第47話「徴収」
「何だと?」
眉間に幾重もの皺を刻んだ怪訝そうな目を向けられ、志均はすっと目を細めた。
「おや、お忘れか。五年ほど前、永寧の織政坊にいらしていただいたではありませんか。あなたのお申し出を私がお断りさえしなければ、今頃は舅殿とお呼びしていたかもしれませんのに――つれないことだ」
「織政坊? 舅? ではおまえは、いやあなたさまは、まさか杜公の……確か、杜宇殿」
みるみる顔色を失う陳丁に、志均は爽やかに笑い、
「思い出して頂けましたか、これ幸い」
「永寧の杜って――まさかとは思ってましたけど、やっぱり医生は、あの名望族の……」
驚く珪成の隣で、琉樹は無言である。それが肯定の証しではあるのだが。
名望族とは、先祖に何人もの宰相を出し権力と名声を併せ持った歴史ある名門貴族のことである。科挙以前は政治の高位を一族で占めたものだが、科挙登場後はやや勢いが殺がれてしまった。とはいえ今なお犯し難い名門として、人々の尊敬を集めていることに変わりはない。
「もう逃げられませんよ。間もなく衛士が参りますゆえ、観念なさってください。どうかこれ以上の醜態をさらすような真似をなさらず。仮にも菩薩と呼ばれた身でいらしたのですから」
がっくりうなだれる陳丁を見切ったように立ち上がると、志均は兄弟の目の前を横切り、境内のあちこちで伸びている男たちの方へとすたすた歩いて行った。
呻いている一人の前で立ち止まり、しゃがみ込むと、
「うわー、右手折れてますねあなた。ちゃんと治療しないと一生ねじ曲がった腕ですよ。痛いですか?」
「痛いに決まってるだろうが! あんた医生か、早く何とかしてくれよ!」
でかい図体なのに、情けないほどかん高い声を上げる。声を張り上げたことで新たに襲った痛みで顔をしかめる坊主頭に、志均はにっこり笑いかけ、
「構いませんよ、出すものさえ出してくれれば。私にも生活がありますから
「何だと、てめえふざけんな!」
反射的としか思えない勢いで凄む僧形に、とたんに表情を収めた志均は眉を吊り上げ、
「随分と元気ですね。琉樹、もう少し痛めつけてやってください」
「俺は疲れてるんだよ」
しらっと言い、琉樹は首を回している。
「そうですか、では仕方ないですねえ」
志均がため息まじりに懐に入れた右手が抜き出したのは、白光眩しい小刀。
「出たっ、伝家の宝刀!」
「つか、何本持ってるんだよ」
兄弟は揃って顔を逸らして呟くと、やっぱり揃って境内に向き直り、声を張り上げた。
「言っときますけど本当にやりますから、その人。骨折どころじゃ済まないですから、おとなしく言うこと聞いといた方が身のためですよー」
「一生腕が使えねえぞー」
呑気な兄弟の声に、僧形は顔色を失い、
「――っ! 分かった、出す出す!」
「分かればいいんですよ。後で楽にしてさしあげますからね。さて」
志均はもらうものをもらうと、柔らかい笑みだけを残し、立ち上がった。
同じように宥めすかし脅しつけ、志均はそれぞれの僧形から淡々と銭袋を集めていく。
「さすがですよ医生。優しい顔してやること怖い」
「ああやって治療費とるだけとって、あとは麻沸散で眠らせて衛士呼ぶんだぜ。詐欺だろあれは」
「――何か言いましたか琉樹」
随分と距離があるはずなのに、くるっと振り返った志均がのんびり問いかけてくる。
「いえっ、ちっとも」
「だから師兄、言葉がヘンです」
身を寄せ合ってこそこそ言い合う兄弟のもとに、にこにこ顔の志均が戻ってくる。
「見てください、ほらこんなに」
「――この嘘つきめ」
琉樹の声に、「心外だ」とばかりに志均は眉を上げ、
「嘘なんてついてませんよ。後で楽にしてさしあげるんですから」
年上二人のやりとりを見て、ははは……珪成が渇いた笑い声をあげたときだった。
「あの……。もう動いてもよろしいでしょうか……」
おずおずとした声は、階上からだった。
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