提燈

和史

提燈

 師走に入り、どちらも忙しい中、田舎の恩師宅で年忘れをすることになった。どんよりと灰色の雲が空を覆い、北風が寒さに拍車をかける。私は藍鼠のコートの襟を立て、マフラーを首にぴっちり巻き付け、片手に土産の一升瓶を持ち意気揚々とバスに乗り込んだ。

 バスの中は暖かく、買い物帰りの人々でごった返していた。硝子はバスの中の熱気で白く曇り、子供が面白がってそれに落書きをしているのが見えた。目の前に座っている婆さんの大きく膨らんだ荷物袋からは、沢山の干し柿や蜜柑、味噌の包み紙などが見える。そういえば、今年は田舎の伯父の家へ柿をもらいに行っていない。正月用の干し柿をどうしたものかと思い出していると、知らず知らず袋からはみ出している柿を凝視していたらしい。視線に気付いた婆さんは、おもむろに「食べなさるか?」と一本新聞紙に包みはじめた。

「いえ、あの、そういうつもりでは……」

しどろもどろになりながらも、結局は差し出された包みを「すみません」と言いつつ手にしていた。婆さんは三つ先の停留所に住んでいる息子夫婦に、正月用の餅やら何やらを届けに行く途中だと言う。正月は一緒に過ごすらしい。勢い込んであれこれ持ってきたはいいが、あまりに重くなってしまいちょうどよかった、と自分が降りる停留所までしゃべり続けた。

 一人二人と降車し、ほどなく終点になった。ぱらぱらと数人の乗客と一緒に私はバスを降り、一陣の風に思わずぶるっと体を震わせた。ゆるんだマフラーを巻き直し、細い山道へと入っていった。

 

 恩師宅に着いたのはもう日が傾き、烏もねぐらに帰る刻限だった。

 玄関口からざわめく声が聞こえ、通された部屋ではすでに宴会が始まっていた。

「やぁ、やっと来たぞ」

「酒は台所に置いてこいよ。そら、白菜が煮えたぞ」

「おぉい、お銚子が足りんぞ」

 と、真っ白な湯気の合間からいろんな声が飛び交っている。何一つ変わらない行事風景にうれしくなりながら、まずは台所の奥さんとお嬢さんに挨拶をし、両手に銚子をぶらさげ、いそいそと湯気の中に入っていった。

 席は瀬戸物の碗の触れる音や、既に酔いの回った輩で大層賑やかだったが、肝心の先生の姿が見当たらなかった。ぐるり見渡していると、おぉい此処だ此処だ、と大声で湯気の中から手招きしている懐かしい顔が見えた。

「やあやあ、久しぶり。元気にしてたかね、君」

三つ揃えのぱりっとした仕立てがひときわ目立つ。丸眼鏡を曇らせながら、この社交的な男は体をひねり、場所を空けてくれた。隣には仏頂面の画家もいる。この絵描きとはよく顔を合わせる仲だ。彼はめったに外に出ないので、こういった大勢集まる場ではおさまり悪そうにしている。丸眼鏡の男はというと、愛想の好い声でずけずけと続ける。

「相変わらず青白い顔をしているが、大丈夫なんだろうね」

「青白くなどない」

少し不愉快そうに短く返事をしてみせるが、いつもの挨拶みたいなもので本気で気を悪くしているわけではない。

「咳も出なくなったし、快調だ。それよりインテリ、いつ日本に帰ってきたんだい?」

インテリ、とはこの愛想の良い男のあだ名である。普通なら嫌がりそうなものだが、彼は気にせずそれに返事をするので、みな悪意無くそう呼ぶようになった。

「一昨日だよ、君」

「帰ってくるなら前もって連絡してくれれば、港まで迎えに行ってやったのに」

 この英国帰りの明るい男は私の幼馴染で、趣味で貿易商まがいのことをしている。趣味で生活ができるのだから、何とも楽な仕事である。しかし私と違って彼は頭も良く、何よりも行動的だ。本気で同じ仕事をしても、私では彼の足元にもおよぶまい。

「まぁまぁ。君にも会いたかったが、もう一人真っ先に会いたい人がいたもんでね」

 彼はそう言うと、ちらりと台所を盗み見た。暖簾の隙間から椿の柄の着物が見え隠れする。懲りないやつだ、と一言ため息と共にもらす。

「お嬢さんとも今日顔を合わすのだから、一昨日会わずともいいだろう。それに一度ふられたのだから、潔くあきらめるのが漢というものだ」

 私の非難めいた言葉など耳に入ってはいないとばかりに鍋に箸をのばすと、熱々の鶏肉を口に放り込んだまま話しだす。

「羽飾りの付いたご婦人用の美しい帽子を見つけてね、きっとお似合いになるだろうと、そればかり考えながら異国の地で数ケ月寂しく過ごしてきたんだよ。土産を真っ先に持って行きたくなるのが道理というものだろう」

