第10話「止まった時間」
老師は再び琉樹に目を向けると、
「ここで学んだお陰で、試験に合格して沙弥になれたのだろうが、お主は」
「あんたが教えたのは『般若心経』だけだろうが。その他は独学で勉強したんだよ!」
「お主は見かけに寄らず意外と賢かったの」
「見かけに寄らずは余計だ! だから、俺とお前の間には借りもなければ貸しもない。だから――師匠面するんじゃねーよ」
「相変わらず素直でないのう。昔は涙ながらに土下座して弟子入りを請うかわいげもあったのに」
その言葉に、「うぎゃああっ!」と妙な叫び声を上げながら両手で頭を抱え込んだ琉樹は明らかに色をなして、
「俺がいつ泣いて頼んだっていうんだよ! あー、もう我慢ならん」
「ちょっと師兄、どこに行くんです」
身を翻した琉樹を、珪成は慌てて追う。
「街に出るんだよ、お前も来い!」
「駄目ですよ。まずはご本尊様に手を合わせて、それから行って下さい」
「面倒臭え」と、文句を言う琉樹だが、腕を掴む珪成に引っ張られるまま
そちらに目をやりながら、
「これでここに泊まろうなどとは言い出さんだろう。全く素直でないからな、あやつは」
「お心遣い、痛み入ります――それにしてもお見事でございました老師。三年前と変わらぬご様子で」
髭を捻りながらカカと笑う老僧に、志均はやはり穏やかな笑みを浮かべたまま、頭を下げる。楓花も慌ててそれに倣った。
こちらに向き直った老僧は鷹揚に頷きながら、
「三年前……ああ。そういえばあの時、市にはお二人もいらしたのでしたな。あの馬鹿者を、必死に連れ戻そうとなさっていた」
その言葉に、志均はただ微笑するだけ。その陰に隠れるように立つ楓花は、口元にぎこちない笑みを浮かべるのがせいいっぱいだった。
産まれた時からずっと側にいてくれた「大兄」が、突然離れていったあの日のことは――思い出すといまだに胸が抉られる思いがして、目頭が熱くなってしまう。
あれから、みんなはとっくに新しい日常に進んでいるのに、自分の生活も一変してしまっているのに、「なんで」と思い続けている自分の気持ちだけが、あの時から立ち止まっている――。
境内に一陣の風が巻き起こる。波打つ乾いた地の上を白片がからからと舞い、漂う砂埃に李香が甘く流れる。
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