番外編① 1-2 新米廃品回収業者

 今回、挽歌が引き受けた任務は連絡道に現れたレプリカントの解体である。

 第五外周区には戦争以前に作られた連絡道が多く残されているが、そのほとんどが利用されていない廃墟だ。そんな廃墟にレプリカントが沸いたとしても、解体に向かうのは彼らの部品を売買して生計を立てている廃品回収業者くらいだ。


 だが、今回の任務の目的地である連絡道はその限りではない。


「こ、これは少し骨が折れそうだな……」


 挽歌の眼前に広がるのは、大海原の上を一直線に伸びる大きな橋だった。戦争以前には半分ほど海中トンネルが通っていたが、戦争時に破壊されてしまったのだ。当時は重要な連絡道であったため、トンネルの代わりに増設されたのが現在の橋である。


 その場しのぎとして拵えられた橋であるため、二〇〇年という時間の流れには逆らえなかったようだ。陸路と橋の繋ぎ目には地割れが起こっており、露骨に橋が傾いている。それでも倒れていないのは、何種類もの樹木が絡み合って自然のワイヤーを構築しているためだ。


 この連絡道にレプリカントが現れることが不都合な理由として、この橋が第八防衛都市の港区の入り口を横断する形となっていることが挙げられる。

 レプリカントは例外を除き、ほとんどが陸戦用として作られているため、人間や物資の輸送経路として比較的安全な空路または海路が選択されている。故に、この連絡道をレプリカントが陣取ってしまうと海路の安全性が失われてしまうのだ。


 だから、速やかに排除しなければならない。


 挽歌は鈍く光る鉄色の地面を両の足で踏んでしまっていた。これが意味するのは、挽歌が既にレプリカントの縄張りに侵入しているということだ。脅威度の高いレプリカントは自身の索敵が届く範囲を鉄材で舗装する習性がある。機械による自己顕示がどれほど効果を発揮しているのかは定かではないが、解体師が縄張りを判断するには良い指標となる。


「……」


 しかし、挽歌は未だレプリカントの姿を視認できていない。おそらく周囲の環境に溶け込むように見た目を最適化できる光学迷彩を搭載している隠密型のレプリカントだ。この型式は光学迷彩が発する熱――即ち赤外線を誤魔化すことができないため、ゴーグルを用いれば容易に場所を特定することができる。


「すぅ――」


 このような状況になった時、挽歌はゴーグルには頼らずに瞳を閉じる。端から見れば、レプリカントの縄張りで視界を放棄することは自殺行為に違いない。

 だが、挽歌には挽歌の戦い方がある。


 相手が見えないのであれば、視界に脳の処理能力を割くのは勿体ない。故に、視界を放棄することで処理能力を獲得するのだ。全ては二者択一の最適解を選択した者が勝利する。だからこそ、挽歌は自身が有利となる一手を選んだだけだ。

 感覚が最大限に引き上げられる気配が全身に伝播する。


 触覚――肌に伝わる僅かな風圧を逆算し、地図を構築マッピングする。

 嗅覚――構築された白い地図に、匂いを色として塗装する。

 聴覚――常人には無音に感じる『それ』を挽歌は捕捉する。


 視界の代用として感覚から得られた情報を心象として刻み込んでいく。空白の視界に輪郭が描き出され、柔らかな色合いパステルカラーが染み込んだ。かつての剣の達人が『心眼』と呼んだ奥義を挽歌は息をするように発現させる。


 腰に帯刀している《懺悔の唄》に埋め込まれた機神歯車が猛烈な回転を始め、慟哭を奏でる乙女の唇のように紅いエクトプラズムを垂れ流した。


 右手を柄に、左手を鞘に。


「――ッ」


 ほぼ無音で繰り出された鉄の脚を、挽歌は反射の領域で回避する。

 人間のそれとは数百倍以上もの強度を誇る人工筋繊維が織り込まれた脚は、容易に鉄で舗装されたコンクリートに大穴を穿った。人間ほどの脆さであれば、死を意識する前に肉の塊に変化させることができる威力だ。


 挽歌は妙にゆっくりと感じられる時間の中、『心眼』に映し出されたレプリカントの分析を始める。二カ所に関節を持つ脚が八本と演算装置が詰め込まれた袋状の腹。その蜘蛛に酷似した見た目から安直に《鉄蜘蛛スパイダー》と呼ばれている個体だ。


 他のレプリカントと同じように、弱点は頭胸下部にある壱型動力炉歯車だ。動力源である歯車を破壊すれば機能を停止させることが可能であるが、人類にも有用なエネルギー源であるために回収する必要性がある。


 よって、心臓ではなく頭脳を破壊する。


「《懺悔の唄エレギア》――」


 次いで振り下ろされた鉄の脚を駆け上り、第二関節を踏み砕く勢いで跳躍する。

 《懺悔の唄》によって機能拡張された身体は、自身の四倍ほどある体躯の蜘蛛を無理矢理に伏せさせるほどの出力が可能だ。《鉄蜘蛛》に搭載されているローカルデータベースには、これほどの脚力を出せる人間が登録されていないのだろう。炯々としたカメラアイが動き回る様子からは動揺が読み取れる。


