第12話 より良き未来

34・取引のための駆け引き


 イーグたちがヘルダ村に来てから3日、アーヴィン家では開墾に向けて農具の手入れを行っていた。イーグは生粋の軍人で農具の扱いは手慣れていなかったが、徐々に慣れればよいとハゼルに諭され新生活に向けての挑戦が始まっている。グラートは小柄で俊敏な斥候隊出身の男だが、元は農民の出ということもあり手際が良かった。カルヴァはユージェの奥地に住む、鬼族とも呼ばれたクーベの出自で、体格こそ年相応の女性の平均あたりだがそれに見合わぬ剛力を誇った。彼女も農作業の経験はあるようで、かつてのフレッド一家の悪戦苦闘ぶりを思い返せばよほど手際が良かった。フレッドも手入れの手伝いはしていたが、今後の展望に思いを馳せずにはいられない。


『では、そろそろ出かけてきます。話が長くなれば食事も羊亭で済ませるでしょうから、夕方までに戻らなければ私のことはお気になさらぬよう。』


 そう告げるとフレッドは家を出た。ブルートの一行がヘルダ村に立ち寄るという言伝を行商人に託しており、今日がその日なのだ。ここで彼らにユージェの変化と、それに伴う悪影響が懸念されることを伝える。ここは彼らにとっても守るべき地である以上、見て見ぬふりということはないだろうが、すべてをあちらで受け持ってくれるとも考えにくい。お互いがどこまで手を尽くせるか……それを決める必要があった。


(前回は彼女に乗せられた感もあるが、今回はどうなるかな。まあ直接の交渉相手は彼女ではなくあの人になるんだろうけどね。)


 フレッドが羊亭に入ると、すでにブルート・マレッド・テア・ダウラス・フォンティカの一行は到着していた。ただ、到着してからさほど時間は経っていないようで、荷物はロビーに置き酒場兼食堂エリアで一息ついているようだった。食事はともかく酒が入ると交渉に影響を来たす可能性もあったが、それを阻止することはできたようだ。入り口の扉の変化に気付いたリリアンがフレッドに声を掛けると、フレッドの入店に気付いたブルート一行が全員フレッドに視線を向ける。


「久しぶりだな。お前の言う、ザイラスにも劣らぬという名物料理を愉しませてもらおうと思って寄ってみたんだ。よかったら一緒にどうだ?」


 やや騒がしい店内でもよく響き渡る、朗々とした声でブルートがフレッドに話しかけた。フレッドの正体についてのことはおそらくテアから聞いているはずだが、最初に会った時と変わらぬ友好的な態度で接してきている。もっとも、不倶戴天の敵同士でもない限り、顔を合わせた瞬間に臨戦態勢となることはないのだが。


『皆様もお変わりないようで何よりです。到着早々まことに恐縮ではありますが、私に少し時間を割いていただけないでしょうか。実はお話したき儀がございまして。その後でありましたら、ご相伴に授かります。』


 フレッドのほうから話があるとは予測していなかったのか、ブルートもテアもやや驚きの表情を見せたものの、それは一瞬で消えた。しかしマレッドは「あらやだ愛の告白かしら~」などと相変わらずの状態で、フォンティカはそれをからかっていた。そしてダウラスは、やや警戒している様子である。おそらく全員がフレッドのことは聞いているのだろうが、マレッドとフォンティカはそれほど重大事とは捉えていないのだろう。


「そうか。しかしここでは話しにくいことなんだよな?。バスティン殿!宿泊は3階の全部屋に変更してくれ。あと、作戦会議があるゆえしばらく立ち入らないようにしてもらえると助かる。」


 普段は埋まることが少ない3階すべてを借り上げてもらえるということで、バスティンは二つ返事で引き受けた。しかし部屋の準備のため少しばかりの猶予が欲しいと言われ、フレッドらはその間、ここで話しても差し障りのない談笑に興じた。


「それにしてもお前、ちゃんと詫びの品を買ったようだな。あの子の髪留め、なかなかいい選択じゃないか。喜んでもらえたんだろ?」


 今回はペ-スを握られまいと気負い気味だったフレッドも、思わぬ方向からの一撃に怯んでしまう。あの髪留めを買ったのはあの日の昼食後、彼らと別れてからで買ったことは知られていないはず。リリアンに渡したのも復路で彼らと別れてからなので、やはり知られていないはず。なぜ、彼がそのことを知っているのか……?


