第41話「旅の女たち」

「僕、追いかけます。お二人は急いで!」

 珪成が声を張り上げたとき、琉樹と志均はすでに馬上にあった。

「元法寺って昨日、気になるから調べてみると言っていた寺のことですか?」

 表情硬く志均が肩越し振り返り、そう琉樹に問うた。


                   ◆


 昨日、珪成と琉樹は温楽坊に行った。先に珪成が東坊門から入り、遅れて琉樹が南坊門から入った。


 人気はなかった。


 坊の南側は柳邸の裏手にあたる。

 誰の手も入っていない草むらにポツンと柳邸が建っている――とばかり思っていたが、東にぶらぶらと歩き出して気づいた。

 昨日は北坊門から入り、南下して柳邸前に出た。大路の両側は生い茂った草木に廃屋が点在している、という態だったこともあり、また人家に向かないと言われる場所でもあったので、坊内は東西南北の四門を繋ぐ大路で簡略的に四分割され、柳邸はその東南部を占めているのだと思い込んでいた。

 だが東に進んでいくと、左手に南北に走る小路が見えた。つまりこの坊は四分割ではなく、少なくとも八分割はされているということになる。

 そして北に延びる小路を挟んで左手が柳邸の東塀、右手は妙に高い塀が、琉樹の進む路と並行に東西へと延びていた。どうやら木材置き場らしい。所々、塀の上から立てかけられた材木が重なり合っているのが覗く。川沿いだからなと漠然と思いながら辺りを見回す。しかしながら作業者らしき者どころか、ただ路を行く通行人の姿もない。坊内に入ってしばらく経つが、いまだに誰ともすれ違っていない。

 さらに進んでいくと、坊壁沿いの路を南下してきたのだろう珪成が、角を曲がって正面に現れる。どちらともなく坊壁沿いに植えられる柳の、とりわけ大きなものに身を寄せた。

「あちらから抹香の香りがしました」

 珪成の目線を追うと、彼がさきほど曲がってきた角に小さく屋根が見えた。四面を塀に囲まれており、道に面した門は固く閉ざされている。門から屋根まで随分と距離がありそうだ。建物の小ささからして、材木の管理や加工をする作業場のように思われた。

 柳邸とその小屋は、材木置き場の塀で背中合わせに繋がっている――もちろん材木は柳(もしくは陳丁?)の扱う品だろう。であればその二つが繋がっていてもおかしくはないが―—だけど、そこに抹香?

「師兄、誰か来ました」

 一人の若い女性だった。人目を避けるように笠を深くかぶり、俯きがちに歩く彼女は、木陰の兄弟に気づくことなくその前を通り過ぎた。背にはやや大き目の荷を負っていて、相応の距離を辿ってきたように見える。

 やがて彼女は件の建物の前に立ち、門を敲いた。やがて細く門が開き、彼女はその中に身を滑りこませる。同時に門は閉じ――抹香の香りが細く流れてきた。

 しばし観察していていたら同じように、背や手に荷物を持った若い女がふらりと現れ、たちまち門内に吸い込まれていく。しかし出てくる者は一人としていなかった。

「旅の人たちですかね?」

「こんな城内の外れに?」

「ですよね。しかも女の人しか入っていきませんよね」

 そんなことを言い合いながら兄弟は建物を見守っていたが、やがて人も絶えた。

 ほどなくして、兄弟は間を空けて東坊門から出た。件の建物の前をゆっくり通り過ぎる。門柱には黒ずんだ木の板に、小さく『元法寺』と書かれた看板が、申し訳程度に掛けられていた。寺の塀と坊壁の間を走る路を北上して東坊門を目指したが、鐘の音や読経の声どころか、僅かな人声さえ漏れ聞こえてはこなかった。

 悲鳴や泣き声といった変事を告げる声がないのだから何事もないといえばないと言えるが――なんとなく釈然としないものを感じながら、二人は志均邸に向かったのである。


                    ◆


 北市を出た。

「急ぐから口閉じてろ。舌噛むぞ」

 そう声をかけて志均を正面に向き直らせると、

「あいつ、俺を騙そうだなんていい度胸じゃないか。――帰ったら遠慮なくぶっとばしてやる!」

 口中に呟き、琉樹は僅かに手綱を引いて、脚を入れた。




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