第11話 故国の異変

30・ウルスの天眼通


 新周期に入ってもしばらくは寒い日が続くため、本格的な開墾が始まるのは開墾期40日くらいからである。それまでは農具の準備をしたり、肥料や作物の種、苗などを準備する時間に充てられる。もっとも、今のフレッドは村の便利屋から冒険者へと立場を変えており、農作業の準備ではなく隊商の護衛や害獣退治に向かう猟人の手伝いなどを行っていた。駆け出しのフレッドに仕事が回ってきたのは、バスティンがフレッドの腕前を方々で宣伝したためだ。


「初めはどうなるかと思ったが、どうしてなかなかうまくやっておるようじゃの?」


 一仕事を終え2日ぶりに帰ってきたフレッドに、ハゼルはそう語りかける。もともと武芸の腕は人並み以上、やや偏りはあるものの知識面に問題はなく、足りないのは冒険者としての経験くらいだったのだから、それを積んでいけばそれなりに大成することは分かっていた。しかし、どれだけ優秀といっても親にとって子は永遠に心配する対象なのだ。


『以前とまったく違う生き方というのは色々と新しい発見がありますね。そのこと自体は予想していましたが、実際にやってみると痛感します。』


 新周期に入って早31日、村に帰ってからゆっくり休んだのは5日ほどと、フレッドはなかなかに多忙な日々を送っている。しかしこの後はまだ仕事が決まっていなかったので、ようやく両親と話をする時間が持てそうだった。兄と刺し違えになった男の姉がこの地にいるということを伝えるべきか悩んだが、彼女も含めあの一行とはいずれ会う機会があるだろうとの予感はしていたので、話しておくことに決めたのだ。


「そうか、ティルアリア殿がこちらにおるのか。我らの報復を恐れて国を出たのだろうが、可哀想なことをした。もうユージェに戻っても大丈夫であろうが、まだ居るということは戻る気はないのかのう。」


 兄と刺し違えた男の姉と申す者と会いました、と話したのに言ってもいない相手の名前が出てきたので、さすがのフレッドも面食らった。彼女がユージェに戻らない理由は知っていたが、それよりも自身の疑問を優先させてしまう。


『父さんは彼女をご存知でしたか。恥ずかしながら私は、彼女が本名を名乗るまでそれとは知らずに行動を共にしておりました……』


 フレッドはユージェ時代には彼女と会ったことはなく、逃げたと知っても手配書などを作ったわけでもないため、彼女に対する情報はエノーレ族の女性で年齢は当時22周期、艶やかな黒髪ということくらいだった。ただエノーレ族は20周期までの成長が人より早く、それ以降はやや緩やかになるため寿命は平均で100周期と、年齢で判別するのは意味がない種族である。黒髪のエノーレ女性と会ったからと言って、それがすぐ彼女に結びつかないのはいわば当然なのだ。


「昔ちと会ったことがあっての。しかし当時とさして変わっていないとしたら、聡明な子じゃったろ?当時はウルスの未来を担う[天眼通]などと噂されとったよ。」


 言われてみれば、あの夜は彼女にペースを握られ少しおしゃべりが過ぎた気もする。ただ、同郷の相手ということもあって久々にクロトとして話せたのは悪い気分ではなかった。そのような話をできるのは両親と、皇国領への移動を手助けしてくれた行商人などの協力者だけだったからだ。ただ、次に会った時は同じ轍は踏まないようにしよう……と考えつつ、フレッドは父の疑問に答えた。


『実は彼女、どうやら領主の打倒を目指しているようなのです。確かに、私もかの者を一目見て資質はなさそうと感じはしました。ユージェにもいた、ダメな連中と同じ空気を纏っておりましたゆえ。』


 この地に流れてから1周期、領主が各地を訪れたという話は聞かない。それどころか統治や治安維持はすべて村や街単位で行わせるという手の抜き用にも拘らず、税調官だけは各期にしっかりと派遣してくるのだ。そして逆らえば州軍を派遣し、反逆者として投獄されるという。これでは叛旗を翻そうとする者が出てきて当然であった。