「なぜ知ってるかって、無論あの子に聞いたからさ。前に会った時より魅力的だけど、その髪留めのおかげかなってな。それはもう見てるこちらが恥ずかしくなるくらいに赤くなって、たいっ……!?」


 ブルートが言い終わる前にマレッドが背中を豪快に叩き、テアとフォンティカはテーブルの下でブルートの脛に蹴りを入れる。女性陣+aの見事な連携で少女の秘めた思いは暴露されずに済んだが、フレッドとダウラスは相変わらず何のことか理解できてはいなかった。


「無神経な男は地祇の豪馬ウォリアスに蹴られちゃうわよォ~!」

「一度、風旆の翔馬フェリオスに蹴られてみては如何でしょう。」

「そんな人は劫火の耀馬ディリエスに蹴られてしまうんですね。」

「えぇ……水府の瀧馬クァリウスに蹴られるなら理由はなんだ?」


 皇国では「デリカシーのない者は霊馬に蹴られ思い知ることになる」という意味の諺があり、どの馬を口にするかでその人と波長の合う性質が見て取れる……という。それらの霊馬の存在自体はラスタリア全土に広がっているが、ユージェではそのような意味の諺は使われていない。よってフレッドにこのやり取りの意味は分からなかったが、このパーティの連携が(色々な意味を含め)極めて良好なことは伺い知れた。人も亜人種もなく、認め合った者同士が共に道を歩むというのは、かつてユージェの将クロトが望んだ光景であり、それがごく小規模とはいえここにはあったのだ。理解できなかった寸劇ではなくその光景に、フレッドの頬も自然と緩む。


「やっと怖い顔が消えたな。どんな話なのかは聞いてみなけりゃ分からんが、お前はいろいろ張り詰め過ぎなんだ。村にいる時くらい、もう少し気を抜いてもいいんじゃないか?」


 その言葉を聞き、交渉のペースを握られまいとするあまり力が入りすぎていたことを痛感するフレッド。まだ取引は始まっていないものの、前哨戦に関しては完敗と言ってもいい結果だった。



35・示す道と選んだ道


『まず最初に、お時間いただきありがとうございます。私のことはそちらのテアさんからお聞きになっている……という前提で話を進めてよろしいでしょうか?』


 3階に通され、フレッドはさっそく話を始める。ブルート一行がフレッドに視線を集中させる中、まずは自身のことについて尋ねる。これを聞いてないとすれば、そこから話をしなければならないからだ。しかしフレッド自身も予測していたように、出自についてはすでに聞いているようだった。


『では本題に入りますが……先日、ユージェより私の家に旧知の者が訪ねてまいりました。彼の話から察するに、ユージェは皇国に侵攻を掛けるつもりのようです。そしておそらく、この地が最有力候補となる可能性が高いと思われます。』


 淡々と話し始めたフレッドの態度と内容の重大さのギャップに、ブルートらも思わず息をのむ。そして頭をよぎるのは、かつてメンバーで話し合った中で最悪のケースと考えられたあのことだった。


「それは、お前がユージェの先兵として奴らを手引きしたということか?テアはお前と話した限りその可能性はないと断言したが、もしそうだとしたら看過しえんな。」


 この地を解放したいと願う彼らなら、当然そうだろう……とフレッド自身も思う。しかし先兵だったとしたら自分から暴露するわけはなく、彼らもそれは分かっているはず。その点は信じてもらえているようだった。フレッド自身か、それともテアの意見のどちらを信じたかは不明だったが。


『テアさんにもお話ししたように、私たち一家はユージェを出ました。ですから手引きなどはいっさい行っていないとお誓いできます。ただ、私たち一家にユージェ迷走への関与が微塵もないかというと、そうとは断言できない要素がありまして……』


 そしてフレッドは、自分を激しく憎むフォーナーや父を憎んでいるであろう孤独眼プロキオらがユージェの指導部になったこと、彼らが私怨を晴らすためフレッドらのいるこの地を標的にする可能性が高く、黄泉返りの災厄を狙いつつ皇国本隊と大規模な戦闘になる前に退ける、辺境州を荒らす戦術を採るであろうことなどを話した。


『正直、両親を連れこの地を離れようかとも考えました。しかしユージェの狙いは辺境州の襲撃も含まれます。私たちが別の地に移ったからといって、何もせずおとなしく帰ってくれることはまずないでしょう。また、両親は自分たちが理由の一端でこの地に災いが降りかかることを知りながら、この地を離れることは絶対に承諾いたしますまい。』


