ドクター・マーシレス ―宇喜多直家―

 俺はここ〈アガルタ〉に来てからは、ほぼ毎日ハチローと「手合わせ」をしている。

 日本のある動物園のアザラシの展示のような、透明な筒状の外壁。そのアザラシの展示の外壁を巨大化したような、分厚い強化ガラス張りのホールで、ハチローと俺は「剣舞」をしていた。ハチローも俺も、それぞれの戦装束に身を包んでいる。ハチローはいわゆる「当世具足」「南蛮胴」で、俺は上半身は赤の漢服に下半身は黒のスキニーレザーパンツといういでたちだ。

 二刀流同士の撃ち合い。ホールの外壁の向こうには、多くの見物客がいる。


「ミクスチャーロック。面白いジャンルですよ」

 賑やかしのBGM。日本のあるロックバンドの曲らしい。

「パンクとヘヴィメタルとヒップホップの混淆、面白いですね」

 ハチローは微笑む。鋭い剣さばき。こいつは徐々に腕を上げつつある。

 今でこそは「研究者」然としているが、この男はかつて「梟雄」と呼ばれた武人だ。油断禁物。

 この男の本名は猫の鳴き声みたいな音のせいか、日本人以外には発音しづらい。だから、俺はこいつを幼名の「ハチロー」と呼んでいるし、他の連中は「ドクター」と呼んでいる。

 「ドクター・マーシレス(Doctor Merciless)」、それがこの男の通称だ。俺の祖先にして後見人である趙襄子ちょうじょうし様の本名「無恤むじゅつ」にあやかって、こいつはそう名乗っている。同じ「傷」を持つ者同士として、敬意を表したつもりらしい。

「あなたは不敗の盾だ。どれだけ傷つこうが、すぐに自ら回復してしまう。私の『実験』のモニターには出来ませんね」

 そう、俺とアスターティは無限の治癒力を持つ体だ。だから、この男が生み出すいかなるウィルスとて、すぐに無効化してしまう。どうやらこいつは、それに対して苛立ちを覚えているようだ。

「やれやれ…私は最大限の力をもって打ち込んでいるのに、あなたは1%も力を出していない。悔しいですよ」

 ハチローは苦笑いした。しかし、目は笑っていない。

 この男はアガルタから出るのを許されていない。こいつの存在自体が超重要機密であり、要注意物件なのだ。そして、俺もアスターティも襄子様も、しばらくはここに留まるべきだろう。


 この男は、何かを起こす。俺のこの予感が杞憂であれば良いが、もしこいつが「暴走」するような事態があれば、全力で止めなければならない。

 今はまだ嵐の前の静けさだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る