第6話(完)

 起きて、目的地に歩いて、捕食対象がいないことを確認。

 それをくり返して……自警団の本部についた。

 ついてしまった。

 通いなれた安心できる外観なのに、心を包むのは空虚だった。

 私の脳内で、終わりの鐘が響き渡る。

 ここで、お別れ。

 私に向いたトライツさんに、必死に笑顔を作る。

「トライツさんのおかげで、無事に帰れました。ありがとうございます」

 私はほとんど役に立てなかった。迷惑をかけてしまった。その心残りはある。

 それでも私は無事で。トライツさんも大きなケガはなくて。依頼も完遂できて。これは本当に喜ぶべき結果だから。

「荷物を持たせて悪かったな」

 変わらない態度で布袋をさらわれて、腕が軽くなる。同時に、トライツさんとの接点が完全に絶たれたような感覚に包まれた。

 ただ立ってるだけの私は、もうトライツさんのためにしてあげられてることはない。

 トライツさんとのチーム仲間としての私は、もう終わり。

「……会おうと思う」

 続けられた言葉に、息がとまった。

 トライツさんを呪縛から解放したい。だから会ってほしい。

 そう望んだのは、他でもない私自身。なのに改めて聞いて、胸が締めつけられた。

「……きっと、喜びます」

 わきあがる本心を隠して、笑顔を作る。本心でもあるのに、さっきみたいに笑えない。これで2人は幸せになれるのに。それは、わかってるのに。

「そう思わせてたのは、お前だ」

 私の言葉が届いたんだ。

 私がトライツさんを動かすことができた。喜ぶべきなのに。

「本当に無傷で終えるなんてな」

 穏やかな表情で続けられた言葉に『実戦経験のない私が無傷で依頼を終えることで、トライツさんのせいでないと証明する』と話したのが蘇った。覚えてくれてたんだ。

「いえ……トライツさんのおかげでケガはしませんでしたが、襲われてしまったので」

 危険な目にあった時点で、あの言葉は達成できてない。消えない私の無力の証。これを忘れてはいけない。

「結局、傷は負ってない。それだけでいい」

 その言葉を前に、なにも言えなかった。

 助けられたのに。助けられたこと自体が、トライツさんを解放する要素の1つになってたのかな。それでもあの事態を起こした責任は消えないけど。

「……ありがとうございます」

 最後になるのに。わきあがる感情のせいで、まともな声でお礼を言えなかった。

「報告は俺がやるから」

 その優しさを最後に、トライツさんは背を向けて本部の扉を開けた。

 扉に吸いこまれて、隙間に消える背中。

 閉まった扉の音は、まるで私とトライツさんの縁が切れる音のように感じた。

 終わり。

 これで終わり。

 終わってしまったんだ。

 たった数日しか一緒にすごさなかったのに、こんなに別れがつらいなんて。

 たった数日しか一緒にすごさなかったから、こんなにあっさりと別れられてしまった。

 ただ一緒に組まされただけの関係だから。

 ……違う。

 それだけなんかじゃ、ない。

 口数は少なくて、ぶっきらぼうな口調だったけど、隠し切れない気づかいに何度も救われた。

 涙を流した私を責めもせずに、元気づけてくれた。

 私にとっては全然『それだけ』なんかで片づけられない人。

 思うと同時に、駆けて本部の扉を開けてた。

 本部の中を見回しても、トライツさんの姿は見つけられない。

 早足で歩いて、さっきのトライツさんの言葉が蘇る。

 『報告する』って話してた。報告ってどこでするの? 経験がないから、想像すらできない。

 それでも視線を泳がせて歩いてたら、喧騒にまじって耳朶にふれた。これは……内容まではっきり聞こえないけど、トライツさんの声?

 吸い寄せられるように進んで、執務室につく。

 開け放たれた扉を覗く。トライツさんの背中と、机をはさんで座る事務員さんの姿。

「お疲れ様。早速で悪いんだけど、これ、次の依頼の資料」

 渡された資料は、今回の依頼で私が渡されたのより、ずっと量が多かった。色の違う長方形の小さな紙が上に乗せられてる。

 あれは……乗船券?

 トライツさんはすぐに別の依頼に向かってしまうの? しかも船を使うような場所に。

 今回の依頼は、トライツさんにとって肩ならし程度だったの?

 私にとってはめまぐるしい日々だったのに、トライツさんからしたらとるに足らないことだったの?