「ワシらはあの子にも数奇な運命を歩ませてしまったな。詫びというわけではないが、もし時が満ちたらワシも手を貸すとするかのう。誰が代役になったとて、今より悪くなることはないであろうからな。」


 確かにこの地は脛に傷のあるものが集まりやすい辺境州だが、それにしても治安が悪すぎる。政治の怠慢は明らかなものの、それにしては州都ザイラスはこの荒れ果て無秩序な地では異様と思える繁栄を誇っていた。あの規模を維持するのはこの地の税収だけでは到底不可能なため、何かしらの手段で資金を生み出しているのは間違いない。そしてそれは、公にはできない類のものなのだろう。


『とりあえずこの村に害が及ばないなら、無理に手伝わなくてもいいとは思います。今の領主でも、この村は比較的落ち着いていますからね。これが、叛乱のごたごたに巻き込まれ壊されでもしたら目も当てられませんよ。』


 フレッドは心底そう思ったが、残念なことにそうはならなかった。数日後、フレッド一家を求めヘルダ村に来訪者たちが現れたからである。



31・来訪者、遠方より来たる


 その日のフレッドは、希望者に弓の扱いを教えることになっていた。出稼ぎを射貫いた腕前を高く評価したバスティンたっての要請だったので断ることもできず、かといって教え子の全てをフレッドのような射手に育て上げることを期待されてもそれは難しいため、扱い方の基礎的な部分を教えあとは各自の才や適性に委ねることにしたのだった。


『とにかく強く引き絞ればいいのではなく、引き絞る加減で矢がどう飛ぶかというイメージをしっかり把握することが重要となります。強く引けば威力は増しますが、弦と矢に強い力が加わる分だけ飛び方が不安定になりやすい。それで狙った場所を外すよりは、7割程度の力で放ち狙いを外さないほうがよっぽど効果が高いのです。』


 そうして矢の軌道がイメージできるようになった者の中には、フレッドのように集中することで外すことが少なくなる技を身に着ける者もあれば、どれだけの力で引き絞ろうともイメージ通りに飛ばせるような達人が生まれたりもする。しかしそれは思念術に属するものであり、どのような技を持てるかは人それぞれなのだ。教えろと言われても、教えられる筋のものではなかった。


『私も体格の割には小さい短弓を用いますが、それは長いことこの型の弓で訓練をしてきたからです。皆さんも同じ型の道具を使い続けて、感覚を固めることに留意してください。新しいものや強化されたものが、即ちいい結果につながるわけではないのですから。』


 それらの話を終えると、最後に実演を始める。最初に一射、感覚を再確認するために放った矢は見事に的の中心を捉える。それだけでも歓声は上がったが、続けて放たれた二射、三射はその場にいた者の度肝を抜いた。フレッドは目を閉じて弓を引き、2連射してそれを的に的中させたのだ。


『最初に放った矢のイメージがありましたから、それと同じように放てば同じように飛ぶ。だから目を閉じていても関係がなかったんです。鳥が射線上に飛んで来たりしたら、外してしまったかもしれませんけどね。』


 あとは各自でイメージを固める練習を行ってください、と言い残すとフレッドは酔いどれ羊亭へと足を向ける。バスティンに基本的な考え方は伝えたと報告するためだが、そこで旅人らしき者たちを見かけた。外気から身を守るためのフードも付いた厚手の外套を身に纏っていることから、近場の者でないことは一目瞭然である。とはいえ旅人や冒険者を商売相手にしている以上、この店にそういった風貌の者らがいることは不思議ではない。フレッドは特に気にも留めず、バスティンに用件を伝えた。


「あなたがフレッド殿ですかな。実は腕が立つという評判を耳にし、直々に依頼を頼みたいと思いこうして参りました。」


 集団の一人がフレッドに近寄り、フードを拭い去りつつそう話しかけてきた。フレッドは危うく声を出すところであったが、軽く咳払いする形でごまかす。その男は、かつて共に戦ったこともある旧知の仲だったのだ。