 結局のところきっかけはフレッド一家への復讐だとしても、事が動き出せばこの地に問題が起こることは不可避である。ブルートらは領主への叛乱に加え、ユージェの侵攻という課題にも直面することになった。フレッド一家が来なければよかった……というのは簡単だが、それをいまさら言ったところで意味はなく、山脈を挟んでユージェに隣接する形のザイールはどのみち狙われる可能性が高いのだ。


「それでお前はどうなんだ。両親やこの村を守るためここに残ることにしたのか?それとも、私怨で動くユージェの情けない奴らをどうにかしなきゃ問題は解決しないと思うのか?」


 フレッドが何よりも両親の安寧を考えていることは、すでにテアから聞いている。それを乱さんとする者に対しては、おそらく情け容赦もないだろうということも。だがブルートには読めないことがあった。それを自分たちに話してどうしようというのか。この村を守るために手を貸せというのか、それとも話のできる皇国の人間と見込んでユージェの蠢動を阻止すべく動いてもらいたいのか。これはそのあたりを探るための質問だった。


『私は……この地が安定した政治体制にさえなってくれれば、大軍団で押し寄せる可能性が低いユージェの辺境荒らしには対処できるはずだと、そう考えております。』


 つまりこいつは俺たちの目的を知っていて、ユージェが動き出す前にケリをつけて備えろと言いたいのか。しかし叛乱軍に入るというのは失敗すれば命はなく、両親を見送るのが残された夢の欠片と言い切った男が引き受けるとも考えにくい。どうしたものかと悩むブルートに、テアが援護を行う。


「フレッドさんは、この地の政治体制が安定することでご両親と、お二人が気に掛けるこの村が守られるとお考えなのですね。そしてそれが叶うなら、あなた自身も手を尽くすお覚悟があると。」


 できればそんなことはしたくない。しかし今はそうすることが最も安全に両親が暮らせる可能性が高い。しかしフレッドにも叛乱軍に対しての懸念があった。それを解消できない限り、うかつに手を貸すなどとは言えないのだ。だが相手にしても、叛乱軍に入ると明言していない人間に計画のことをペラペラ喋るわけもない。ここで、どこまで話を聞けるかが今回の駆け引きとなるのだった。


『その通りですが、一時的な安定ではユージェに対抗することは難しいでしょう。正統性を担保した形で安定するものでなければ、また混乱するだけでしょうから。』


 あなた方の計画では、仮に領主を打倒したところでその後はどうなるのか。一時的に領民が解放されたとして、皇国からまた同じような輩が派遣されてくるとも限らず、そもそも皇国から叛逆者として討伐命令が下されるだけではないのか……というフレッドの問いだった。お堅い話に飽きたのか、あくびを始めたフォンティカ以外は目つきが鋭くなった。


「そうねェ。ご領主に男子はないから、もしご領主に一大事でもあればご息女のフロス様の旦那様が次の領主様って訳。正統性という見方ならそうなるわネ。」


 相も変らぬ独特の口調で話したのはマレッド。つまり誰かがそのご息女の旦那になって、しかる後に領主がご退場と相成れば正統性を担保しつつ政治体制も安定させられるということなのか。また随分と遠大な計画なんだな……とフレッドが考えていると、ブルートが即座に否定する。


「誰があんな化け物と結ばれたがるものかよ。俺は初めて奴を見かけたとき、クリーチャーが街に入り込んだと思って危うく斬りかかりそうになったんだからな!」


 ……どうやらその計画の「旦那様」はブルートになるところだったようだ。しかし女性好きな様子の彼にここまで言わせるとは、いったいどのようなご令嬢なのだろうか……とフレッドの思考が脱線しかかったところで、別の人物が言葉を紡ぐ。


「コホン……それは置いておきまして、もしご領主に何かあったとしましたら、一家揃って不幸に見舞われてしまうのだと。それ以外には考えられませぬゆえ。」


 軽く咳払いをしてそう語ったのはダウラスだった。これまでの経緯から察するに、彼はパーティメンバーの中でもブルートへの忠誠心が篤いらしい。何かと彼をフォローすることが多く感じられるからだ。もっとも、それは後に彼らがどのようにして戦うかを見た際に、フレッドの感じたものは確信に変わったのだが。


