8月3日「星流し」


十五日目






「晃、晃」


 と嬉しそうに僕に声をかける亜香理に、僕は苦笑いをしつつ、その手に引かれる。


 今日は夏祭り一日目だ。幼い頃からずっと当たり前のように参加していた夏祭りだけど、今年は少し意味合いが違うように思う。去年までいた二人が当然いない。僕は残酷なんだろうか? それが寂しいと思う感情が少しずつ消えて行くのを感じている。


 僕は後ろを向いた。


 美樹姉さんの苦笑い。

 陽大兄さんの微笑み。

 陽一郎アニと志乃姉さんが手を繋いで笑っている。


 今はそれだけでいいと僕は思う。


 夏休みが始まって、僕らはずっと陽一郎アニを見守ってきた。だって、明らかに陽一郎アニは無理をしていたから。僕はまだ小学生だけど、それが分からないほど馬鹿じゃない。


 選択肢は二つだった。夏目家一緒に暮らすか。バラバラになるか。


 それだけは嫌だと、通夜の夜に泣いたのは亜香理だった。


 まだ10歳の亜香理でも、現実を見つめていた。父さんも母さんもいないという、当たり前の現実を。


 そのかわり、志乃姉さんがいる。


 僕はそれだけで嬉しい。夏休みになって、亜香理は毎日のように同じ言葉を繰り返す。


『志乃ちゃんが、お兄ちゃんのお嫁さんになってくれたらいいいのにね』


 それを聞くたび、美樹姉さんは腹をかかえて笑う。そして僕も。


 陽大兄さんは意味深な微笑を浮かべて、陽一郎アニと志乃姉さんは照れて、言葉を一句も告げられない。


 でも、その二人がようやく何の照れもなく手を繋いでいる。それは僕が、陽一郎アニと志乃ちゃんの背中を見て育ったあの頃を思い出させる。


 後ろで志乃ちゃんの両親が、優しく笑っていた。


 今年の星流しも、いつもと同じようだ、と思う。そう思えることがとても幸せなんだ、と思う。だから思う。絶対にもう家族の一人も欠けさせたくないと。僕みたいな小僧がそう思ったところで、何が変わるわけではないけど、切実に思うんだ。みんな大切な人達だから。


「晃」


 と陽一郎アニは声をかける。


「え?」


「これで好きなもの買いな」


 と財布から出した二千円。僕と亜香理で千円ずつらしい。


「足りなかったら言えよ」


「え、うん……」


 と言いつつ、受け取れない。今、夏目家の経済は陽一郎アニが必死のバイトでもっている段階だ。父さんと母さんの保険金には手をつけてないから。それが頭をよぎる。


「晃」


 と朝倉さんが──志乃ちゃんのお父さんが、僕に笑んだ。


「お前は利口だなぁ」


 嬉しそうに、髪を撫でた。僕は体格の大きい朝倉さんを見上げる。朝倉さんは陽一郎アニに小さく笑む。


「こういう時は、俺が財務省だ。晃、好きな物買ってこいっ!」


 と財布から千円札を数枚取り出す。僕は陽一郎アニと朝倉さんを見比べる。陽一郎アニは何か反論しようとしていた。僕はその言わんとする事は分かる。でも、それは今は言うべきじゃない言葉なんだ、というのも直感で感じた。だから、亜香理と一緒にペコリとおじぎをする。


「有難うございます」


 と受け取って、亜香理と一緒に走り出した。


「晃!」


 と陽一郎アニが叫ぶのが聞こえた。僕は亜香理と小さく笑う。陽一郎アニは無理している。だいぶ柔らかくなったけど、無理している。でも、今日と明日くらい甘えてもいいはず。僕はそう思う。亜香理もそれに同意見なのが分かる。


