巻の三「過去」

第23話「禁忌」


「ああ、お腹空いた。楓花ふうかさんは何が食べたいですか? 遠慮しなくていいんですよ、師兄がご馳走してくれるって言うんですから!」

 はしゃぐ珪成けいせいの隣で、「いや待て、そんなに持ってないから!」琉樹りゅうじゅは大いに困惑した様子を見せている。

 楓花は彼らの一歩あとについている。間もなく正午、ほどなく開場する南市を目指して、三人は歩いていた。


 どうせ帰っていない――気まずさもあって、今朝は志均しきんの家には行かなかった。お得意様の家で昼餐を済ませてくるはずの志均が往診から戻るころを見計らって行けば、その頃には琉樹の酒も抜け、寺の雑事で忙しい珪成も確実に居るはず――それまでには気を取り直して! と思っていたのに。


「おはようございます! っていうのには少し遅いですね。突然のお邪魔してすみません。師兄が楓花さんにお願いしたいことがあるから呼んで来いって言うものですから。お礼にお昼をご馳走してくれるそうですよ」

 彼の肩越しに見える春の日ざしが透けているかのような明るい笑顔を見せて、珪成が家の前に立ったのはつい先刻。「え?」戸惑いと気まずさとがごちゃごちゃしてぐすぐすしている背を、健気な子だと珪成を大層気に入っている義両親に押され、珪成に従って志均の邸宅に入った。

 そのまま院子にわの亭台に行くと、「よお、まあ座れよ。もうちょっとしたら出かけるからさ」事も無げに言う琉樹が居た。

 あの時間に出て行ったのに、こんな時間にここに居るなんて! しかも酔ってない! しかもお茶まで用意している(そして悔しいことに、私が淹れるのよりずっと美味しい)!

 珪成に言われるまでもなく「悪いことした」って思ってるんだ。大兄は――そう気づいて、今度は居たたまれない気持ちになる。

 

 そんなことないのに。

 私が過剰反応しちゃっただけなのに。


 ああもう、こんなにみんなに気を遣わせてしまって、情けない。もう本当、泣きたい。

 だけど――ここで泣いたら、もっと気を遣わせてしまう。

 楓花はお茶を飲むのにかこつけて顔を伏せ、しばし瞑目。

 ――よし、大丈夫! そう自分に言い聞かせてから勢いよく顔を上げ、正面の琉樹ににっこりと笑いかけると、

「で? わざわざ呼びつけるなんて一体なんのお願い事? お昼ご飯だけで済む内容なのかなー」

「おまえな、山を下りてきたばかりの修行僧の俺に、どれだけたかるつもりなんだよ!」

「ああ、そういえば大兄は修行僧だったのよね、忘れてた。朝までの修行お疲れさま」

「言っとくけど、昨日のうちには帰ってきたから!」

「え?」

 閉門前に帰ってきた? それはない。あの時間に出たら、よほど近所じゃないと閉門前には帰ってこられない。だとしたら。

「あー坊主だけに、坊越えの修行してきたんだ」

「おっ、うまいなおまえ!」

 すると、それまで兄妹のやりとりをにこにこ見守っていた珪成が色をなして立ち上がり、

「師兄、何のんきなこと言ってるんですかっ! 坊越えなんかして、衛士に見つかったらどうするつもりです! 無茶苦茶叩かれたあげく、もしかしたら僧籍も剥奪されるかもしれないのに」

 夕暮れ、城内の門が全て閉じられた後は、坊を出ることは原則禁止されている。だが一丈(三メートル)の坊壁を乗り越え城内を歩く不心得者は少なくなかった。そんな違反者たちを取り締まるため衛士が城内をくまなく見廻りしており、彼らに捕まったら最後――坊越え者たちはただではすまされない。

「はっ、俺がそんなヘマするかよ。――っていうか珪成、おまえ俺が衛士に捕まるような間抜けだと思ってるってことか?」

「ち、違います! 師兄は、そこいらの衛士なんかには……」

「だよな。あーよかった。――さあて、もう茶も飲んだことだし。行くか」

 立ち上がった琉樹につられるように腰を上げ楓花は訊いた。

「行くって、どこへ?」

「ちょっと春麗の様子を見に行きたいから、おまえも付き合え」



 南市に入ったとき、正午の鐘が鳴ってしばらく経っていた。人々はどこぞの店に落ち着いたからか、小街を歩く人は比較的少ない。しかしあちこちの店から饅頭マントウを蒸し上げた湯気や、肉を焼く香ばしい匂いやらが漂い、また人々の声もそれは賑やかで、珪成の目もどこか落ち着かない。


「ちょっと遅かったか。春麗のトコは茶店だから食後に行こうと思ってたんだけど、どの店もいっぱいだな」

「裏道のお店なら大丈夫じゃない?」

「馬鹿! おまえを連れてそんな店に行けるかよ。後で志均に何言われるか……」

「じゃあ空いてるお店を探してゆるゆる歩くってどうですか? 今日は日ざしも温かいし、お腹を空かせたほうがご飯も美味しいです」

「そうね。お腹が空いている方がいっぱい食べられるし」

「……なんだその、底意地の悪い笑顔」

 先の王朝が整備した南市は、東西南北に三つの門を開き、中には一〇〇を超える業種と、三千を超える店舗が軒を連ねていたといわれる。先の戦乱で焼き払われたものの復興し、いまなお変わらぬ賑わいを見せていた。国中どころか異国からの物品や人々も集まる此処には、あらゆる日常と非日常が混在しており、行きかう人たちの足取りはおのずと軽やかなものになる。

 三人は何軒もの店先で足を止め、人だかりに顔を出してはゆるゆると南市を歩いていたのだが――。

「あら、何かしらあそこ。随分賑やかね」

「輪の内側の人たち、随分身なりがいいですね」

「お金持ちが集まるなんて、きっと西域からの逸品よ。面白そう!」

「見るだけはタダですもんね。行ってみましょう!」

 「おい、ちょっと待て!」店先で手に取った竹細工を眺めていた琉樹が慌てて声をかけたが、楓花と珪成は小走りに前方の賑わいに向かっていった。

「さあ次はこちら! 高昌国から来た十五歳! 風邪一つひかない健康体で良く働くよ。見た目も上々。簡単な日常会話も問題なし! さあ買った買った!」

「だから待てって言ってるだろうが!」

 二人の足が止まった瞬間、背後から肩を掴まれ、揃って後ろを振り向かされた。

 そこには険しい顔をした琉樹が立っていた。

 

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