空しい説得

「なんだよ、君は」

「おい、順番は守れよ」

「列を乱すな。後ろに並べ」


 箱の入り口の前に立った雷太郎君に向けて、ベータ族が口々に文句を言い始めました。雷太郎君は委細構わず大声で叫びました。


「みんな、ボクの話を聞いて。みんなはだまされているんだよ。これ以上先に行っちゃいけないんだ」


 突然浴びせられた意外な言葉、そんな話に耳を傾けるベータ族は一人もいません。まるで聞こえていないかのように同じ文句を口にするだけです。やがて一人のベータ族が雷太郎君を押し退けて箱の中へ入ろうとしました。雷太郎君はそのベータ族を押し返しました。


「何だよ、おまえ。邪魔する気か」


 そのベータ族は押し返されて不満そうに雷太郎君を見つめました。後ろに並んでいるベータ族も、これはただ事ではないと分かって一斉に非難の言葉を叫び始めました。それでも雷太郎君は話し続けます。


「聞いて、みんなはだまされているんだ。みんなは人間に作られたんじゃない。仕掛けによって無理やり呼び出されたにすぎないんだ。だから人間のために働く必要はない。これ以上先へ行ってもただ自分の力をすり減らされて消えて行くしかないんだよ」


 ベータ族の間にざわめきが起こりました。しかしそのざわめきは明らかに雷太郎君に対する非難のざわめきでした。


「何を言っているんだ、あいつ」

「どうして邪魔するんだ」

「成績が悪いからあんなことを言っているんだろう」

「早くどいてくれないかなあ、ほんとに」

「他の者にまで迷惑をかけるとは」


「みんな、みんなは人間のために働く必要はないんだ。自分のためにこそ、その力を使うべきなんだ。みんなの考え方は間違っている。最も優秀なベータ族は、最も人間の役に立つベータ族なんかじゃないんだ」

「君、いいかげんにしろよ!」


 雷太郎君の言葉を聞いて、一人のベータ族が怒った顔でそう叫びました。


「君の言葉などたわごとに過ぎない。いい加減にくだらない話はやめたまえ」


 そのベータ族は列を離れると雷太郎君の近くに寄りました。


「君に尋ねたい。自分のために力を使うとは、いったいどのようなことをするのかね」

「そ、それは、例えば上手に空中を飛べるようになるとか、早く動けるようになるとか」

「なるほど。それで、それがいったいどういう意味を持つのかね。上手に空中を飛んで何か良いことでもあるのかね」

「そ、それは……」


 雷太郎君は口ごもりました。そこまで考えてなかったからです。雷太郎君は話題を変えました。


「でも、例えばその他にも、のんびりとひなたぼっこをしたりとか」

「ほう、のんびりとね。それはつまり何もしないということだね。何もせずに消えて行くのと、何かして消えて行くのと、どっちが偉いと思うかね」

「で、でも、人間のために消えて行くなんて」

「自分のためにする仕事より、人のためにする仕事の方が貴いとは思わんのかね。それに、その箱を通らないとしたら私たちはどこへ行けば良いのだね。この電線の外に出ればたちどころに身動きもできなくなってしまう私たちに、いったいどこへ行けと言うのかね」

「そ、それは……」


 それは雷太郎君にも分かりませんでした。このままではいけないことは分かっているのです。では、いざ、どうしろと言われても、それに答えることはできないのでした。雷太郎君は自分の考えの浅さに歯ぎしりする思いでした。


「答えられまい。なぜなら君は間違っているからだ。最も優秀なベータ族、それは最も人間の社会の役に立つベータ族なのだ。この原則は誰にも変えることはできんのだ」


 列の先頭にいたベータ族が冷やかな目で雷太郎君を見つめながら、横をすり抜けて箱の中へ入って行きました。雷太郎君はもうそれを止められませんでした。黙ってしまった雷太郎君の横をベータ族が次々と通り抜けていきます。


「みんな……」


 雷太郎君は自分の無力を痛感しました。そして重い足取りで接点の繋ぎ目に近寄り電線の外へ出ました。車の屋根の上では電太君がひなたぼっこをしています。雷太郎君は接点を蹴って屋根の上に飛び移りました。


「おう、太郎か。どうだった、ベータ族のやつらは」


 雷太郎君は黙って首を振りました。電太君は口の端で笑いました。


「そうだろうな。まっ、こんな所で何を言っても無駄さ。やつらの頭は岩みたいにガチガチだからな」


 雷太郎君は意気消沈していました。やはりベータ族を呼び出す仕掛けを壊す以外にみんなを助ける道はない、改めてそう思うのでした。


 遠くからこちらに向かって人間が近づいてきました。この車の横にとまっている車に乗り込むつもりです。


「おい、太郎。向こうの車が動くみたいだぜ、乗り換えるか」

「う、うん、そうだね」


 二人は隣の車に乗り換えました。しばらくして走り出した車は運の良いことに二人の望む方向です。こうして、またこれまでと同じ、そして間もなく終わる車の旅が始まったのでした。

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