第46話「旧知」

 声に気を取られた陳丁の力が、僅かに緩んだその瞬間。

 志均は素早く右手を抜き、たるんだ首筋に肘を入れる。「ぐげ」妙な声を上げて、陳丁はその場に崩れ落ちた。倒れ掛かって丸い身体を避けるように身を引いた振り向きざま、志均の左手から放たれた白銀に煌めくが、香炉からわき上がる白煙を切り裂くように鋭く、柳の胸元を襲う。

 キィンと硬質な高音に、「うおっ」と声が被さった。琉樹である。

 その足元に小刀がぶっすりと突き刺さっている。柳が弾いたそれに急襲されたのだ。

「いきなり何するんだ、危ねえだろ!」

「それくらいは避けろ!」

 怒鳴り返した志均の手には、二本目の小刀が握られている。その目は、香炉の向こうに立つ柳を見据えていた。

 地面にひれ伏すように転がる陳丁を見て、ぴくりと眉を上げた柳は深く息を吐き――その目で志均を捉えたまま、柳はゆっくりと歩き出した。距離を詰めていく。

 それに気づいた琉樹は表情を変え、自分に背を向け遠ざかっていく柳を追おうと足を踏み出しかけた。

 だが。

 その動きを制するように志均が鋭い一瞥を投げる。受けた琉樹は僅かに目を見開き――ぐっと唇を噛んで、その場に踏み留まった。

 それを肩越しに確認した柳はニヤリと笑い、再び琉樹に背を見せ悠々と歩を進める。そうして倒れている珪成の脇を通り抜けた。

 その瞬間――二本目の小刀が白煙を抜けて柳の顔面を襲う。だが柳は歩みを止めぬまま僅かに顔を逸らし、それをやり過ごした。はずだった。

「ぐわっ」

 呻き声。柳が目を固く閉じて髭顔をしかめ、何度も首を振っている。

 倒れていたはずの珪成がいつのまにか起き上がり、手元の砂を掴んで柳の顔面に投げつけたのだ。

 「珪成――!」それを見た楓花は両手で顔を覆って、大きく安堵の息を吐いた。

 柳が目を開けたとき珪成は数歩下がって立ち上がっていた。だが、錫杖を握り直す姿に柳が鋭い眼光を投げたその瞬間、珪成が突如しゃがみ込んだ。

 「あ?」柳が口中で唸り――はっと前を向いたその目に、を香炉に放り投げた志均の姿が映る。

 破裂音。

 バッと上がる炎。

 風下の柳を煙と灰と炎がまともに襲った。うっすらと白く煙っていた境内が、濃霧に包み込まれたように何も見えなくなる。

「琉樹!」

 返事は、鈍い打撃音だった。数度ほど金属の打ち合う音が続いたが、先ほどの力強さは微塵もなく、「が!」という短い声とともに、重いものが地面に倒れ落ちる音がどおんと響いた。

 煙が薄くなる。

 そこには、地に倒れている柳と、それを押さえつける兄弟の姿があった。

「縛っておけ」

 とりあえず、とばかりそこらへんで倒れている僧形たちの帯を引っこ抜いて集めたものを志均は琉樹に手渡した。そのまま境内を突っ切り、どこからともなく頑丈そうな縄を調達して戻ってきたのだが、兄弟は未だに柳を縛れずにいた。

 打たれて意識は朦朧としているようなのだが、太い手足をやたらめったらに振り回していて、二人は全体重をかけて伸し掛かるように押さえつけるのが精いっぱいのようだった。苦闘ぶりを表すように、辺りに帯が散らばっている。

 それを見た志均は眉間に深い皺を刻み、

「何を遊んでいるんだ、さっさと片付けろ!」

「おまえな――手負いの虎は厄介なんだ、おまえも手伝えよ!」

「――琉樹あなた、確か信息ねた探しに出かけてましたよね? あれはやっぱり珪成が言う通り、ただ遊びに行っていただけなんですか?」

「「あ」」

 志均の冷やかな声に、兄弟は揃って声を上げた。

 そうして――。

 ぎゃーっつはっはっと、静寂なはずの寺院に似つかわしくない大笑声がしばし辺りに響き渡り、ほどなく柳は全身念入りに縛り上げられた。

「うるさいからそれも噛ませて置け」

 志均が顎をしゃくったのは、地面に放り投げられ、砂にまみれた何本もの帯だ。

「はいはい」

 琉樹はそれを拾い上げ、半分を珪成に渡しながら、

「あいつ、うっかり少爺わかさまなんて口にしようものなら『殺すぞ』と言わんばかりに睨んでくるくせして、自分だってそれが抜け切れてないってことに全然気がついてねえよ」

「――何か言いましたか、琉樹」

「いいえ、ちっとも」

「師兄、言葉がヘンです」

 そうして柳は汚れた帯の半分を口に突っ込まれ、その上から幾重にも猿轡を噛まされ、呻き声も笑い声も僅かにくぐもって聞こえてくるだけだった。


「さて」


 三人が揃って目を向けた先――そこでは陳丁がドロッとした目で起き上がるところだった。

 首をさすりながら何度も目を瞬かせ――そこでようやくこれまでを思い出したのか顔を上げ、まるで荷物のように縛り上げられている柳を見つけて驚愕し、次に自分に目を向けている三人に気づいて、「ひっ」と声を上げて後ずさり、石の基壇に思いっきり背中をぶち当てる。身体を折ってしばし悶絶、顔を上げたときにはその三人が目の前に立っていた。

 驚愕との恐怖の表情を貼り付けたまま見上げてくる目に、琉樹は鼻先で笑って見せると、

「あんた、見かけによらず勇気あるな。俺たちには優男だけど、普通に言えば腕に多少の覚えはあるっていう括りだぜ。なんたってこいつは――」

 こいつ、と呼ばれた志均はふいっとしゃがみ込み、陳丁に目の高さを合わせる。そうしてにっこりと笑いかけると、

「お久しぶりです、陳丁殿」

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