夏休み

尾岡れき@猫部

終業式


7月19日 「終業式」





 蝉の声がこれでもかと言うくらい耳につく。暑さがさらに急上昇していくような感じだ。


 担任の教師が夏休みの心得について、熱弁をふるっているのを陽一郎は欠伸をしながら聞いていた。


「夏休み、か」


 目を閉じる。


 あの日の記憶が蝉の声と重なる。


 雨。


 電話。


 警察の事務報告。


 医師の診断。


 呆然と立ち尽くす陽一郎。多分、あの時一番冷静じゃなかったのは、陽一郎だ。弟妹達の方が冷静だったような気がして、今思い返すと苦笑モノである。陽一郎の唇に自嘲の笑みが浮かんでいた。


 目を開いて、記憶を打ち消す。


 もう過ぎたこと。今は現実として理解できるに至っている。


 父と母が会社から帰るさい、飲酒運転のトラックと正面衝突。父も母もそして元凶のトラック運転手も即死だった。当然非のない夏目家の家族には、膨大な保険料と慰謝料が入ってきたが、そんなものはタダの数字だ。優しかった父と母は帰ってこない。憎むべき相手もいない。陽一郎はくすぶる想いをぶつけるモノがなく過ごしていた。


 親戚同士の関係は希薄で、いることはいる遠方の親戚に、あえて陽一郎は助けを請おうとは思わなかった。


 兄弟一同の意見である。葬式にすら来ない輩の手はおろか、顔すら見たくない――。


 かと言って慰謝料や保険金で生活したいとは思わなかった。甘い考えかもしれないが、それは父と母を殺した相手を許すことになる。


 もう憎みはしない。憎んだところで父と母は帰ってこない。


 葬式の席で彼の家族が、涙ながらに謝ってきた。陽一郎はにっこりと笑って、嘘を言った。


 ダイジョウブデス。


 ボクラハ、ダイジョウブ。


 必要な嘘もある。そう陽一郎は言い聞かせた。本当は罵倒して、殴って、叫んで、泣きたかった。


 世間体なんか考慮するほど人間できていない。


 でも、そうしたからって、どうなる?


 父と母はきっと怒るだろう。そんな行動を見せたら。


 優しい父と母ならきっと笑って許した。だから陽一郎も笑った――ふりをした。


「ということで、だ」


 と担任は締めくくった。


「夏休みといってうかれないように」


「はーい」


 と女子生徒が呑気に手を上げて、笑いの渦を作った。一番信用の無い人物が大抵は発言してくれる。


「それから、夏目」


 いきなり言葉をかけられて陽一郎は目を丸くした。


「はい?」


「あまり無理はするなよ」


 一瞬の沈黙。その視線が陽一郎に注ぎ込まれる。勘弁してくれよ、と陽一郎は舌打ちした。担任は心配ゆえの言葉かもしれないが、これじゃまるで悲劇の主人公だ。別に心配なんかしてほしくないから、普通に接して欲しかった。その方が気が休まる。


「以上、ほどほどにハメ外しとけ。それから勉強もしっかりとな」


 との担任の言葉を無視するかのように、みんな立ち上る。陽一郎はその人の波から逃げるように、最後にゆっくりと立ち上った。


「陽一郎、お前はこれからすぐバイトか?」


 悪友の長谷川誠が駆け寄ってきた。


「ああ、そうだけど」


「先生じゃないけどさ、本当に無理はするなよ」


「……うん」


「と言っても無理をするのが陽一郎だ。こんな時にこそ志乃ちゃんが傍にいてくれればな」


 と陽一郎の幼なじみの名前を出す。陽一郎、誠、志乃とは小学校からの仲である。志乃は英語を勉強したいからと、英語学科のある少し離れた高校に入学したため、高校は離れ離れだった。


「志乃には彼氏がいるよ」


 と陽一郎は素っ気無く言った。


「俺も見た。いい男だったな」


 と誠は陽一郎をじっと見る。


「何だよ?」


「……お前って鈍感だな」


「は?」


「ま、それでこそ、からかいがいがあるってもんだ」 


「何が?」


 よく分からないという顔で、陽一郎は言った。


「お前、あと少しだけでも志乃ちゃんの気持ちが分かってればなぁ」


「何の話だよ?」


「いい、気にするな」


 と肩をぽんぽんと叩く。


「ま、バイト頑張れよ」


 そう言い残して、去っていく。陽一郎は狐につままれたような顔で立ち尽くすしかなかった。














 自転車が通り過ぎる刹那、志乃は振り返った。


「陽ちゃん?」


 声は届かず、当の陽一郎は振り向きもせず下り坂を下っていった。慰謝料には頼らず、生活費と学費を二重三重のアルバイトでまかなっているという話を聞く。近所のおばさん達は