「このような感じでして……正統性を担保しつつ政治的安定を確保し、かつあまり遠い未来の話でもないというものを見い出せずにおります。よろしければ、何か面白いお話を聞かせていただけると嬉しく存じますわ。」


 テアが言うように、時間をかけてでも正統性を担保する案は当事者が否定的で不可能。残るは一気に領主一家を屠り政治の主導権を掌握するクーデターしかない。なにしろ彼らは苦しむ領民のために起ち上るのだから、そういった方法を選ぶしかないのだ。しかしフレッドは違う。彼の頭にあったのはまず政治の安定で、次にそれを継続させるための正当性。苦しむ領民に関しては、政治が安定すれば結果的に救われるはずという位置づけだった。


『もし領民が圧政に耐えかねて蜂起し、領主が不当にそれを弾圧したら皇国の面目は丸潰れでしょうなあ。そのような状況の中で領民のために起ちあがった者たちがいて、不当な弾圧を繰り返す領主から民を救ったとしたら、その者は領主たるにふさわしいとは思いませんか。皇国としても面目を潰した愚か者を成敗する手間が省け、そもそもそこまで重要視してない辺境区など任せてしまってもよい……と考えたとしても不思議ではありません。』


 この話を聞いたブルートらは衝撃を受けた。そういう考え方はしていなかったし、確かにただ反乱を起こすよりはるかに見込みもあったのだから。しかし諸手を挙げて賛成という気にもなれなかった。やはり彼らは民衆が第一という考え方の下に行動してきた以上、民衆に少なくない犠牲が出る可能性があるこの案には多少なりとも抵抗があったのだ。


『私は……どこからともなく突然やってきた英雄が、喘ぎ苦しむ自分たちをいつの日か救ってくれる。だからそれまで自分たちでは何もせず、いつかやってくるはずのその日をひたすら待とう……というのではいけないと思うのです。何かを得るには対価が必要なのに、それを払わず待っていればいつかは恵んでもらえると考えるのは、人としての思考を停止しているに他ならない。それではダメなんです。自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。そういう世界にしていかなければ、いずれまた同じことが繰り返されてしまうでしょうから。』


 確かに自分たちの叛乱が成功したとしても、それが長続きしなければいずれは今の領主のような男が出てくるに決まっている。そして民衆は、また「あの時」のように叛逆を企ててくれる者が出てきて救いの手を差し伸べてくれるはずだから、自分たちはそれまで何もせずひたすら待とうということになる。それでは何も変わらず、ただ歴史が繰り返されるだけなのだ。しかもかつて叛乱が起こったという教訓を糧に、より叛乱が起こされにくい状態となって。


「申し分のない明日ではなく、より良くなるであろうその先の未来を選ぶべきだと……お前はそう言うのだな。」


 ブルートの心はすでに決まっているようで、その瞳には確固たる決意が見て取れた。他のメンバーも、多少の差はあれどそうすることが未来へのためになるのだろうという思いはある。ただ、フレッドは釘を刺しておくことも忘れなかった。


『もし現領主に取って代わった者が、初志を忘れて現領主と同じような男に成り下がったら……次に民衆の敵として討たれる役はその者に回ってくるということです。どうかそれだけはお忘れなきよう。』


 そう、これから自分たちはそれくらいの責任を負わねばならないだけのことをするのだ。より良き未来のため、今を生きる人々のうち幾らかが犠牲となることを、甘んじて受け入れなければならない。そこにはもちろん自分自身も、愛しい人や大切な人も含まれるかもしれない。そして事が成っても何一つ終わることはなく、犠牲になった者たちの想いも背負ってより良き未来の追及を続ける必要がある。その無間地獄とも思える道を、進まねばならぬのだ。


「お前の目が光っているうちは、そうしたくてもさせてはくれんのだろう?いずれにせよ、これからもよろしく頼む。神がいるなら、俺はこの出会いに感謝するぜ。」


 こうしてフレッドは叛乱軍の一員となる。冒険者となってからわずか40日ほどで新たな立場となり、今後は領民を煽動し領主と対立させるなどの裏工作も行わなければならない。もっとも、これらはもともと彼の得意とする領分であり、フレッド自身「在るべき場所に戻ってきただけ」という思いはあった。そしてこの日、叛乱軍のザイール解放計画が本格的に話し合われた開墾期34日は、後に「始まりの日」として州の祭日となるのだった。

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