溶けた練乳アイス

紅蛇

溶けた練乳アイス


 コンビニでアイスを買った、深夜零時。


 期間限定の苺味の練乳アイス。商品名は『北海道産練乳のいちご氷バー』。別に北海道産でも、パプアニューギニア産でも、中国産でも違いがわからない気がする。箱には五つ入っていて、コンビニを出て一つ取り出した。ひんやりとした空気が纏わりついている。それに比べて俺は、深夜にも関わらず、暑い熱気を纏っていた。汗と湿り気で髪が額にくっつき、川から出た河童のような姿をしていた。暑い、暑いとしか考えられない。エアコンが壊れた部屋に戻っても、つらいだけだ。

 取り出したアイスを食べながら、家に帰ろうと思った。透明な袋を破り、四角いアイスを取り出そうとしたが、額に張り付いている髪のように剥がしずらい。前へ進んでいた足を止め、開ける。音もなく破れたが、切符きっぷほどの大きさの切れ端が、白く冷たい塊に密着した。めんどくさい。取れた部分だけをビニール袋に入れて、また歩き出す。街灯の下に立ち、見えづらい透明なゴミを見つけ、剥がす。

 すると、取れたと思った切符サイズのゴミが、今度は指先に張り付いた。剥がそうと思い、手で持っていたビニール袋を腕に通す。そうしてゴミに触れる数センチ、後ろから自転車の鈴を鳴らす音がして、振り返った。


「邪魔だ、どけ!」


 鈴を周りの迷惑も考えずに、盛大に歌わせていた。鳴り止まない鈴の音に、しゃがれたおじさんの声が合唱する。動く気もなさそうだからと、通そうとしたが、おじさんも同じ向きへと動いた。


「どうして動く! 邪魔だ!」


 手で退けと合図しながら、怒鳴るおじさんに、俺は言い返すことができなかった。普通、邪魔は動けと言っているのと同じ意味だと捉える。

 汗が頬を伝わり、変な気持ちになった。無意識に下を向くと、指についていた切れ端は無くなっていた。

 また前を向く。片手で左右に振る手と、鈴を鳴り続けるもう片方の手。おじさんは茶色く変色したのか、もともと茶色いのかわからないシャツを着ていた。そして、埃にまみれた観賞植物のようなズボンを履いた足で、懸命に漕いでいた。その姿は枯れた木が突進してくるようだった。次は動かないで、おじさんの好きなように進ませてあげることにした。

 だが、おじさんはハンドルを切らずに、一直線で俺に向かって進み続けた。


「どうして動かない! 邪魔だって言ってるだろうが!」


 全身から汗が溢れた気がして、背中が汗で濡れていたことを思い出した。

そういえばシャツを取り替えようとして、そのままコンビニに来たんだっけ。関係のないことを思い出し、急いで横へ移動した。誰かの家なのか、植木に当たる。おじさんは地面に向かって、唾を吐き捨てて通り過ぎた。多分。いや、絶対に俺の足元を狙っていた。

 当たらなかったと眉をひそめ、舌打ちをして、姿が見えなくなった。それでも鈴を鳴りっぱなしにし、進み続けていた。結局、姿が見えなくなって数秒は、おじさんの鈴と、眠ることを知らない蝉が聞こえた。

 なんだったんだろうか。無性な疲れを感じ、緊張が切れる。冷たい液体が指先を流れる感覚がした。視線を変えると、アイスが溶けていた。自慰行為にしか使い道のない指にける姿は、なぜか卑猥に見えた。あ、箱に入ってるのも溶けてしまう。焦りがこみ上げて来て、背中にそよ風が吹き、冷え始めた。

 俺は止めていた足をまた動かし、熱気の溢れる部屋へと向かった。


「ただいま」


 誰もいない室内に向かって、俺は呟いた。返事をしてくれる人なんて誰もらず、換気のために開けた窓から、蝉の止まらない声だけが響いた。

 そういえば、小学生ぐらいの頃、あいつらを捕まえてたな。薄暗い台所に向かい、冷凍庫を開く。手元のアイスは、指先を通り過ぎ、肘まで流れていた。食べながら帰ろうとしたが、おじさんと袋の切れ端のせいで出来なかった。いよいよ食べれる。

 まずは、べたついた手首から、指先までかけて舐めとった。溶けたアイスは、ぬるくなって、ただの甘ったるい液体へと変わっていた。ほとんどを舐め終わり、唾液を残したまま、放っておくことにした。

 次は、中身が見えかかっていた本体にかぶりつく。淡いピンク色が薄くのぞいていた。齧ると溶けていたところとは違い、シャキッとした音が、空っぽな部屋に放たれた。口内を転がり、舌を冷やす。練乳の優しげな味に、氷の不思議な感触が足される。

 噛むたびに音がなるアイス。トモキ君の家に遊びに行った時に、彼の母親に渡された思い出が蘇った。


「外は暑いでしょ。これでも食べて、気をつけてね」


 そう一つ持たされた、帰り道。蝉の五月蝿い声が耳にこべり付き、妙に甘い味が舌に残って、その夜は眠れなかった。あれはアイスの甘さだったのか、トモキ君の母親の声だったのか、記憶が曖昧になっている。結局トモキ君の家には二度といかないまま、卒業して別れた。今となっては、どうでもいい思い出だ。

 もう一口食べると、ピンク色の着色料の存在が明るみになる。これが苺の部分か、と納得してもう一度かぶりつく。苺の味はしないが、苺の香料が鼻に抜ける。夏祭りで買ったカキ氷に、イチゴシロップをかけた味がした。懐かしい味。

 我を忘れて、郷愁を味わっていると、いつの間に食べ終わっていた。残ったのは、台所を照らす小さな明かり。そして、唾液に反射するアイスの棒だけであった。

 時刻は深夜壱時を過ぎていた。

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