第54話「羨望」


 柱に板が載せられただけの屋形のある中型の帆船に、珪成を先頭にして四人は乗り込んだ。屋形の隅に荷物を置き、車座に座って一息ついたところで、


 「で?」琉樹が訊いた。


 「で? とは?」志均が問い返す。

「あれからどうなったって訊いてるんだよ!」

「ああ、てっきり関心がないのかと思ってました。解決の翌日に楽南からいなくなってしまったので」

 「おまえな――!」しれっと答える志均に、思わずとばかり声を荒げる琉樹に、

「ちょっと師兄、山奥の一軒家じゃないんですから!」

 珪成の言葉を裏づけるように、続々乗り込んでくる乗客たちは何故か四人と距離を取って荷物を下ろしている。

 琉樹は小さく舌打ちすると「楽南までの道中いろんな話が耳に入ってはきたんだが、どうも話が違っているような気がして……。ほら、混みあう前に手短に話せ」

 私もそう思ってました! 事件解決後は市井の噂話でしか事件のことを聞けていなかった楓花は、琉樹に同意するように何度も頷いてみせた。

「実はですね――」

 志均が前のめりになるのにつられるように、他の三人も前のめりになり、額を突き合せた。

 志均が小声で言うには、

「春麗に関しては、やはり仕組まれた話だったようです。話題の茶店に入った陳丁は彼女を気に入り、張青の存在を知った。柳が偶然を装って張青と知り合い、言葉巧みに賭場のある自邸に連れ出して見事にハマらせる。同時に手下に何度も春麗に絡ませ店にいづらくさせ、彼女を大いに悩ませる。そんな彼女に霊験あらたかな寺の存在を教えてやる――それが常套手段だったようです」

「常套?」

「手に入れたいと思った若い女性に対する常套手段ですよ」

「は? 金なんか余ってるだろうに、なんだってそんなまわりくどいことを」

「金に飽かせて若い女漁りなんかしたら、『菩薩』の名に傷がつくでしょう?」

「え? そんなことで!?」

「面子が人道を上回る人もいるんですよ、世の中にはね。――それに、金持ちは得てして吝嗇ケチなものですから」

「ちっ。あっさり衛士なんかに渡さず、もっと痛めつけてやればよかったぜ」

 歯噛みする琉樹に、「本当ですよね!」珪成が憤りも露わに同意する。

 楓花はなんだか息苦しさを感じながら、

「あの……市井の噂だと、陳丁は柳を使って違法賭場を開いて資金を集め、騙して寺に連れてきた若い女性を大勢囲い込もうとした――という罪で捕まったということなんですけど。――その前に亡くなった女性たちは、連続殺人じゃなくてみんな自殺だったって。本当なんでしょうか?」

「――半分は本当です」

「じゃあ半分は殺されたってことだな」

 琉樹の言葉に志均は小さく頷き、

「あの四人も、やはり様々な悩みを抱えてあの寺に誘い込まれた。彼女たちの不幸は――陳丁好みなうえ、悩みごとが不妊ではなかった」

「それって……」

「あの寺の御利益は、不妊にしか発揮されないそうですよ」

 楓花は両手で口元を押さえて息を呑み、兄弟は沈痛な面持ちを揃って伏せた。

「麻沸散で婦人を眠らせ、事に及んだのでしょうね。中には気づいた者もいたでしょうが、口が裂けても真実は言えないでしょう。やっと授かった子供の父親が、丈夫おっとではないなんて」

 ぞわっとした。じゃあ、事件が露呈してなかったら春麗さんは――もしかして私も――思わずぐっと両腕で自分を抱きしめていた。

「おい、珪成と小妹の前でそんな話」

 だけどそんな自分に集まる心配げな目に気づいた楓花は、慌てて笑顔を作り、

「だい、じょうぶです」

「はい」

 蒼白な面持ちで頷く二人に、「気づかなかった。すみません、配慮が足りなくて」慌てて謝る志均。「これだから世間知らずの公子おぼっちゃんは」という琉樹のいつもの揶揄にも、固い表情をしたままで、何も言わない。

「じゃあ、表沙汰になっていないだけで、相当な被害者が……」

 だから、それに気づかないように呟いた珪成の言葉に、返したのは琉樹だった。

「多分な。その中に、貴人がいる可能性もある。何かしらの力で、真実は闇の中ってことだ。――でもまあ菩薩の陳丁は完全に抹殺だし、真実だからって全部暴く必要もないだろ」


「ぎゃっ!」


 突然上がった場違いな声は――楓花だった。

 突然衝撃が襲った後頭部を撫でながら目を伏せると、足元に布をぐるぐる巻きにした球が転がっている。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい。柔らかいので大丈夫――」

 それを拾い上げ、ちょっと涙目で志均に答える楓花の背後からバタバタと足音。

「ごめんなさーい」

 駆けつけてきたのは、幼い男女二人である。

「ごめんなさいお姉ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫よ。はいこれ、危ないからもう投げたらダメだよ」

「うん、本当にごめんなさい」

「ごめんなさい」

 球を受け取った男の子が勢いよく頭を下げると、それより幾分年下の女の子も、たどたどしく謝罪の言葉を口にして、やっぱり勢いよく頭を下げた。

「兄妹ですかね」

 手を繋いで立ち去った二人の後ろ姿を見て、珪成が声を上げる。

「お兄ちゃん、ちゃんと球を荷物にしまってますよ。偉いなあ。ああ、今度は二人で手遊び。うわ妹ちゃんすっごい嬉しそう。お兄ちゃん大好きなんだなー、かわいい」

「――あなたたちみたいですね」

「「は?」」

 思わず声が揃い、また揃って声の主に目を向ける。その視線を受けた声の主は小さく笑い、

「あなたたちは、いつ見てもあんな感じでした。いつも一緒にいて、笑ってた」

 そう言うと志均は、傍らの珪成を振り返り、

「ある日、院子にわの隅で、鳩の死骸を涙ながらに埋めている青衣(奴婢の衣)を見かけましてね。当てつけか? それとも同類相哀れんでいるのか? と」

「おいおい、ひでえ言いようだな」

「今さらですよ」

 苦い顔を見せる琉樹に、志均はうっすらと笑いかけ、

「そうしたらもう一人青衣がやってきて――すると彼女は号泣して、彼はそれに何かしらの言葉をかけて――そうしたら、彼女が笑ったんです。さっきまで泣いてたのが嘘みたいに。あの変わり身は何なんだって思って、以来、なんとなく目で追うようになってしまったんですよね。いつ見ても、二人は楽しそうでした」

「おまえは、いつ見ても体温のない顔をしてたな」

「そりゃそうですよ。今日の夕食は好きな剗焼肉だ! と喜んだら塩が大量にぶっかけられてるし、好きな本は全頁墨塗りされてるし、お気に入りの玩具はなくなるわぶっ壊されるわ――大人はと言えば母親からは連日恨み言を聞かされ、正夫人とその取り巻きからは嫌味と嘲笑の日々――私はもちろんですけど、周りの誰も、笑っていたりはしなかった。あなたたちのようにはね」 

 そこで志均は、珪成の肩越し、幼い兄弟にふっと目を投げると、


「仲間に入れてって――言えればよかったんですよね」


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