4-6 新たな日常

 霧が立ちこめるほどに深い森の中、歯車の回転音だけが木霊する。そのモーター音に酷似した音響は半壊した機械生命体から途切れながらも鳴り響く。


 まるで息を引き取る寸前の人間の呼吸のようでもある音は、粉々に破壊された部位で弾ける青白いエネルギーのスパーク音によって掻き消される。そのエネルギーもまた、機械生命体にとっては溢れる血潮のようなものであった。


 容赦という言葉は一欠片も無く、零式の腕がその機体にねじ込まれる。


「……ッ!」


 金属と金属がぶつかり合う音を奏でつつ、零式の手は中核に埋め込まれた歯車を鷲づかみにし、ためらうこともなく引き抜いた。


 彼ら機械生命体にとって心臓とも同価である壱型動力炉歯車を引き抜かれ、明滅を繰り返していた複眼は完全に停止する。歯車によるエネルギー供給が失われた今、先程まで動いていた戦闘兵器はただの鉄屑と化していた。


 その兵器を破壊した零式はぎゅっと歯車を握りしめる。


「……」


 『レプリカント=セヴン』の予定されていない八人目として、零式は『解体師には荷が重い』と判断された幅広い地域に派遣され、熾烈な戦闘を続けていた。


 砂漠と化した都市廃墟で年端もいかない孤児たちの世話をしていた機神を解体した。

 死の灰が降る極寒の大地に隠れ、仲睦まじく暮らしていた機神と機神兵を解体した。

 防衛都市の居住権を持たない人の集落では、彼らを助ける心優しい機神を解体した。

 何百人もの解体師を死に追いやった凶悪な機神を、ひねり潰すようにして解体した。

 必死に命乞いをする無力かつ無害な機神を、聞く耳を持たずに最高出力で解体した。

 解体した。多くの機神と機神兵を解体した。両手では数え切れないほどに解体した。


「僕たちも生きていくために、必死なんだ」


 全ての機神兵は、己の機神を守るように存在意義を定義づけられている。

 多くの生命体が生きるために命を奪うことを強制されているように、本能として『魂』と呼ばれるデータ保存領域に刻み込まれているのだ。


 それは無論、機神兵である零式にも例外なく当てはまる。


「君たちの命は無駄にはしない。君たちの命は、僕たちの命として生き続ける」


 零式は来た道を振り返った。そこには数多もの機械の骸が積み上げられ、森の中には似つかない廃材の山を成している。それは零式に牙を剥いた者たちの結末だ。


 零式とセナが生き残るためには、九九式機関から命じられた任務を遂行する他はない。そのほとんどの任務が機神を解体であり、零式は生存のために彼らの命を奪っている。

 だが、生き残るために命を奪うことは悪ではない。


 零式は自身の行いを正当化させ、無機質な瞳を再び行き先に向けた。

 まさに異常というものが、その視線の先にはあった。


【零式くん、そろそろ待機モードは飽きてきました。接続しても良いですか?】


「いや、僕が承認するまで待機を継続してくれ。僕だけの力でどれだけやれるのか、試しておきたいんだ」


 セナには待機モードを命じている。今後、接続していない状態で戦闘に入る可能性も少なくはないだろう。そのため、零式だけの力量でどれだけ戦えるのかを見極めておきたいのだ。


【うーん……いいですけど、危なくなったら接続しますからね!】


「ああ、わかった」


 零式は目の前に広がる鉄の世界を眺めながら言った。

 雑草が生い茂った地面は塗り替えられたかのように鈍色に煌めき、適当に金属を接着した蟻塚のような黒鉄がその瞳に異彩を映している。


 森の中に突如として木々を押しのけるように鉄の建造物が建てられているのはどう考えても異常だ。前提として人間の手が介入していないのであれば、レプリカントが作った巣に間違いない。ならば、零式が解体しない理由はなかった。


 零式は鉄床に足を踏み入れる。かつん、という無機質な音が響くと同時にセンサーの類いが一斉に自身を掌握したことを彼は感じ取った。


 歩みを進めるにつれて金属の濃度は上がっていく。先程まで、ある程度はあった緑はもうほとんどなく、パイプに飲み込まれてしまった樹木の葉が少しだけ覗いているくらいだ。

 そして、それから垂れている機械油が一定の間隔で振動するのを一目見て零式は呟いた。


「……来たか」


 零式は無機質な瞳を敵に向ける。それとほぼ同時に敵のカメラアイは倒木の影に潜む零式を熱源反応として確認。彼を敵性個体として定義付け、金属が何重にも擦れ合うような金切り声をあげた。


