7月20日「向日葵」


【一日目】




 夏休みが始まって、僕は睡眠をむさぼっていた。普段、バイトと学校、部活との忙しさからゆっくり眠ることがないので、ここぞとばかりに微睡む。外では子供の声とラジオ体操が流れている。夏はバイトも倍になるし、部活も忙しくなる。写真部に所属してる僕は、秋のコンテストに向けて作品を撮っていかないといけない。


「陽一朗アニ、起きろよ」


 一番下の弟の晃が声をかける。


「飯なら昨日、用意してたろ。みんなで食っとけ」


「でもね陽アニ」


 と長女の美樹が声をかけた。


「ラジオ体操に行けよ」


 と邪険に扱う。


「兄さん、いい加減にしてくれよ」


 次男の陽大がため息をつく。


「そうだよ、待たせちゃ可哀想だよ」


 と次女の亜香里が僕をゆする。


「寝かせろ……また昼からバイトなんだよ……」


「起きないと後悔するぞ」


 と晃が耳元に囁く。


「起こすとお前ら後悔するぞ」


 すでに脅しに近い台詞を僕は呟く。


「いいの」


 聞き覚えのある声がした。


「ゆっくり寝かせてあげて。私、待ってるから」


「え?」


 僕は間抜けな顔で、起き上がった。


「志乃?」


「おはよう、陽ちゃん」


 彼女はにっこりと笑った。








 志乃と僕は幼なじみだ。幼稚園の頃からずっと一緒に遊んできた。どちらかと言うと僕が志乃を連れ回していたというパターンが多かったけど。高校から別になって会う機会はそんなに多くはなかったから、突然懐かしい顔が目の前にあって、驚きを通り越して、僕は間抜けな顔で唖然とするしかない。


 学校が違うだけが会わなくなった理由じゃない。


 一つは志乃に彼氏ができたこと。


 志乃のことが好きだった僕は、あえて志乃から遠ざかっていた。一度志乃に紹介された事があるが、北村という気さくで咲くような笑顔を見せるいい男だった。二人で笑っている姿は眩しくて、ずっと大切にしていた仄かな気持ちを殺すことはそんなに難しくなかった。


 もう一つは両親が交通事故でなくなったからだ。あっさりと、あっけなく。


 長男僕17歳、次男陽大15歳、長女美樹14歳、三男晃12歳、次女亜香里10歳を抱えて、親の保険金では生活できない理由もあり、親戚同士の関係も希薄で連絡はとれず、僕が働くしかないというわけだ。最初の一ヶ月は放心状態で、それを振り切るためにバイトに励んでいた。が、次第に家族の顔を見ていると、コイツラのために仕事をできるようになってきた。


 悲しくないわけじゃない。ただ、前を向こう。と陽大に背中を叩かれたのが一度や二度じゃない。陽大は新聞配達もしているが、そろそろ辞めさせようと思っている。高校受験を控えているのだから、そろそろ勉強に集中させなくてはいけない。陽大は嫌がることは目に見えているが。


 それでも長兄として、こいつらを守りたいと本気で思っていた。










 僕と志乃は強い日差しの中を黙々と歩いた。


 彼女の手にある向日葵が全てを物語っていた。少し早いが、二人で父さんと母さんの墓へと向かう。向日葵は父さんと母さんが一番好きな花。僕の名前の陽一郎は、そんな向日葵を咲かせるような太陽のような子であるように、と名付けたらしい。名前の意味付けですでに負けている。


「陽ちゃん」


「ん?」


「ごめんね。陽ちゃんが大変な時に、何もできなくて」


 僕は志乃を見た。通夜でも葬式でも一言も話せなかったが、それは僕の追いつめられた精神状態が原因だった気もする。今なら、自然に笑える。現実として理解できるほどに冷静になれたのは兄弟達のおかげだ。


「志乃が気にする事じゃないよ」


 僕は日差しの強さに目をつぶった。


「陽ちゃん」


「え?」


 僕は志乃を見た。志乃が泣きそうな目で、僕を見ていた。その目に吸い込まれそうになる。


「志乃?」


「ごめん、私、卑怯だね」


 と向日葵の花がぽろりと落ちる。志乃の目から涙がこぼれ落ちた。止めどなく、止まらない。僕は呆然と志乃を見つめて、動けなくなった。


「私、卑怯だ。ごめん、ごめんね」


 と泣いてばかりいる志乃に、僕はどうしていいのか分からない。ただ


「どうしたんだ?」


 と声をかけた。志乃の体が震えている。


「陽ちゃんとね、会う機会が少なくなってから、ずっと陽ちゃんの事考えてたの。陽ちゃんが意識して私を避けていたのも分かったの。陽ちゃん優しいから、すぐそういう事に気を回すから」


 そういうこと……。僕は黙って志乃の声を聞いた。


「でもそうなってから、初めて気付いたの。陽ちゃんと一緒じゃない時間がどれだけ苦しいかって」 


 志乃の声は嗚咽になった。


「陽ちゃん大変なのに。北村君も傷つけたし――」


 あとは言葉にならず、涙に変わった。


「卑怯、私、卑怯だよ、ごめんね、陽ちゃん、ごめんね、ごめんね、ごめん――」


 僕は志乃を抱きしめて、その言葉を塞いだ。













 ――陽一郎。

 父さんが昔言った言葉を思いだした。

 下の兄弟を守ってあげるんだぞ。そして志乃ちゃんもな。男ならそれぐらいできるな。

 幼い僕はコクンと頷いた。手には志乃の小さい温もりが伝わっている。


 ――陽一郎。

 母さんが言った。花はね、大切にしないと枯れちゃうの。でも大切にしすぎても枯れちゃうの。

 陽一郎のお花は志乃ちゃんかしら?

 僕はコクリとうなずいた。志乃が嬉しそうに笑った。













「志乃?」


 僕は向日葵を拾い上げて言った。


「行こう?」


「うん」


 と言いつつ、志乃は僕から離れようとしなかった。


 時間が止まったように。


 熱くて仕方ないほどの日差しなのに、伝わる温もりはイヤじゃなかった。


「志乃」


「なに、陽ちゃん?」


「今度、写真とっていい?」


「写真?」


「そう、写真」


 僕はもう一度、笑った。 大切な人の表情を大切にしたいから。



 













花はね、大切にしないと枯れちゃうの。



でも大切にしすぎても枯れちゃうの。



陽一郎のお花は志乃ちゃんかしら?


















 僕は無造作にカメラのシャッターを切り志乃の表情を撮る。


 照れたような笑顔。


 懐かしい空気を僕は感じていた。






 墓前の向日葵が優しく、僕らに微笑んでくれているような気がした。

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