 ふいに向いたトライツさんと目があってしまった。もう手遅れと思いつつ、壁に身を隠す。

 近づく足音は、私の隣でとまった。

「どうした?」

 部屋を出たトライツさんに、当然声をかけられた。変わらない口調を前に、私は顔を見れなかった。私が今どんな表情をしてるのか、見られたくなかった。

「……いえ」

 なにも、言えなかった。

 私という存在は、すぎる中で簡単に消えてしまうんだ。

 トライツさんにとっての特別は、私ではないから。

「聞きたいんだが……あいつがどのベッドにいるか知ってるか?」

 トライツさんにとっての大切な人。幼い頃から大切にしてた人。

 トライツさんの呪縛の原因で、トライツさんをそれだけ苦しめるだけの思いの強さがある存在。

 会ってほしいのに。会ってほしくない。

 私にとめる権利なんてない。そんな存在でもない。

 それでも。

「助けていただいて、ありがとうございました」

 伝えるだけなら。

「何度も聞いた」

「どんなに迷惑をかけても、優しくしていただいて」

 ぶっきらぼうに発せられる言葉は、どれも冷たさなんかなくて。にじみ出る感情に、どれだけ救われたかな。

「励ましていただいて、とても嬉しかったです」

 思いが届くように、気持ちを笑顔にこめる。

「トライツさんのおかげで、心をあたためることができました。そのぬくもりを……大切なお仲間に与えてください」

 そばにいるべき人に。

 私は満足すぎるほどに癒された。

 その癒しを、今度は本来与えるべき人に向けてほしい。

 そのほうがトライツさんのためになるから。それはわかってるから。

 トライツさんの口が発せられるように開きかける。

「その方、お名前は?」

 聞きたくなくて、遮った。

 一方的に送るだけでいい。見返りなんてなくてもいい。

 『仲間に会う』という選択をしてくれた時点で、トライツさんは呪縛から解放されたのはわかってる。

 私の言葉に、一切の意味がないのはわかってた。それでも私の中にある特別な感謝の思いだけは伝えたかった。

 トライツさんがどう思ったかわからない。迷惑だったかもしれない。

 だからこそ聞きたくなかった。どんな顔をしてるのかも見たくなくて、視線をそらした。

「アーフィスだ」

「……え?」

 思いがけない言葉に、聞き返した。

「アーフィス。魔法科の」

 知ってる。

 その方の名前は、よく知ってる。

「あの方……なんですか?」

「同姓同名がいないのなら、そいつだ」

 私が担当してる患者さんの1人。

 挨拶は返してくれるけど、いつも本を読んでて。

 会話はほとんどしないから、トライツさんの名前はおろか、詳しいケガの経緯も本人から聞いてなかった。でも『巨獣に襲われた』とだけは知ってる。

 そこはトライツさんの話とつながる。

「でも……アーフィスさんは男性じゃないですか」

 混乱が襲う。

 そんな人種がいるとは、当然知ってる。理解はしてるつもりだし。それでも突然目の前にすると、そう簡単に現実を受容できない。

「魔法を使うのは女なんて、考えが古いぞ」

 トライツさんの言葉に、急速に顔が熱くなる。

 そうではない。そんな誤解で言ったんではないけど。

 否定なんてしたら、隠された思いがあらわになる気がして。

 燃えるような顔を、俯かせるしかなかった。

 ……いけない。早くトライツさんを案内しないと。

 そうは思ってるのに、うるさく騒ぐ心臓にとりつかれたかのように体は硬直する。

「あいつとはただの腐れ縁だから」

 動けない私に、トライツさんの言葉が届く。

「俺もあいつも、ちゃんとノーマル嗜好だし」

 ……そう、だったんだ。

 特別は特別でも、違う特別だったんだ。

 恥ずかしい誤解を前にしても、心のどこかに安堵が広がるのを感じた。

 私、安心、してる。

 この言葉をくれるからには、私の誤解の理由に気づかれてしまってるのに。

「なら……この思いは抱いたままでもいいですか?」

 声の震えは隠せなかった。

 ゆらりゆらりと空中に舞った声は、ちゃんとトライツさんの耳に届いたかな。

「……俺が嫌いではないのか?」

 心外な言葉に、勢いよく顔をあげた。

 変わらない表情が前にあるのに、体の熱が上昇を続ける。

「そんなこと思ってません!」

 どうしてそのように思われないといけないの?

 最初こそ『怖そう』と誤解して、苦手意識は持ってしまったかもしれない。でも『嫌ってる』と誤解されるような態度をとった覚えはない。

「『俺の治療をしたくない』と話しただろ」

 瞬時に蘇った。

「『薬中毒になってほしくない』という意味です」

 私のせいで薬中毒になったトライツさんを、治療なんてしたくない。傷ついたトライツさんなんか、見たくない。そんな意味で発した言葉は、思わぬ届きをしてしまったみたい。

「そう、だったのか」

 トライツさんは呟きつつ、視線をよそに向けた。

「治療の際、おかしなことを言ってしまったから……不快にさせたのかと」

 たどたどしく話すトライツさんは、心なしか落胆してるように感じた。思った以上に傷つきやすい人なのかもしれない。

 そんな姿すら、私を満たす材料になる。……なんて言ったら不謹慎かもしれないけど。

 『私を不快にさせたかも』と誤解させて、気をつかわせてしまったんだな。少し言葉足らずだったんだ。これからはそんなことにならないように、会話も勉強しないと。

 もしかしたら『代理の人に継続してほしい』の声があがってしまうかもしれない。でも新たに担当を任されることもあるだろうから。沈んではいられない。その患者さんに、少しでも楽しい話ができるように。