「だったら好き好んで異国の地へなど行かなければいいじゃぁないか」

 それとこれとは別問題だよ君、と冷えた葡萄酒で鶏肉を流し込む。

「それで土産は受け取ってもらえたのか?」

 横から画家先生が口をはさんできた。あぁ、とても美しく大輪の華が咲いたようだったよ、と、しれっと恥ずかしげもなく口にするところが、インテリのインテリたる所以である。どうやらその場で身に着けてもらえたらしい。

「きっとお嬢さんからすれば、いい迷惑だよ、君」

 私はそう鼻白むと熱燗を一口喉へと流し込む。じわりと喉と臓腑に染み渡る。

 詳しくは知らないが、先生のお嬢さんには婚約者がいた。会ったことも見たこともないが、我々の学年の2つ上の先輩であり、先生の教え子でもあるらしい。しかし先の戦争で帰らぬ人となった。引き揚げ兵の港で度々お嬢さんの姿を見たという話を聞いたこともあった。もう何年も前の話だが、その話を思い出すたび、私は未だに肩身の狭い思いをする。それからのお嬢さんといえば、人には会うが、すぐに奥へと引っ込んで自室に閉じこもる生活らしい。元々物静かな人ではあるが、確かにそれからはふさぎがちの様に思う。

「別に迷惑なことはしてないさ。他の輩のように言い寄ったりしている訳ではないし、一度きっちりふられているんだ。あれ以降は一度たりとも、そういった言葉を発することすらしてはいないからね」

 そうは言うが、一度ふった男が何度も訪ねてくるのは、きっと迷惑だろうと思う。画家も呆れたと言わんばかりに鍋へと目を戻す。湯気の中では豆腐が小気味よく踊っている。その隣でクタクタに煮えた大根に箸をのばしながら考えた。家の細君が頭をよぎる。自分が亡くなった男の立場なら、早くきれいさっぱり自分の事は忘れて、彼女には幸せになってもらいたいと思う。自分が原因でツライ思いを大切な人にさせたくはない。第一、自分はもういないのだから、そこにいない者の為に思い悩むことはない。しかしながらお嬢さん側に立つとすれば――つまり残された側に立つとすれば――きっと忘れろと言われても忘れないだろう。それがどんなに辛い別れであり思いであっても。忘れたくない、忘れてはいけないと思う気持ちと忘れたくても忘れられない辛さとに板挟みになるのだ。

「辛いなら、忘れる事も――」

 画家がポツリと呟いた。

「泣くだけ泣いたら、思い切って忘れることも大事だと、思う」

 一生分泣いたら、次は忘れる事だ。でないといつまでたっても次に進めないからな、と言うと、器に少量残った出汁を飲む。それで時間が立てば、また前向きにその思い出と向き合える時がくるものさ。私は画家の言葉におどろきながらも、ああ、と相槌をうつ。確かに、内に内に落ちてしまえば、まわりにある花に気づかなくなる。無理に忘れる事はないが、いつまでも負の感情に囚われるのは少なくとも良いことではない。

「しかし、あれはあれで頑固でもあるからな」

 と、突然後ろから銅鑼声が降ってきた。

「先生」

 ご無沙汰しております、と反射的に正座になり見上げると、変わらぬ顔がそこにあった。グレーの刈り上げに血色のよい四角い顔は健在だ。

「おお、セイ。やっと来たな。厠へ行っている間に、途中で行き倒れてはしまいかと心配しておったとこだ」

 そう言うと先生は豪快に笑われた。話はそこから一変、近況報告に始まり、今年の米の収穫高の話から昨今の政治思想や物価の値上がり、洋服の流行にいたるまで、酒を片手に喧々諤々と先生を交え盛り上がった。

 

 宴は一年の鬱憤を晴らしたところで、おひらきとなった。酔い潰れてしまった輩はそのまま泊まることとなり、私を含めほろ酔い気分は家に帰ることにした。

「なんだ、帰るのかい? もう夜も遅いから、泊まって行きなさい」

 と声をかけられたが、私たちは口をそろえて、まだ終電に間に合いますし、先生にご迷惑をお掛けしてしまいますから、と暇乞をして帰った。もう外はめっぽう暗いので、と奥さんが一人一人に提灯を貸してくれた。しかし最後の私の番になって、

