第22話「不意打ち」
――そして。
「張青と申します」
翌日現れたのは、伏し目がちな面長な顔に微塵の明るさも感じさせない若い男。職人らしくか金がないからか、洗いざらした麻衣の袖口は擦り切れ、所々に色濃い染みがある。中肉中背の風体に目を引くところはなく、名のごとく晴れやかな春麗の想い人としては、いささか不釣り合いな印象である。要するに地味な男だった。
志均と春麗の間でどことなく居心地が悪そうにしているのは、自らの意志でこの場にいるわけではない――という彼の心の内を如実に表していた。
「騙されてるんだって?」
どこか楽し気にそんなことを言う琉樹に、隣の楓花はキッと非難の目を向けてしまい、「しまった!」と密かに青ざめる。昨日、志均に「場を弁えろ」と叱られたばかりなのに……。喉まで出かかった「ちょっと!」という非難の声だけはどうにか押しとどめたものの、怖くて志均の顔がみれない。ぎこちなく首を動かし、不自然な角度でただ張青だけに目を向けた。
彼は、表情を強ばらせたまま小さく頷く。そんな彼を、隣の春麗が心配げに見つめていた。
「なんか子供騙しな話だよな」
琉樹の声に、張青は伏し目がちに、
「――私の不始末で、春麗にも要らぬ心配をかけ、心苦しく思っています」
いかにも「重い口を開いた」という様子で、ポツポツと言葉を繋いだ。
「不始末、ねえ。別に保役になるのがが不始末だとは思わないけどな―—ところで、随分な取り立てがあるようだけど、そこまで知人が滞納してるってことに気づかなかったってこと? 逃げるそぶりにも? 随分な額の保役になっているようだけど」
その問いにも、黙って頷く。背筋を正して両の膝に固く握った拳を置くその姿に、職人らしい生真面目さが滲む。
そこへ、である。
「な、何です」張青が突然、頓狂な声を上げた。
無理もない。彼のすぐ目の前に琉樹の目があったのだから。息さえかかりそうな距離に、張青は自然のけぞりながら、
「な、なんなんです!」
「あんたって、一重かと思ったけど、よーく見たら奥二重なんだな」
「なっ、何が、ですか?」
「一重・奥二重って言ったら、目に決まってるだろ」
「そ、そうです。それが何か」
言いながら、慌てふためいて手を上げ、袖で顔を隠す。そんな様に琉樹は大笑いし、
「別にとって食うわけじゃねえのに」
そんな様子をあわあわと見ていた楓花だったが、困惑でオロオロする春麗の姿が目に入ってしまったとたんに、もう反射的に琉樹に駆け寄ってその後ろ襟をつかみ、
「ちょっと大兄! 悪ふざけもいいかげんに……」
「そうですよ琉樹、お客人に失礼でしょう」
楓花の咎めに、志均の言が重なる。しまった、また……蒼褪める楓花の傍らを琉樹は笑いながら抜けかけて「まったく、本当に、相変わらず口うるさい妹だな。ほら、早く席に戻れよ」
「いいぜ分かった。不正は正されるべきだ。真実を白日の下に晒してやるよ」
「本当ですか? 嗚呼、ありがとうございます琉樹様!」
そう、感激の声を上げたのは春麗だ。そうして隣の婚約者に向き直り、涙ぐんだ眼を細めて「よかったわね」と何度も頷いている。張青はまだ戸惑いの中にいるのか、曖昧な笑みで彼女に答えた。
ほどなく鈴々が呼ばれ、二人は房間を出ていった。昨日の教訓を忘れていなかった楓花は席を立ち、房室の片隅にある高卓で茶のお替わりを用意し始めた。すると。
「――何かひっかかるなあの男」
琉樹の声。楓花は手を止めて、肩越し振り返った。琉樹は彼女の視線に気づくと、さりげない様子で茶碗を持ち、軽く指で叩いた。
(お替わり)
無言の要求に、楓花は慌てて向き直り、手を動かし始める。
「どこがです?」
志均の問いかけ。対して琉樹は、
「だってよ、あいつ一度も俺と目を合わせようとしなかった」
「職人さんだから人なれしてないのでは?」
「そうですね。でもなにより、あなたの目で凄まれたら、私だって引きますよ」
珪成と志均の言葉に、琉樹は鼻で笑った。そうして志均に目を向けて、
「おまえの無駄に広い人脈でちょっと調べられるだろ。ついでに温楽坊の柳のこともだ」
「ついでの方が、まだ易しそうですね」
「俺も別口で
そう言って琉樹は腰を浮かせた。
「出かけるの? 今、お茶が入るのに」
「おまえらで飲んでおけよ。――あれ? 大切な客人が出かけるっていうのに送ってもくれないわけ? この家の
「仕方ないですね」
やれやれと志均が腰を上げる。楓花は慌てて琉樹に寄り、
「でももうじき閉門時間だし。今からだなんて、一体どこに――」
「うるさい」
低い声。ぎろりと向けられた目も、冷たい。楓花は口を紡ぐしかない。伸ばしかけた手は、宙に浮いた。
「じゃあ行きましょうか。――あんまり遅くならないようにお帰りくださいね。うるさい二人がいますから」
志均がやんわり釘を刺し、そうして二人は並び立って出て行った。後を追うのか珪成も慌てて立ち上がる。
「あの……ごめんなさい。師兄ってば本当に気ままというか勝手というか――って、僕より楓花さんの方がよくご存じだと思うんですけど。でもあの、悪気はないんです。どうやって依頼を進めていくかにばっかり気を取られてしまって、ついあんな感じに……。だからあの――泣かないでください」
いつしか側に寄った珪成が早口に必死に紡ぐ言葉で、楓花は自分が涙していることに気づく。ああもうまた……ずっと年下の珪成に気を遣わせてしまって。私ってば本当に――何とかして取り繕おうと思ったけれど、
「大丈夫、ごめんね」
そう言って笑うのが精いっぱいだった。
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