「トライツさんの手当てなら、いくらでもします。でも……大ケガはしないでくださいね」

 視線をトライツさんの持つ依頼の資料に移す。

「次の依頼も、どうかご無事で」

 乗船券があるからには、どこか遠くの依頼に赴くんだ。応援して、無事を祈らないと。

「案ずるな。今回よりずっと安全な依頼だ」

 意外な言葉に、失礼ながら資料に目をこらすと……橋の修理補佐と書かれてた。

「材料を運ぶ雑務だ。運が悪かったら、海賊や魔獣と対峙するかもしれないがな」

 常に危険を考えてる、トライツさんらしい言葉。その可能性も否定できないとはいえ、万一を考えなければ平和的な任務に思える。

「滞りなく進めば、数日で終わる。こんな任務に、ケガの予定をいれてほしくはない」

 軽口のような言葉に、私への思いやりを感じとってしまったのは自意識過剰かな。

 まだ、トライツさんとの関係は終わらずに済んだのかもしれない。そばにいることを許されたのかもしれない。

 かすかに広がる安心を感じつつ、背を向けて医務室に歩き出す。

「案内します」

 今までずっとトライツさんの後ろを歩いてたから、背中から聞こえる足音は妙に新鮮だった。


 アーフィスさんのベッドに近づいたら、アーフィスさんの視線が本から外れて飛ばされた。その瞳はまっすぐとトライツさんにだけ向けられてる。

 積もる話もあるだろうし、私はお邪魔だよね。黙礼して、その場を去ろうとする。

「久しぶりじゃん! 生きてたんだ!」

 聞いたこともないほどに弾んだ、アーフィスさんの声。

 他の患者さんもいるこの場所で、そんな発言は謹んでほしい思いはある。でも今回は見逃そう。親しいからこその軽口なのは、周囲もわかってるだろうし。

「……それはこっちの言葉だ」

 トライツさんの声は抑えられてたけど、それでもあふれる高揚はにじみ出てた。

 噂しか知らなかったなら、きっとあの件以降一目すらしなかった。言葉を交わすどころか、声を聞くことすら絶ってたんだ。

「リリィちゃんもお疲れー! ケガしなかった?」

 届いた声に、振り返る。朗らかに笑うアーフィスさんと目があった。

「お気づかいありがとうございます。トライツさんのおかげで、無事に終われました」

「……どういう意味?」

 小首を傾げたアーフィスさんに、トライツさんが簡潔に経緯を説明した。アーフィスさんを思いやってか、巨獣の単語は使われなかった。

「オレのいぬ間にリリィちゃんと2人きりでしけこんだのか!?」

 放たれた単語に、全身がびくんと反応した。

「バカか! なにもな……いに決まってるだろ!」

 トライツさんからしても同様だったのか、強く反論を示された。

 トライツさんにこんなことを言うなんて。親しいからこその軽口なのはわかってたのに、身を包んだ動揺はその冷静を壊して言葉を放たせた。

「トライツさんはいい人です!」

 擁護したくて出た単語は、この流れでは餌食になりかねないものだった。言い終わってから気づいたけど、手遅れで。

 熱くなる体を悟られないように、大きく俯かせるしかなかった。

「わかったわかった。おめでと――」

「アーフィス」

 それ以上言わせないとばかりの、トライツさんの鋭い怒気。

「まさか『治療中、ずっと本読んでる奴』とはお前か?」

 アーフィスの持つ本を指して、トライツさんは睨んで詰め寄った。

「オレ以外にもいるっしょ?」

 本を読む方はいるけど、診察中も片時もやめない人は珍しい。アーフィスさんはその筆頭。

「それは私が楽しませてあげられないだけなので……」

 アーフィスさんはちっとも悪くない。できることなら、これからアーフィスさんにとって診察が楽しい時間になるようにしたい。

「だからって限度はあるだろ。少しは自制しろ」

「オレなりにリリィちゃんのためになろうと思っただけだっつの」

 ……私を思って?

 もしかして私がどう声かければいいか悩んでるのを察して、話しかけなくいいと演出してくれてたの?

「読書づけがどう転べば、そうなるんだよ」

「もしかして元気ない理由、例のアレかと思ってさ」

 アーフィスさんはさっきまで読んでた本を開いて、私たちに示した。素材の効果や成分が詳しく書かれた、専門的な図鑑だった。

「どうせ暇だし、オレも治療法知りたかったから」

 薬中毒だと、すぐにわかった。

「もしかしてずっと調べてくださってたのですか?」

「あっ、期待しないで! まだ結果につながる保障なんてからきしだから!」

 それでも嬉しかった。

 なにも声をかけられなかった私を見て、薬中毒について調べてくれてたなんて。開発科の人だけでなく、身近にも味方がいたんだ。

「ありがとうございます」

「いいって。トライツ薬べらぼうに使うから、いつ倒れるかわかったもんじゃなかったし」

 あくまでもついでと言うように軽く笑ったアーフィスさんに、胸が熱くなった。

「仕方ないだろ。アーフィス、回復魔法使えないんだから」

「もう覚える必要ないな。リリィちゃん、頼んだよ!」

 けらりとした笑いを前に、さっきの話題が蘇った気がして俯いた。

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無力な私が届けるイシ 我闘亜々亜 @GatoAaA

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