 後ろで陽大兄さんと志乃姉さんが笑っている声が聞こえた。


「晃は聡いね。兄さんの台詞を奪う行動を知っているんだから」


「陽ちゃんに無理してほしくないのは、みんな一緒なんだよ」


「………」


 陽一郎アニは無言だ。朝倉夫妻が何か陽一郎アニに声をかけた。僕はわざと聞かないふりをする。


「わたあめ、わたあめ」


 僕は魔法のように呟いた。


「かき氷、かき氷」


 亜香理も呪文のように呟く。僕は亜香理と顔を見合わせて、ちょっと笑う。


「フランクフルト、フランクフルト」


「りんご飴、りんご飴」


「くじびき、くじびき」


「アイス、アイス」


「やきとり、やきそば」


「おこのみやき」


「ほしながし」


 僕は亜香理と一緒に、神社の階段を駆け上がる。

 提灯の淡い光と町の電気が、蛍のように視界を揺らす。


 狐のお面をかけた女の子が小さく笑って、とおり過ぎる。亜香理はその女の子をうらやましそうに、見ている。


 僕は立ち止まって、にっこり笑った。


 亜香理と僕の額に狐のお面が増える。


 僕らは走る。

 階段を駆け上がる。


 息が切れる。

 それでも走る。


 神社の鳥居を抜けて、裏道を走り抜ける。行き先は、小さな小川だ。そこが『星流し』の舞台になる。


 星流しは、灯籠船に星石という神主さんが作った綺麗な石を乗せて、小川に流す。星石の色は様々で、その年その年で当たる石は違う。今年は僕は深い色の青で、亜香理は薄い赤色。それを灯籠に乗せると、石は綺麗に光る。


 星流しは、魔法の儀式なんだよ、と父さんは冗談めかして言った記憶がある。


『星石にメッセージを託してみればいい。もしかしたら、知らない誰かにも届くかもしれないぞ』


 星流しはそういう行事じゃない。死者の魂を哀悼するお盆行事だ。この宝石のような石を流す事で、死んだ人々がお盆に帰る時の目印となる。だから、この小川を『星屑乃河原』と言うらしい。神主さんは毎年毎年、同じ説明を繰り返す。


 僕と亜香理は二人、狐のお面を深々とかぶった。


 そして、ゆっくりと灯籠に石を乗せる。その瞬間、石は淡い光をあげる。


 僕はその光を、吸い込まれるように見つめていた。そして一番、言いたかった事を忘れそうになる。父さんの言った魔法を僕も信じている。毎年、毎年、誰かにむけて言葉を送ってきたから。


 亜香理とその前の日、喧嘩した年は亜香理に「ごめんね」と。


 照れくさくて言えなかったけど「母さん」有難うって言ったと年もあった。


 去年は「志乃姉さんと陽一郎アニが仲良くなりますように」──その願いが不思議とかなう。


 でも、今年は願いじゃない。


 ──僕らは、元気だよ。


 その一言。


 と隣の亜香理が、クスクス笑う。狐のお面の中で、笑いはヤマビコのように聞こえる。笑いはいくつもいくつも溢れて消える。


「どうしたの?」


「このお面かぶってると、くすぐったい」


 と笑いながら、言う。僕は呆れて、やっぱり笑った。


「晃は誰に言葉を送ったの?」


 それは夏目家だけの、秘密の儀式。


「秘密」


 と僕はお面の下で、小さく笑う。それが毎年毎年、恒例の行事。教えないと言い張りながらも、僕は亜香理に結局根負けしてしまうのだ。情けない兄貴だなぁ、とも思う。でも、僕は陽一郎アニにはなれない。陽一郎アニのように、家族全員を守ることなんかできない。陽大兄さんのように冷静にもなれない。美樹姉さんのように行動的でもない。ただ、少なくとも亜香理の兄だから、亜香理の面倒をみるのは僕の仕事だと思っている。亜香理はきっと僕の面倒をみるのが仕事だと思っているけど。


 それでいい、と僕は思う。

 だから、僕は父さんと母さんに言葉を届けたい。


 ──僕らは、元気だよ。


 


 


 


 



 少し離れた場所で、同じ儀式をやっている人達の声を聞き付けた。確認を、まるで再確認をするように。


「俺は志乃が好きだよ」


 僕と亜香理は狐のお面をかぶりなおす。


「私も陽ちゃんが大好き」


 繋がれた手と手を僕は見ながら、ゆっくりと亜香理の手を引いた。


 少しずつスピードをあげて、神社の階段を駆け降りていく。


「わたあめ、わたあめ」


 僕は魔法のように呟いた。


「かき氷、かき氷」


 亜香理も呪文のように呟く。僕は亜香理と顔を見合わせて、ちょっと笑う。


「フランクフルト、フランクフルト」


「りんご飴、りんご飴」


「くじびき、くじびき」


「アイス、アイス」


「やきとり、やきそば」


「おこのみやき」


「ほしながし」


 魔法の言葉。夏目家だけの秘密の儀式。


 届いた、父さん? 母さん?





 ──僕らは、元気だよ。     

 

 

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