 挽歌は空中で身体を捻り、無理矢理に向きを変換して着地する。

 その双眸に映るのは、演算装置が詰め込まれた腹部――それが頭脳だ。


「――三重奏トリオッ!」


 紅い妖気を纏った刀身が鞘から引き抜かれる。設計段階では想定されていない馬鹿力を押しつけられ、魂鋼たまはがねで鍛えられた刀身と鞘は業苦を受けたかのように悲鳴を上げた。外気に晒された刀身からは紅い妖気が溢れ出し、個としての意思を持って対象の命を刈り取る刃となる。


 三閃。横凪の一撃と共に、紅い閃光が相手を二度切り裂く。


 《懺悔の唄》が引き起こす奇跡――あるいは禁忌――は『斬撃の多重複製』である。これによって自身が放つ斬撃と同じものを同時に繰り出すことが可能だ。あまりの剣速を前に、大抵の相手は数回斬られたことに気が付かずに斃れるのだが、かつて零式に決闘を挑んだ際にカラクリを看破されてしまったのは良い思い出である。


 綺麗に八等分された《鉄蜘蛛》の腹部からは、臓器を模した演算装置が溢れ出す。このような部品を売買して生活する廃品回収業者であれば垂涎の品だろうが、挽歌は一片の躊躇さえ見せずに破壊した。首を跳ねられた《鉄蜘蛛》はあらゆる機能を停止し、魂が抜けたかのように地に伏せた。行き場を失ったエネルギーが線香花火のように弾け、その最期を彩る。


「ちィッ!」


 これで戦闘が終わったわけではない。

 半径十メートルの範囲に展開された『心眼』は背後からの攻撃を察知している。それは二機目の《鉄蜘蛛》が射出した単分子鋼糸である。カーネルの素材である魂鋼には劣るが、非常に細く強靱であるため、凶暴な切れ味を見せる。


 それに対処するため、挽歌は振り向きざまに《懺悔の唄》を横凪に振るった。

 しかし、それが誤りであったことを彼女は瞬時に理解する。射出された単分子鋼糸は刀身に触れた瞬間に、勢いよく巻き付いてきたのだ。追い打ちをかけるように、何本もの鋼糸が《懺悔の唄》に絡まっていく。


「……ぐ、くそッ」


 《鉄蜘蛛》に鋼糸を引き寄せられ、徐々に彼我の距離が縮まっていく。幸いなことに身体には鋼糸が巻き付いていないため、刀身を手放せば拘束から抜け出すことができる。だが、それは同時に唯一の武器を相手に奪われることを意味する。


 だからといって、手放さなければ待っているのは《鉄蜘蛛》の鋭い脚である。


 対抗して踏ん張るが、殺した《鉄蜘蛛》から垂れだした機械油が摩擦の阻害をする。いくらカーネルによって強化された肉体でも、八本脚で立っている《鉄蜘蛛》と比較すれば摩擦力では負けてしまう。それに加えて、機械油という悪条件付きである。


 その間にも死地へと身体が引き寄せられていく。


 本当のことを言えば、この逆境を切り抜ける方法はある。しかし、挽歌はその方法をできる限り使いたくはなかった。自身の切り札とも呼べるそれは、使用を最低限に抑えるのが一番である。真に命の危機を感じる際にしか、切り札の使用は許されない。なにより、《懺悔の唄》にかかる負担が比べものにならな――


「先輩、そこは危ないですよ?」


 前方に居る《鉄蜘蛛》ではなく、後方から明確な殺意を感じ取る。

 挽歌はそれを、目の前のレプリカント以上の脅威として認識した。

 だから、挽歌は切り札を使うことにしたのだ。


「《懺悔の唄エレギア》――慟哭ルドラッ!」


 挽歌の合図と同時に、《懺悔の唄》が纏っていた妖気が碧く変色する。妖気の正体であるエクトプラズムが刀身から発せられた高周波振動に反応しているのだ。


 高周波振動によって切断力が強化された刀身は、蜘蛛の糸で遊ぶかのように鋼糸を引き千切る。拘束が解かれた挽歌は、出せる限りの力で大地を踏み砕き、安全圏へと跳躍する。


 刹那、上空から恐るべき勢いで『それ』が落下してきた。


 『それ』を構成する魂鋼と《鉄蜘蛛》の体躯が衝突し、骨組織を内部から振動させる重厚な音が響き渡る。生み出された衝撃波が空気をかき混ぜ、鉄片を含んだセメントダストが舞い上がった。あまりの風圧にスカートが捲れ上がるが、気にする余裕もない。両腕で顔を覆うようにして粉塵を防ぎ、風が止むのを待った。