「陽一郎、意地はってないで使えばいいのに」


 と言っていた。それでおおよその見当はついた。


 陽一郎らしいと言えばらしい。その金には一切、手をつけるつもりは無いのだと思う。だが五人兄弟ともなればバイトだけでは生活もできない。高校生なのに、らしくない生活を余儀なくされている。そんな陽一郎の手助けを何一つできない自分が悲しかった。最後に話したのが陽一郎の父と母の通夜の時。あの時、外見は元気そうだったが、内心はぼろぼろに擦り切れていたのは長い付き合いだ、分かる。それでも志乃はその点には触れず、陽一郎も演技を続けた。そのまま一言も話せずにいる。


「朝倉」


「え?」


 と我に返る。


「あ、ごめんなさい、北村君」


 そう隣を一緒に歩く北村に言う。北村は苦笑半分、寂しさ半分な表情で志乃を――そしてもう見えなくなった陽一郎の後ろ姿を追っていた。


「今の確か、お前の幼なじみだよな?」


「うん……」


「朝倉はあの男が好きなんじゃないのか?」


 単刀直入に言う。


 志乃は言葉を告げられなかった。――否定もしない。その肩が震えている。


「やっばりな」


 と歩きながら、小さくため息をついた。もうずっと前から、そんな事は分かっていた。それを否定したかったが、結局、北村には志乃を笑わせる事ができなかった。


 一度だけ、夏目陽一郎に会わせてもらったことがある。兄弟みたいなもの、と説明する志乃に陽一郎は渋い顔をした。志乃から言わせると、陽一郎は可愛い弟らしい。身長からしてもしっかりとした性格からしても、どう見ても陽一郎が年上に見えるのだが、志乃は精一杯お姉さんらしく振る舞っていた。


 あの時、志乃を笑わせられたと思ったのは、間違いだった。


 どうしてすぐ気付かなかったんだろう。――いや、気付いていたけど、気付かないふりをしていたのだ。志乃が笑いかけていたのは北村じゃない。陽一郎にだ。 それを思うと悔しさが込み上げていく。


「朝倉」


 と北村は笑ってその顔を覗き込んだ。精一杯の演技だ。


「……」


 志乃は言葉を告げれず俯いていた。その目に涙が滲んでいるのが見える。志乃は優しすぎる。多分、もっと早く自分の気持ちに気付いていたはずだ。それを証拠に北村と一緒にいてもいなくても、ずっと物思いにふけっている姿が多い。それでも北村にその事を言えなかったのだ。優しすぎる、と思う。優しすぎるから痛い。


「朝倉、今ならまだ間に合うかも知れないぞ」


「……」


「自分の気持ちに正直になれよ。そうしないと、絶対後で後悔するぞ」


 じっと志乃が北村を見ている。今にも泣きそうな顔。


「……ごめんなさい……」


 振り絞るような声。北村は背を向けた。


「別に気になんかしてないよ。俺は朝倉が少し可愛いな、と思って付き合っただけだから。本気で好きになったわけじゃないし」


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 それ以上言うと志乃を泣かせることになる。


「いいから、行けって。もうお前の顔は見飽きたからいいよ」


「本当に……ごめんなさい」


 と言って、志乃も背を向けて駆け出した。


 北村はそれをじっと目で追いかけて、空虚な気持ちで空を見上げた。


 悲しいとは思わなかった。


 ただ胸に穴がぽっかりと開いたような気分だ。 明日から夏休みなのに、と苦笑を浮かべる。不思議と悲しくはなかった。ずっと前から志乃の気持ちには気付いていたから。だから、ショックも大きくなかった。が、平気だと言えばそれは嘘だ。北村は志乃の事を本気で好きだったから。でも志乃の目には最初から最後まで陽一郎の事しか見ていなかった


 笑みを浮かべる。


 空が青すぎて


 目が


 滲んで、痛かった――。

  

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