『そうですか。では場所を移しましょう。私個人への依頼ということですから、私の家で構いませんか?両親はいますが農業に従事するただの村人なので、どうぞお気になさらず。』


 男は首肯し、フレッドの提案を受け入れる。他の二名もそれに付き従う形でフレッドの後に続く。男の名はイーグ=レイエ。かつてはハイディン門下の武人として活躍し、統一連合となってからも軍に残って要職に就いているはずの人物。そんな予想外の来訪者の登場は衝撃的な情報をもたらすこととなり、フレッドの今後に大きな影響を与えたのだった。



32・ユージェの闇


 イーグはユージェの組織改変により、軍を追われたという。フレッドらがユージェを去ってからおよそ2周期が過ぎ、軍の構成が大きく変えられたことが原因であった。フレッドが統一連合の諸族を均等に配した初期の統一軍は、来たるべき皇国との戦いに向け森林や湿地、山岳地や砂漠といった、南西部に多い不整地での迎撃戦に重きを置いた構成だった。これは皇国の主力が機動性に難のある重装兵であること、そして各種の不整地に適応した亜人種が多く暮らす南西部の特性も考慮に入れてのことだが、ここ1周期で目的が変わったのだとイーグは語った。


「皇国に侵攻するため、遠征向きの構成に変化しておるだと?とても正気とは思えんが、マイアー殿は乱心でもなさったか。」


 イーグの話を聞き終わるや、ハゼルはため息混じりに呟く。だが、皇国と戦って無事に済むと考えているとすれば、何かの秘策がない限り正気を失っていると思われても不思議はない。フレッドは、もしその秘策があるとしたらどのようなものになるのだろうかと思案を巡らせる。


「マイアー=ベルトラン宰相は罷免されました。国家に反逆の意思ありとの理由で。実は私がこちらを訪れたのは、マイアー様たってのご指示だからです。」


 かつてのユージェ王国には建国時から武のハイディン、智のベルトラン、そして政のダルトンという三本柱があった。この三家は基本的に仲はよくなかったが、今はハゼルと名乗るクラッサス=ハイディンが当主だった頃は仲が良好だった。そして幼きフレッドに知識を叩きこんだのが、当時はまだ当主ではなかったマイアー=ベルトランである。フレッドにとっては学問の師であり、フレッドの武人らしからぬ物腰の柔らかさも彼の影響によるものだ。


「マイアー様の後継はフォーナー=ダルトン。彼が就任したと伝えれば、クロト君には答えが見えてくるはず……と申されておりました。それと、軍の総指揮官がプロキオ=クストとなったことも伝えよと。」


 ハイディンはフォーナーのダルトン家とも仲は良く、男児のいないダルトン家のため次男だったフレッドが婿入りする……などという話もあったほどの関係だったが、それもクロヴィスの戦死で覆る。フレッドがハイディンを継いで縁談はご破算となり、フレッドの活躍は智のベルトランも政のダルトンも形無しなほどで、言うまでもなく両家には嫉まれた。まだ当主ではなく個人的に師弟関係だったマイアーや、縁談の相手だったフィーリアとは関係良好だったものの、その二人も家の都合で表向きはフレッドと対立せねばならず、二人にそういった思いをさせるくらいならばとフレッドが地位を捨てる決意に至った一因になるほどに敬愛もしていた。


『もはや戦乱は終わり、目下の敵がいないため武や智は不要。政のダルトンが勢いを増すのは当然ですね。そして利益誘導などで支持層を広げマイアー先生を追い落としたのでしょう。しかし軍のプロキオ殿ですか。その方のことはよく存じません。確か戦傷を受けたとかで、独眼なのでしたっけ。』