 挽歌は『心眼』を解除し、自らの目で『それ』を確認する。

 そこには巨大な十字架が《鉄蜘蛛》を貫いて大地に突き刺さっていた。その十字架は挽歌の身長ほどあり、見事に核である動力炉歯車を貫通していた。


「……これは」


 挽歌は無意識にその十字架を模したカーネルに見惚れてしまっていた。

 その銀を基調とした作りに黒の装飾が為された質素なデザインは何故か既視感を覚える。カーネルの開発者によって、意匠に癖が現れることは良くある。

 しかし、このカーネルは自身の知っているカーネルに酷似している気がする。


「先輩はなかなか死んでくれませんね」


 挽歌は背後から唐突に掛けられた澄んだ声に眉根を寄せた。まるで自身の死を望んでいるかのような台詞を口から吐かれて、喜びに口角を上げる者など存在しない。ましてや、それが自身が手塩にかけて育てている後輩となれば尚更である。


「……零華れいか。貴様、私ごとレプリカントを潰そうとしたな?」


 咄嗟に避けていなければ、間違いなく挽歌は《鉄蜘蛛》と共に砕け散っていた。彼女が発した純粋な殺意を肌で感じた挽歌には、それが意図したものであると判る。

 首に掛けていたヘッドフォンを耳に取り付け、お気に入りの曲をかける。振り返った挽歌の視線の先にいた少女は、深く落胆したかのようにため息を吐いた。


「それは誤解ですよ。迷子になった私を置いて先に進んでいった先輩が、勝手にピンチに陥っていたので助け船を出しただけです。これは忠告ですが、切り札なんて考え方は捨てた方が良いと思います。出し惜しみは死を招きますから」


 光のこもっていない虚ろな目を挽歌に向け、零華れいかと呼ばれた少女は淡々と答える。

 一点の曇りさえないシルクのような純白の髪を肩に掛かるほどに整えており、白い詰襟のボタンを全て留めて同色のスカートに身を包んでいる。


「余計なお世話だ。貴様にとっては、私が死んだほうが好都合なのではないか?」


 挽歌は猛獣でも一目散に逃げ出すであろう鋭い視線を零華に投げかける。場の雰囲気が戦場のそれに変化するが、零華はその凍り付くような視線に怖じ気づく様子も見せない。それどころか、余裕たっぷりに微笑んだ。


「ええ、私は貴方が早く死んでくれたほうが嬉しいです。現在、貴方に所有権がある《四十五番式カーネル:懺悔の唄》は貴方が死ぬことで所有権が私に譲渡される決まりですので」


「……ふん」


 彼女は雪のように真っ白な少女であるが、その裏側は闇よりも深い黒色であることを挽歌は本能的に見破っている。冷静沈着に見える言葉の一つ一つには、どこか異常な凶器が見え隠れしており、本当に人間かと疑うほどの殺気が溢れ出している。


 つくづく髪の毛が白い女性とは相性の悪い挽歌だ。これまでに出会った白髪の女性には良い思い出がない。


「私の行動理念は『どのように機神を解体するか』ただそれだけです。そのためには多種多様なカーネルが必要となってきます。機神の頭部を潰す槌型カーネルや心臓部を抉り出すための槍型カーネル、それに《懺悔の唄》のような刀剣型のカーネル……とか」


 挽歌の腰元に掛けられた待機状態のカーネルを一瞥し、零華はそう言った。

 この零華という少女も、挽歌と同じように『機神の解体』という呪いにかけられた廃品回収業者の一人なのだった。『レプリカント=セヴン』によって生き甲斐を奪われたある種の被害者でもある。


「カーネルなんぞ、一本で十全だろう。私の《懺悔の唄》でも機神の頭部を潰すだけの破壊力は有しているし、心臓を貫くことなど容易い。カーネル一つにたった一つの使用用途ではなく、数えきることのできないほどの扱い方を習得してこその使い手というものだ」


「……蒐集癖、というのも理念に入るかもしれません。とあるカーネルを手に入れてしまったら、残りも集めたくなるというのが道理ではないでしょうか」


 そもそもカーネルは唯一機神に対抗できる装備であるため、第一級解体師や凄腕の廃品回収業者につき一つというのが原則である。それなのに零華という新米廃品回収業者にカーネルを所持する権限が与えられているのには理由がある。


 それは、この零華という少女が十掬支部長の娘であるからだ。まず、十掬に娘が居たこと自体が驚きだ。配属当初は実力の伴わない七光りかと思われたが、それが間違いであるのは明白であった。


 どうやら幼少時から特殊な訓練を受けて育ったらしく、戦闘経験と技術はあるが廃品回収業者としては新米というのがこの少女の経歴である。

 最も何故、母の管理下である解体師ではなくフリーランスの廃品回収業者になったのかという疑問は残るのだが。


「貴様には支部長殿から譲り受けた立派なカーネルがあるだろう。十分ではないか」


そう言って、挽歌はレプリカントの亡骸に突き刺さったままの十字架に視線を送る。


「ああ、その子は――」


 零華はただ、無表情にも見える笑みを浮かべた。


「――OSが入っていないので」

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