 この巣の主だろう。いたずらに鉄屑を組み合わせた様な巨体に、一つ目のような主眼だけが炯々とし、その煌めきは殺意だけを語っている。備え付けられた稼働腕が動き、背部に搭載されたガトリング砲と接続。その銃口を一刻のためらいもなく、零式が潜んでいる樹木の影へと向ける。


 そして――撃った。


 木々の葉が揺れるほどの爆音が虫の羽音のように絶え間なく、本来は静閑であるはずの森に響き渡った。迅雷と見紛うほどの閃光が霧を染め上げ、倒木は秒を追う暇すらもなく粉々に砕け散る。木の欠片が八方に飛び散り、樹木はパイプごと跡形もなく文字通り『粉々』であるが、そこに零式の姿はない。


 レプリカントの中でも《鉄腕》と呼ばれるその高個体は、異常に発達した高性能AIで敵性個体の生存確率を瞬時に計算。その数値はおよそ九十に七を加えたほどだ。 


 ――あの人間は生きている。


 そう結論づけ、センサーを最大で出力し索敵を開始する。そして、敵性個体の現在地を確認。

 しかし、その敵の速さは《鉄腕》のデータベースに刻まれた『人間が出力可能である最高速度』を遙かに超えていた。


 鉄の壁を蹴りつけ、《鉄腕》に飛びかかった零式はその巨体に掌底を撃ち込む。通常のレプリカント程度であれば一撃で仕留めることができるほどの威力を内包した一撃。それを撃ち込まれた《鉄腕》は空気を爆発させる音を轟かせ、吹き飛んだ。

 異常を察知した《鉄腕》は見た目の巨体に似合わぬ体捌きで受け身を取り、地に足をつける。


「――ふぅ」


 零式は肺に溜まった息を一気に吐き出した。そして目の前にいる《鉄腕》を睨み付け、拳を握りしめる。時間というものには限りがある。セナがこれ以上の戦闘は危険だと判断する前に、なんとしてでもケリをつけなければならない。君の力を借りずとも、君を守ることができるということを示さなければならないのだ。


 故に、すぐさま追撃をかける。


 零式は逃がさん、と言わんばかりに一歩で間合いを詰めにかかる。しかし、《鉄腕》も歴とした戦闘兵器だ。ただ壊されるだけの度胸など持ち合わせていない。


 《鉄腕》は残り六つの稼働腕に接続されている重火器を全てパージ。脚部側面に備えられた高周波ブレードに接続し、六刀流とも呼べる形態へと変更する。


 接近戦で最も恐ろしいのは、ナイフや刀といった剣の類いを使いこなす者である。AIはそのことを踏まえ、最も効率が良い斬撃軌道を計算し、迫る零式に繰り出した。

 零式はそのただ乱暴に振り回されているような剣筋を、一つ一つ見極めて回避する。常人ならば剣筋を見ることすら叶わずに、押しつぶされ肉の塊に変貌していただろう。

 鋼の嵐に一筋だけの通り道を見つけ、零式は床をめり込むほどに蹴りつけて跳躍。刃と刃をすり抜けて、最後の一撃を食らわせようとする。が、倒すことだけに気を取られていたことが災いの元になった。相手の装備を注意深く確認することを怠っていたのだ。


 《鉄腕》の稼働腕に接続されている高周波ブレードが一斉に射出される。


「――ッ!」


 空中では零式も満足のいく回避を行うことは不可能だ。彼が相手の装備の確認を怠ったことに自身への怒りを向けるのは、左腕がブレードに斬り飛ばされた後であった。


「くそっ――」


 そのまま吹き飛ばされた零式は壁に打ち付けられる。左腕が空中で霧散するのを見届け、バチバチと純白のエネルギーが溢れ出す左肩の苦痛に顔を歪めた。


 痛覚抑制びによって鈍痛だけで済んでいるが、本来の痛みを想像して背筋がゾッとするのを感じる。


「ほら、やっぱり私がいなきゃ駄目じゃないですか」


 全てを抱き込むような優しさのこもった声が響いた。それは機神歯車から発せられる通知音声などではなく、きちんとした肉声で零式の耳に届く。

 ぎょっとした零式が声のする方向に視線を送ると、いつの間に機神歯車から抜け出し顕現したのか、鉄屑が積み上げられた山の上に彼女は座っていた。


「今回こそはいけると思ったんだけどな……」


 左肩を押さえ、エネルギーの流出を食い止めながらそう言った。その間にも《鉄腕》は六本の腕を三本ずつ合体させ、巨大な二本の腕にする。その腕に双対の発熱ブレードを接続し、高温で赤く染まった双刃を零式に向けた。