 フォーナーは政治手腕に長けた人物で、フレッドが当主になって南西部制覇に邁進できたのも後方支援が申し分ないものだったことが大きい。しかしウルスの大赦により敵対勢力はこぞってフレッドと交渉したがるようになり、フォーナーは立場を危うくした。彼にしてみれば、軍事行動を支えてやったのに恩を仇で返しおって……ということなのだろう。今ならその気持ちを察することはできるが、覇業のみを見ていた当時のフレッドには理解できなかった。それゆえ盛大に嫌われたため、おそらく彼はフレッドの残したものや痕跡その他、あらゆるものを否定したいのだろう。


「あの[孤独眼]が総指揮官とは、世も末だのう。勝つために手段を選ばぬ図太さと執念深さくらいしか見るべきところはないが、そこまで人材不足というわけもなかろうに。皆イーグのように軍は去ったというのか?」


 あまり他人を卑下するような発言をしない父さんがこう言うからには、間違いなく悪い意味で逸材なのだろう。しかし、それを聞くとなおさら総司令に抜擢された理由が分からない。フォーナーに取り入って地位を得たのは確実だろうが、いずれ皇国に攻め込もうというのに有為でない人材を抜擢する必要性があるとは考えにくいが……と悩むフレッドに、ハゼルがヒントを与えてくれた。


「母さんの前でこの話をするのはちと恥ずかしいが、実はあの男とワシは母さんを取り合ったことがあってな。決闘となった際、奴は竜に乗ってきたのじゃが、はたき落としてやったら目を怪我しておった。戦傷といえば確かにそうだが、締まらん理由よな。しかし母さんへの愛を貫くとかで、未だ独り身での。それゆえ[孤独眼]などと呼ばれとるわけよ。」


 そう言って妻に目をやるハゼルを見ながら、フレッドは考える。つまりユージェの新体制は自分や父を恨む者が要職に就いたということか。ではまさか、皇国に攻め込むというのも単なる口実で、私たち一家を始末するために国を危険にさらそうというのかもしれない。しかし、それ以前に考えなければならないことがあることに気付いた。


『ところでイーグ将軍は、どうしてこの地に私たちがいるとご存知なのでしょう。迷わずこちらを目指して来られたようですが。』


 そしてフレッドは、以前に現れた男がユージェに帰り、酔ってフレッドらの居場所を話したことを聞く。それは当然、新体制の首脳部にも知れ渡ったのだろう。そこまで情報が集まれば、もはや答えは明白だった。


『まずいですね。いずれ刺客の団体御一行がこの村に押し寄せそうです。それとユージェ軍の目的は皇国に入り、地域住民を手にかけ黄泉返りの災厄を引き起こすことでしょう。動きの鈍い皇国軍が到着する前に一暴れして逃げる。およそ武人の風上にも置けぬ振舞ですが、手段を選ばぬという一点で見れば有効ですから。』


 その場に居合わせた者すべてが、よからぬ未来の展望に押し黙る。フレッドは両親を連れて逃げるべきかと考えもしたが、ユージェの目的が黄泉返りの災厄なら自分たちが去ってもヘルダ村のに人々は必ず犠牲になる。自分たちを受け入れてくれた村人を残して逃げようと言ったところで、両親はそれを了承してはくれないだろう。それが例え当主としての判断だとしてもだ。となれば、この地に残ったままで解決する方法を考えなければならない。しかもあの、どうしようもないこの地の領主に頼らずに済む形で。


(ここはあの人に取引を持ち掛けるしかないか。代償は高くつきそうだが、この地が安定すればユージェの手勢も入りにくくはなるだろうし……まあ、仕方ないかな。)


 イーグと二人の従者、グラートとカルヴァという男女はアーヴィン家の雇い人として村に残ることになったが、これは刺客の襲撃に備えての事だった。もっとも、彼らも現体制のユージェには戻るつもりもなければ戻れる気配もなかったので、居場所を探す手間が省けたと喜んではいる。これらが決まったところで今日の話し合いは終わった。この日こそが、叛乱軍に参加し命運を共にする道への分水嶺となるのだが、そのことをフレッド自身が回想できたのはもう少し先の話である。

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