「あらいやだ。あなた、セイさんの分の提灯がないわ」

 と困り顔で私を見た。

「そりゃあ仕方ない。きっと神さんが泊まっていけとおっしゃってるんだ。泊まって行 きなさい」

 先生のいつもの口癖で、何かをしようとして駄目になると決まってこの文句を言う。

いつもなら、そうですねと聞き入れるのだが今日はそう言うわけには行かなかった。明日は朝一で口やかましい原稿鳥が来るのだ。どうしようかとおろおろしていると、山手の方にゆく提灯の中に別れて一つ、山を下る明かりがあった。

私は咄嗟に、

「先生、あの提灯の人はどうやら私と一緒の方角らしいです。あの灯に付いていけば大丈夫そうです。それでは、失礼します」

 と口早に言い残し、慌てて下りの提灯を追いかけた。


 ほんの数歩先にいたので難無く追いつくことができた。田舎道は一本の外灯もなく、月が出ていなければ目の前にかざした自分の手も見えないほどだ。幸い月は出ていたが、恩師宅を出てまもなく何処からか雲がかかり始めていた。前を行く男に声をかけようとしたが、提灯の明かりに浮かび上がった後ろ姿にどうも見覚えがない。男は調子よくすたすたと前を歩いて行く。結局、躊躇したところで時期を逃してしまい、距離を置いて歩くこととなってしまった。男の方はと言えば、無言で後ろを歩く私を一向に気にしようともしない。少しすると、鼻歌まで聞こえてきた。 

どれだけ歩いたのだろう。男はふと道をそれて深い林の中へ入ってしまった。月のない真っ暗闇の中で取り残されては大変と、私はあわてて提灯の明かりを追った。近道なのだろうな。そう思うほど男は歩みをゆるめること無く、暗い雑木林のなかを歩いて行った。林の中に入ってまもなく雲が切れ、蒼い月の光が再び射し始めた。月の光に乗せられて、なにやらかすれかすれに声が聞こえてくる。

「今年の年忘れも楽しかったなぁ」

 かすれるような声はすぐに木に吸い込まれる。

「こう寒いと……も凍ってしまいそうだ。……もう少しゆっ……していけば……」 声は途切れ途切れに耳に入ってくる。

月明かりで男をよく見ると、足が悪いのか少し右足を引きずるように歩いている。それにしても歩きの早い男だ。白い息を吐きながらそんなことを考えていると、キン、と何やら足先にあたるものがあった。ソレはそのままシャララと澄んだ音を立てて転がっていった。月の光を反射して綺羅綺羅と光るので、何かと拾い上げてみると、それは美しい金杯だった。あまり汚れていなかったので、今し方男が落としたものかと思い、

「もし」

 と声をかけてみた。しかし男は変わらぬ歩調。それどころか金杯を拾うのに立ち止まったせいか、提灯の明かりは遠くになっていた。もう一度大声で呼びかけたが、やはり男は気にもしない。耳が聞こえないのか、それとも自分の声が小さいのか。金杯はよく見れば凛としていかにも高価そうなものだった。賜り物であったらさぞ気落ちするだろうと思い、急いで後を追いかけた。しかし、走っているのに一向に追いつかない。走れど走れど提灯の明かりは遠く、ひょっとして狐狸の類に化かされたかと思い始めたとき、ぱっと目の前が開け人道に出た。ひとまずほっ、としたが月がまた雲の合間に入りだしたので、周りは暗く陰りだした。提灯は道を下り、一軒の家へと入って行ってしまった。町へ帰るものだとてっきり思いこんでいたので、少し落胆したが、仕方ない、この杯を届けついでに提灯を借りようと、男が入って行った家へと向かった。私は冷たくなった手で玄関の戸を叩いた。すると間もなく明かりがつき中から、どなたですか、と聞き覚えのある声がしてきた。

「夜分遅く申し訳ありません。こちらのご主人らしき方が金杯を落とされたようで、道々お声をかけたのですが……。実は、その、道にも迷ってしまい、あつかましいようですが明かりになる物を貸していただければと……」

 あらセイさん、と戸の向こうからのぞいた顔は奥さんと先生だった。驚いた奥さんの声に、台所からお嬢さんが顔をのぞかせる。

「なんだい、セイ?山を下ったんじゃないのかい?」

 そう言いながら先生は戸を大きく開けてくださった。

確かに下ったのですが、と呆然と先生の顔を見ながら今までの話をすると、

「あぁ、金子君だ。彼は酒が好きでね、飲み足らんかったんだろう」

 先生はそう笑って、私を招き入れた。入れ違いに、お嬢さんは慌てて私を押しのけるように外へ出た。闇夜に明々と月だけが見える。白い息を一つ、彼女は思い直したようにこちらに向き直り、すぐに熱燗温めなおしますね、と少しうつむきがちに微笑んで台所へと消えた。

握っていたはずの金杯はといえば、跡形もなく消えていた。


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