7月27日「憎めない」


八日目






「どうして別れたんだ?」


 と不満そうに聞かれて、北村は返答に窮した。親友の吉崎は、信じられないという顔で北村を見つめている。北村は溜め息をついた。


  志乃と北村の関係を仲介したのが吉崎だった。


 北村はどちらかというと内向的で、いつも元気印の吉崎に引っ張られている。その一方で感情直径型な吉崎にストップをかけてあげられるのは北村だけなので、二人のバランスは絶妙だと言える。クラスの中でも目立つ存在になっており、ちょっとした名物だ。かたやサッカー部、かたや美術部、釣り合いがとれるはずもないのだが、高校に入学して初対面で意気投合し、そのままのノリで今に到っている。


 が、その吉崎の表情は固い。北村はもう話したくもないのだが、それでも引きあわせてくれた吉崎には報告しなくてはいけないと思った。だから話した。志乃と夏休み前に別れた事を──。


 それが吉崎は意外だったらしい。しばらく呆けた顔で、北村を見つめる。北村は同じ言葉を二回繰り返さなくてはいけなかった。


 それが冗談でないと気付いて、吉崎は表情が険しくなる。


「どうして、と言われてもな」


 と北村は濁した。


 理由は分かっている。志乃が自分の気持ちにやっと気付けたのだ。志乃が本心で笑いかけたい相手は北村ではなかった。それに志乃自身が途中から気付いた。それを北村にどう話していいのか分からず、ずっと悩んでた。ただそれだけの事なのだ。


 志乃は写真の事が詳しかった。


 その時は幼なじみが写真に詳しかったから、と笑って言っていた記憶がある。写真と絵は共通している部分がある。構図の取り方、空間の演出、人物のクローズアップ、そして一瞬を一枚に閉じこめる。志乃はその事を本当によく理解していた。写真家には、構図の勉強としてデッサンに取り組む人もいるという。


 二人の最初のきっかけはそれだった。


 志乃も内気な性格で目立つわけではないが、一瞬見せる表情が幼い子供のように見える時があり、そんな無邪気な笑顔が可愛いと思っている自分に驚いた。


 コロコロと変わるその表情を北村は描きたいと思った。


 そう思った時には、北村の心は志乃へと傾いていたのだ。


 それを見透かした吉崎が二人を仲介し、誰もいない教室で志乃に言葉を告げるお膳立てをしてくれた。 いつもならしり込みする北村が、あっさりとその言葉を言えたのだ。


『俺、朝倉が好きになったみたいなんだ』


 照れもなく言えた。


 志乃は困った顔で北村を見る。北村は真っ直ぐに見つめた。志乃の視線が反れる。北村は志乃の目をもう一度、覗き込んだ。赤くなって頬を染めた志乃が、小さくうなずいた。


 今だから分かる。志乃は北村を好きになった訳じゃない。


 自分が誰を好きで、好きという感情はどういう事なのかを理解する事ができなかっただけだ。それを証拠に、志乃は幼なじみの話をすると止まらなくなる。


 志乃が幼かったわけでも、恋という感情を知らなかったわけでも無い。むしろ志乃は聡い。だが常に一緒にいた人だからこそ──。一緒にいすぎたからこそ、志乃は自分の気持ちに気付けなかったのだ。


 裏切られた、と思えたらきっと楽だ。志乃を憎めたら、きっと楽だ。


 でも、今でも志乃の事を好きな北村はそれができなかった。


 だから苦しい。



「北村は嘘がつくのが下手だな」


「吉崎……」


「忘れられない、って顔に描いてある」


「そんな事はないよ」


「そんな事はある。どうした? 喧嘩でもしたのか?」


「そうじゃない」


「じゃあ、どうして?」


「自分の本当の気持ちに気付いたんだ、朝倉は」


「は?」


 吉崎は目をパチクリさせた。


「仲直りしろよ」


「無理だよ」


「北村?」


「吉崎」


 北村は溜め息をついた。何度目かの溜め息なんて、忘れるくらい 溜め息をついている。 


「手を伸ばしても届かなかったんだ」


「北村、何を言って──」


「二人の気持ちは二人にしか分からない。その二人ですら、一人の気持ちは分からない」


「北村……」


「朝倉が悪いんじゃない。浮かれていた俺が悪いんだ。朝倉の本当の気持ちに気付かず、むやみに苦しめた。本当は気付いていたけど、気付いていないふりをした。その手を握っていれば、幼なじみの所に帰るはずもないって信じていた。すぐに何もかも上手くいくと思っていた」


「思っていた?」


「所詮は思っていただけだってんだよ。手を引いて、行かせまいとすればするほど、朝倉は苦しんだ。最初から朝倉の心を占めていたのは、夏目陽一郎だったんだ」


「それって……お前、朝倉に捨てられたということじゃないか!」


「違う!」


 北村は即座に否定した。捨てたとか裏切ったとか、そういう問題じゃない。北村を想うあまり、言葉を出せなかった志乃の表情が今でも痛い。自分の気持ちが北村を傷つけるのが分かっていたから、なお言葉は告げれない。それが何より北村を苛んでいる。優しさは時として、憎しみよりも痛い。


「お前はそれでいいのか」


 いいわけが無い。でも、どんなに手を伸ばしても届かない。むしろ手を伸ばしたら、志乃を苦しめる。そして自分も苦しめる。今は──今だけは何も考えたくなかった。


「俺は認めないからな」


 と吉崎は立ち上がり、部屋を出ていく。


 北村は呆然と、吉崎の後ろ姿を見つめた。


 机の上の写真に手を伸ばすが、届かない。


 志乃と北村がにっこりと笑っている。写真を撮ってくれたのは、夏目陽一郎だ。


 志乃が嬉しそうに笑っている。ぱっと見たら、幸せそうなカップル。


 でもそうじゃない、志乃が笑いかけているのは、カメラの向こう側、たた一人。

 スケッチブックに手を伸ばす。


 志乃の笑顔がどのページにも鉛筆で描かれていた。

 北村はスケッチブックを閉じる。


 ベットにごろんと転がった。頭がぼーっとする。夏休みになってから、ずっとそうだ。北村は目を閉じる。暫くは起きたくない。何も考えたくない。誰とも会いたくない。


 憎めない事がこんなに苦しいと思わなかった。


 きっと今ごろ志乃は、夏目陽一郎に、あの笑顔を向けている。


 それに嫉妬している自分がいる。


 全てが嫌だ。


 溜め息がまた、漏れた。

 夏なんか早く終ってしまえばいいと思う。


 蝉の声が、眠りを妨げる。耳が痛くなるほど、騒がしく鳴く。夏が長い──。


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