第40話「麗人」

 勢いよく店を飛び出した琉樹だったが――「うわっ」と声を上げるなり、くるっと往来に背を向けた。彼の後を追ってきた珪成がたたらを踏み、「ちょっと師兄、どうしたんですか!」いきなり立ち止まった琉樹に危うくぶつかりそうになったからか、珪成の声は自然と大きなものになる。

「あら」

 その声への反応は、頭上からだった。

「珪成じゃない。どうしたの、あなたが大きな声を上げるなんて珍しい――やだ、そこにいるのはもしかして……」

 その声に、苦い顔をした琉樹はしばし瞑目、密かに息を整えると、意を決したようにくるっと振り返り、

「これは荘小姐おじょうさま。このようなところで、奇遇なことです」

「本当ね、お元気そうで何より」

「あなたさまも。供も連れず、相変わらず勇ましいことで……」

 引きつった笑みを浮かべて顎を上げた琉樹の目の先には、馬上には薄紫の狭袖・袴子・革靴という胡服を纏った、短髪の女性の姿があった。濃紫の帽子の下から、眦の上がった目が琉樹を見下ろしている。

「あらごめんなさい、馬上からなんて失礼でしたわ」

 言うなり彼女は馬上から軽やかに降り立ち、琉樹の前に立った。もともと美しい面立ちに隙なく施された粧いは、男装して騎乗するという勇ましさもあいまって、思わず後ずさってしまう凄みのある美しさである。

 志均邸の隣に住む荘家の小姐とは会うのは初めてではない。だが幾らか年上なせいか、美しさに氷を思わせる冷たさがあるせいか、男勝りに肝が据わっているからか、しばしば「ちょっと、あなた」と(特に楓花に対する態度に対して)お叱りを受けたからか、どうにも彼女の前では調子がでない琉樹なのである。

「あなたも相変わらず、僧形だとは信じられない自由なお姿ね。――まあ、私も人のことは言えないんだけれど……。あなた、相変わらず楓花ちゃんをいじめてるの?」

「俺がいつ小妹を――」

「ああ、違ったわね。相変わらず構い倒しているの? もう彼女もいい大人なんだから、いつまでも小さい妹扱いはどうかと思うわよ?」

「……」

 いつものように上目遣いで妖しく微笑まれ、琉樹はいつものように言葉が出ない。そこへ、

「あの、楓花さんは? 今日は小姐のところに行かれたんですよね? もうお別れに?」

 珪成が、琉樹の背後から顔だけ出しておどおどと問うた。やはり彼も腰が引けている。

 その問いに彼女は一瞬眉を顰めたが、「まあいいわ」と諦めたように呟くと、

「これは志均さんには内緒ね。彼女、私のところにはいないわ。私の名前を出したのは、まあ隠れ蓑ってところね」

「隠れ蓑?」

「ええ。彼女、今日はお友達の付き添いで出かけたのよ。とっても悩んでいるお友達から、祈祷に行くからついてきて欲しいって言われたみたい。志均さんに心配かけるといけないからって、私に口裏合わせを頼んできたのよ。彼も心配性だから気苦労が絶えないわよね、楓花ちゃんも」

「――祈祷?」

「ええ、とっても御利益があるお寺があるんですって」

 その言葉に、たちまち琉樹の顔色が失せた。

「まさか――まさか元法寺!」

「そんな名前だったかしらね、温楽坊にあるお寺だって言ってたけど――あら、どうしたの? 怖い顔をして。――やだ志均さん! 今の話聞いて――って、顔色悪いわ、どうなさったの?」

 その言葉に兄弟が揃って振り返ると、志均が蒼白になって立ち尽くしていた。

 琉樹は慌てて荘小姐に向き直り、

「頼む、この馬を貸してくれ!」

 突然の申し出に、訳が分からないながらも何か変事があっただろうことを彼女は悟ったらしい。

「いいわ、早く行って」

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