘いと思う。誰に比べてというわけでもないけれど、そんな気がする。声の主の腕の中から顔をあげると、キスが降ってきた。何度も何度も角度を変えて、口内を侵される。数時間前に相手をしたばかりで最早はね飛ばす体力も残っていなかったので、そのまま身体を預けた。

 何にせよ、その後朝食を作る時間だけは確保しなくては。

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