003:さいごの皇帝

 僕らは、ただひたすらに待っていた。


 全てが凍てつく寒さの中。

 白く、あおく、どこまでも続く氷原。

 その向こうから、狩りに行った父さんと母さんが還ってくるのを。


 父さんと母さんは、勇敢な人だった。

 僕が産まれる前、何度も大きな敵の攻撃をかいくぐり、僕らのコロニーに食料を運んで来てくれたと聞いた。


 僕はまだ小さかったからよく覚えてないけれど、父さんと母さんが交互に、僕に食べ物を食べさせてくれたのを覚えている。


「ほら、丸呑みするんじゃないよ。ゆっくりお食べ」


 優しく微笑む母さんの顔。

 極寒の中、必死で僕を暖めてくれた、いかめしい父さんの顔。

 おぼろげだけど、ちゃんと覚えている。


 父さんは僕に言った。

「お前のお母さんは、強い。俺は、その強さに惚れたんだ。お前も、お母さんみたいに強い男になるんだぞ」


 母さんは僕に言った。

「あなたのお父さんはね、ああ見えて優しいの。お母さんはそこにキュンと来たのよ。あなたも、お父さんみたいに優しい子になってね」


 強くて、優しい。

 そんな両親のように、僕もなりたかった。


*


「一緒に行きたい! 僕も連れて行ってよ!」


 両親が揃って狩りに出掛けると決まったとき、僕は必死で訴えた。


「僕だって、もう大人だよ! 一緒に行って、大きな獲物を仕留めるんだ!」


 そう言って、父さんと母さんを困らせた。

 けれど父さんは、険しい顔をして言った。


「ダメだ……」

「どうして?」


 泣きながら僕は訊ねる。


「お前は、まだ、海を知らない。あの冷たさ、恐ろしさ。訓練もなしに海に落ちれば、溺れて死んでしまうんだ。お前にその訓練は、まだ早い」

「ウミ……」


 まだ見たこともないその恐ろし気な言葉と、父と母の真剣な眼差しから、自分には無理なのだとようやく悟った。そうして、このうえなく落胆する。


「そう落ち込むな。お前には、ここに残ってやらなきゃいけないことがある」


 ポン、と僕の肩を叩きながら父さんがそう言った。

 僕は父の顔を見上げる。


「やらなきゃいけないこと?」


「そうだ。あそこにまだ髪も生えそろっていない、小さい子供たちがいるだろう。お前は、同じ年頃の仲間たちと協力して、あの子たちを守ってやらねばならない」


「どうすればいいの?」


「小さい子たちを、中央に集めるんだ。そしてその周りを大きな者が固める。それから円になって身を寄せて、外の敵に注意を払う。もしもオオカミや熊のような危険な敵を見つけたら……」


「見つけたら?!」


「みんなで大声を出して、追い払うんだ。いいか、敵は他の動物だけじゃない。一番の敵は、だ。風は四方から吹いてくる。みんなで交代して、一番外側の風上を守るんだ」


「僕たちが、あの子たちを守る壁になるんだね」


「そうだ。大人はしばらく帰って来れなくなる。お前たち子供だけで、助け合って生きるんだ」


 それから父さんは僕の目を真っすぐに見てこう言った。


「父さんも母さんも、必ずここに帰ってくる。それまで――しっかり頼んだぞ」


「うん、わかった!」


*


 勢いよく頷いたのは、遥か昔のことのように感じる。

 あれから何日も経った。


 暖かい仲間の寝息を背中に感じながら、必死に遠くに目を凝らす。

 僕たちを狙う外敵はいないか、父さんと母さんは――まだ帰ってこないのか。


 空腹が、僕たちを襲う。

 それでも決して諦めなかった。

 仲間と励まし合いながら、僕たちは頑張った。

 だって、父と母は言ったのだ。「必ず勝ってくる」と――。


*


 ウトウトしていたら、ハッと目が覚めた。


「どうした? また昔の夢でも見ていたのか??」


 隣にいた父さんが、ニヤリと笑った。


「うん。ここに来る前の、昔の夢……」


「そうか。あそこは本当に地獄だった。何日も何ヶ月も絶食して、空腹でフラフラのところをまた交代で狩りに行く……。その点、ここには何でもある。食べ物も毎日食べられるし、まさに天国だ。暑すぎるのが、たまにキズだがな」


 そう言って、ゴロリと横になる父の腹は、ブヨっと膨らんでいた。

 完全なるメタボだ。勇敢だった父さんの姿は、見る影も無い。


「はぁ……」


 ため息をついて、近くの水溜りを覗き込む。


 水に映った自分の影は、いつの間にか金色の髪が鋭く生えそろい、雄々しく逆立っていた。

 その姿は、あの日の父と母にそっくりだった。



 あの日、狩りから戻った両親や他の大人たちは、獲物以外にを連れて帰ってきた。

 そいつらは突然長い蛇のようなものを取り出すと、僕たちを取り囲み、捕らえてしまった。


 オオカミでも熊でもない、そいつら。

 二本足で歩く、僕らより少し大きな生き物。

 はじめは何の攻撃もしてこなかったし、僕らにとって友好の印である魚も沢山くれたから、僕らはすっかり騙されて、やつらをどこか遠い部族の者か、遠い親戚のような者だと勘違いしてしまった。


 やつらは、僕らに危害を加えるでもなく、食料をたらふく食べさせてくれた。

 その代わり、僕らはやつらの住処に連れて帰られ、よくわからない狭い場所に閉じ込められた。


 透明な壁の向こうで、時々やつらの仲間が僕たちを見に来ては、きゃーきゃーわーわーと鳴き声を上げている。



「僕も、ウミってところで獲物を狩ってみたかったな……」


 ぱくり。と食べ残しの魚を食べながら、僕はひとりごちる。


「まぁそう落ち込むな。俺たちの寿命が尽きたら、あの『氷の大地』のことを覚えている世代はお前たちしかいなくなる。お前が次の子供達に、あの厳しい大地のことを教えてやるといい。何もなく、あの広く冷たい世界のことを。――いいか、よく覚えておくんだ」


 そう言って、父はあの頃のような鋭い眼差しを僕に向けた。


「お前が、『最後の皇帝』なのだから」



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あとがき:

 そうです。「コウテイペンギン」のお話です。


●調べてわかったコウテイペンギンの豆知識:

・父親と母親が数か月間絶食しながら、交代でエサを取りに行く。残った親は卵(孵化してからはヒナ)を暖め続ける。

・子供だけで数か月間コロニーを形成する。

・成長すると、身長は130cmにもなる。

・特徴的な黄色のトサカがカッコイイ。

・南極にはペンギン以外に二足歩行の動物がいないため、人間を見ると仲間だと思って付いていってしまうらしい。(カワイイ)

※しかし…後から気付きましたが、皇帝ペンギンのいる南極に「熊」はいません。

※また、ペンギンを人間が勝手に連れて帰ったら犯罪です。

 そこらへんはファンタジー(フィクション)ということで、お許しを……。笑

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