第50話「宣告」

「ありがとうございます。でももうお腹がいっぱいです」

 お替わりを用意しようと傍らに膝をついた楓花を振り返り、珪成はそう言って頭を下げた。

「そうですね。ではまだ明るいことですし、食休みに健全な遊びでもしますか。双陸すごろく象棋しょうぎ……」

「囲碁だろ、負けたら罰杯な!」

「罰杯って、それ全然健全じゃないです師兄。それに……」

「なんだその、『自分の首を絞めることを言うな』と言わんばかりの顔は」

「だって……師兄は医生に滅多に勝ったことが……」

「いつもは手を抜いてやってるんだよ! 分かった、今日は本気でやるから用意しろ!」

「もう、いつも言ってることが同じですよ!」

 賑やかに言い合いながら揃って席を立ち、兄弟は慣れた様子で棚から碁盤と石を引っ張り出してくる。

「やれやれ」

 その様子を、自席で半ばあきれた様子で眺めていた志均が、ふっと振り返った。なんとなく気づまりに目を伏せていたところに突然だったので、思わず身体が跳ねてしまう。

「ということで私たちはしばらく遊んでいますから、あなたはゆっくり召し上がっていなさい。せっかく老頭じいやと鈴々が腕によりをかけて作ってくれた料理ですから」

 だが志均は特に気にする様子もなく、そう言って自分の席を空けた。

 こんなに気を遣っていただいてるのに、私ってもう本当に――。

「はい。ありがとうございます」

 楓花は笑顔でそう返した。


                   ◆


「……。まだ考えますか?」

「うるさい、もうちょっと」

「もう飲めないなら白湯をご用意しましょうか?」

「分かったよ! 言えばいいんだろ、負けました!」

「だから言ったのに……」

 楓花は蛋湯たまごスープを口にしながら、碁盤を挟んで向かい合う琉樹と志均、その間でやきもきしている珪成の様子を眺めていた。

「おい小妹、何でもいいから酒持ってこい!」

「もう駄目ですってば師兄、何杯目だと思ってるんですか」

「楓花、いいからお茶を一杯持ってきてあげてください」

「いいや酒だ。なに余裕ぶってるんだよ、次はお前に飲ませてやるから!」

「ああ、ぜひ飲みたいですね。いい加減、喉が渇きました」

 楽しそう……。大兄と珪成はともかく、志均さままで声を上げて笑うなんて珍しい。一件落着して、みんなほっとしているんだな。

 色々あったけど、みんな無事で本当に良かった。今さらしみじみとそれが感じられて、楓花はなんだかじわっとしてしまった。彼女は一杯も飲んではいないのだが、まるで酔っているかのように勢い良く手を上げ、

「じゃあ、半々で持っていきます!」

「楓花さん、それいい考え!」

「ああ、どの組み合わせが美味しいか試してみるのもいいですね」

「俺で試す気かよ」

「だって『罰杯』ですからね」


                   ◆


「ちょっと師兄、こんなところで寝ないでください。風邪ひきますってば」

「まあ、あれだけ動いてあれだけ飲んだらこうなりますよね。あとでかけぶとんを用意しましょう」

 ため息混じりに志均がそう言ったとき、暮鼓が鳴った。

「じゃあ、私はそろそろ。片付けて帰ります」

 おもむろに立ち上がり空いた皿を重ね始める楓花を、志均が手で制した。

「ああ、そのままで。今日は早く帰ってゆっくり休みなさい。送りましょう」

「大丈夫です。まだ日もありますし、お向かいだし」

「そうはいきません。大事な婚約者ですからね」

 とっさに顔を伏せてしまった。

 恥ずかしくて、顔があげられない。「師兄ってばー」気づいていないのか気づいていないふりをしてくれているのか、珪成は碁盤の前で崩れている琉樹をゴロゴロ転がしている。

「じゃあ行きましょう」

 手!?

 さらっと、しかも珪成のまえで手を繋がれたことにすっかり動揺してしまい、あわあわしてしまった楓花はそのまま引っばられるようにして客房を出た。

 回廊に出ると、院子にわから甘い香りが漂ってくる。満開の桃も菜の花も、連翹もすべて夕暮れ色に染まっていた。

「ずいぶん暖かくなりましたね」

「そうですね」

「もう春ですね」

「そうですね」

 動揺は二人きりになった今も続き、志均が院子に目を巡らしながらかけてくる声に、楓花は相槌をうつだけで精一杯だった。

 そのまま志均邸を出る。夕暮れに染まる小路に、人影はなかった。

 路を渡り、家の前に着いたところで手が放れた。

 ありがとうございました――そう言おうと楓花は顔を上げ――。


 言葉が止まった。


「楓花」

 静かな声。なのになぜか、胸がざわつく。

「――はい」

 志均はいつものように柔らかく目を細めかけて――ふと目を伏せる。そうしてただ口角だけを上げて、言った。

「私たちの婚約は、解消しましょう」


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