「OSの無い電子機器が本領を発揮できないように、私の居ない零式くんなんてただの強化人間に過ぎませんよ。いくら強大な力を持っていたとしても、完全に操作することができなければ待っているのは破滅のみです」


 彼女の言葉を聞きつつ、零式は発熱ブレードを互いに打ち付けて火花を散らす《鉄腕》を眺め、その絡繰が全てのリミットを解除中であることを把握する。このまま、最大出力で零式を撃滅する次第なのだろう。流石に左腕を失っている状態では勝率は格段に低下する。


「アーセナル。いや、セナ」


「は、はいっ!」


 突然名前を呼ばれたことに驚いたのか、頬をほんのりと赤く染めて彼女は答える。勢いが余って山から落ちそうになるが、どうにか踏ん張った。


「折り入って頼みがあるんだ」


 背に腹は代えられなかった。


「僕と一緒に戦ってくれるかい?」


「りょーかいです!」


 セナは待ってましたと言わんばかりに微笑む。そして鉄の山から飛び降り、零式の右隣に着地した。


「零式くんの本気、見せてくださいね」


 彼女がそう言って、零式の右手首に填められた白銀の歯車にちょんと触れた。

 次の瞬間、セナが歯車に流れ込む。今では見慣れてしまった情報の奔流が流れ込むの見届け、白銀の歯車が回転を始めるのを確認する。


【機体の欠損を確認。自己修復プログラムを起動し、左腕部の修復を開始します】


「……これは、なんど見ても現実味がないな」


 そう言うと同時に、全身に力が漲るのを零式は感じた。歯車が回転することによってエネルギーが供給されたからだ。失われた左腕部もみるみるうちに修復される。


【機神歯車の回転率上昇。システムブートを開始します】


 零式は完全に再生した左手を握り、異常がないことを確認する。


【自我データの確認中。破損データは検出されませんでした】


 リミットを全て解除し終えた《鉄腕》が零式に照準を合わせる。最大出力の跳躍で彼我の距離を消し飛ばし、そのまま零式を叩き斬る――




【製造番号:零/OS:白い職人:を起動します】




 金属と金属がぶつかり合うような音が響き、衝撃で辺りの鉄片という鉄片が弾け飛ぶ。《鉄腕》の発熱ブレードは交差された零式の腕に行き先を拒まれていた。


「本当に、嫌になるほど、強すぎる……ッ!」


 そのまま腕を振り、《鉄腕》の巨体を弾き飛ばした。進路上にある作りかけの絡繰やパイプに埋もれた樹木などを全て薙ぎ倒し、ようやく《鉄腕》は止まる。

 彼女、つまりセナとの接続時はこれだけの動作で接続前の全力を軽く凌駕する出力だ。おまけにOSの起動に伴い、エネルギーが浸透した零式の髪の毛はセナのそれと同じ純白に染まってしまっている。


【敵機を確認。戦闘モードに移行します】


 零式の存在意義は、己の機神であるセナをあらゆる脅威から守ることである。

 そのための経緯でどれだけの悪を成そうと、それが零式の正義であることに変わらない。

 ひらりと宙を舞っていた黒いマフラーを掴み、首に巻く。ほんのりと残っていたセナの暖かさを感じながら、流れるような動作でホルスターから《柩送り》を抜き、構えた。

 十の敵が立ち塞がるのであれば、十の敵を。

 百の敵が立ち塞がるのであれば、百の敵を。

 千の敵が立ち塞がるのであれば、千の敵を。

 彼女一人を守るためであれば、あらゆる障害をこの手で葬り去ろう。

 再び戦闘態勢に入った《鉄腕》に向かって零式はこう言った。


「全力でこい。何もかも解体してやる」


 鬼のような闘心。神と接続した零式を止められる者はどこにもいない。


【第一章 完】

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